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「hideは新しい音楽を見つけるのが本当に早かった」市川哲史が振り返るhideの功績

リアルサウンド

14/6/9(月) 8:00

 1980年代から活動を続ける音楽評論家であり、現在、甲南女子大学でメディア表現についての講義も行っている市川哲史氏へのインタビュー。

 音楽リスナーのあり方の変化や、V系シーンの現状までを語った前編【市川哲史が語るリスナー視点のポップ史「シーンを作るのはいつも、愛すべきリスナーの熱狂と暴走」】に続き、後編ではV系を取り上げるメディアの変化から、V系の音楽を特徴づける 「雑食性」という強み、さらにはhideが日本の音楽シーンにもたらした功績について大いに語った。聞き手は藤谷千明氏。(編集部)

hideの功績とヴィジュアル系黄金期

ーー市川さんはもともと洋楽畑の人ですよね、プログレとかロキシーとかXTCとかジャパンとか。そんな人が、しかも当時V系をあまり熱心に取り上げていなかった『JAPAN』で、BUCK-TICKやXを載せまくったのは面白いですね。

市川:本職はブリティッシュ・ロックっス。当時の『JAPAN』編集部はもう硬派のアーティストしかロックと認めないから、『PATiPATi』で人気のソニー系バンドは絶対載らなかった(失笑)。BUCK-TICKもあのヴィジュアルだから当然、無視です。演奏も下手クソだし他誌ではアイドル的な人気者だし。けれども、だからこそ独自の切り口で扱えば面白い素材だし、ファンの子を全部ぶん獲れると(悪魔笑)。元々僕は『JAPAN』編集部の権威主義的なとこが嫌だったので、あえて『ロッキング・オン』ぽくないアーティストを『ロッキング・オン』誌上でブレイクさせちゃうのが快感だったんですよ。わははは。実際、群馬の田舎から現われたデカタンスもわかんないようなズブの素人が、不器用ながらもハードルの高い物に挑戦する姿に父性本能をすごくくすぐられたし。BUCK-TICKには神風も吹きましたね。今井寿の薬物事件で彼らは半年間の活動休止を強いられるんだけども、今井の逮捕前最後のインタヴューがたまたま掲載された『JAPAN』は当然売れたわけです。するとBUCK-TICKを完全無視してた渋谷陽一社長の掌が200回転して、「市川! もう毎月BUCK-TICKやろう!!」。で出所一発目なんか完全独占表紙2万字。だははは。正しき商業主義でしょ?

 一般の音楽雑誌が本格的にV系を扱うようになったのは、LUNA SEA以降ですね。それ以前は『フールズメイト』『ロッキンf』『SHOXX』『パチロク』くらい。そんな特殊ジャンルだったのが、Xに続いてLUNA SEAがドカンと売れたことで全誌がこぞってV系一色に。もう表紙の獲り合いですよ、しかもどこよりも速くとか各誌がシノギを削ってたもんねぇ(←しみじみ)。僕は『JAPAN』でも『音楽と人』でも「他と違うこと」に特化してて、表紙もYOSHIKI&櫻井敦司、今井寿&HIDE、(仲が悪いと噂された)SUGIZO&J、hide&小山田圭吾、サーファー姿のRYUICHIなど好き勝手に暴走してました。それにバンギャルの子たちがビビッドに反応してくれるのが、また愉しくって。

ーー毎月、インタビューが充実している雑誌を買うか、写真が一番良い雑誌を買うかで悩むのは当時はありましたね。読者的には。

市川:バンド自身も当時はV系と呼ばれるのに反発して、馬鹿にしてるやつらを見返そうとあらゆることに過剰に命賭けてたしね。ところが現在の子たちはV系と呼ばれることに抵抗がないどころか、自らV系を名乗ってるもんねぇ。時代の流れを痛感します。

ーーヤンキー的なスピリッツというか、日本的ないなたさみたいなのがありましたよね。

市川:ダサいに決まってるじゃない!(爆愉笑)。日本人ならではの土着的な顔なのに、一所懸命眼を大きく描いてゴスっぽくしようとしてたんだよ? たとえばTOSHIがデヴィッド・ボウイになろうとしても無理じゃないですか。 その無理矢理感や無謀な翻訳魂も素敵でしたねぇ。あとは。5人編成のバンドなら洋楽好きなのは3人くらいで、残りの2人はヤンキーだったり音楽に疎かったり。しかも皆の趣味をひたすら足すもんだから、まさにV系とは音楽を超えた日本の思春期文化のコングロマリットだったんじゃないかなぁ。

 まあそういう勘違いはV系に限ったことではなく、BOOWYを筆頭に長く地方出身ロックバンドの十八番なんですけどね。流行に敏感で自意識過剰な都会の若者たちが恥ずかしくてできないと思うことでも、田舎のヤンキーはそもそもそれが間違ってると思ってないから当然恥ずかしくない。しかも自信満々でやるのだから、そりゃ逞しいでしょ。まさに生命力の違い。日本のロックが都会よりも地方や大都市郊外で発達した理由は、そこにあると思うんです。恥知らずの美学というか無知の知というか。

ーーV系ってある種の間違いが生む面白さがあるのはわかるんですけど、評論家・市川哲史が認めた音楽ってありますか?

市川:基本を知らない奴ほど怖いモノはないじゃないですか。僕のV系ベストトラックは、問答無用でBUCK-TICK1991年の楽曲「スピード」ですね。まさに日本初のデジロックで、そのバンドサウンドとデジタル感の合体っぷりはスリリングで恰好よかったですねぇ。おもいきった合体攻撃で。

ーーそれもヤンキーのバイクの改造の美学みたいですね。

市川:わははは。それがカッコ良かったんですよ、定石を知らないからこそ生まれる新しい音楽の可能性というか。僕、かつてDER ZIBETのISSAYのソロ・アルバムをプロデュースしたんですけど――。

ーー94年の『FLOWERS』ですね。

市川:ええ。ISSAYがマニアックな昭和歌謡曲のカヴァーをやりたいって言うから、鈴木慶一さんにサウンドを頼みつつ、当時のV系ミュージシャンたちを揃えたら面白いかなって。でBUCK-TICKの星野英彦にZI:KILLのKEN、THE MAD CUPSULE MARKETSのTAKESHIとMOTOKATSU、LUNA SEAのSUGIZO、黒夢の清春とかもう賑やかなメンツで(苦笑)。皆がスタジオで演奏する中、hideだけは「家でひとりで作ってくるね」と。当時はまだ珍しかった家内制ワンマン・デジタル・レコーディングで「愛しのマックス」を仕上げてきた。そこにその後hideのソロでも活躍するINAがマニュピレーターとして参加してたりしてね。実は自由進取な雑食性って、V系の誇るべき姿勢なんですよ。

 日本初のデジタル・ミクスチャー・バンドといえるTHE MAD CUPSULE MARKETSがメジャーデビューするとき、hideと今井寿から「市川さんとにかくMADを聴いて! 取材して!」とものすごくプッシュされたの。それで一緒に飲みに行ったりして。たしか最初にマッドを『JAPAN』に載せたときは今井&hide&TAKESHIの3人の鼎談でカラー8Pですよ。どうこの大盤ぶるまい(苦笑)。hideと今井っていうのは、自分がおもしろいと思ったインディーズのバンドを損得勘定ゼロでどんどん教えてくれた。洋楽の新しいものを見つけてくるのが今井で、日本の面白いバンドを連れてくるのがhide。

 特にhideはレモネードという自分のレーベルを設立したけどもYOSHIKIのエクスタシーとは違い、もう商売度外視で「自分がいいな」と思った音楽をとにかく世間に伝えたい一心で運営してた。まさにロック・ボランティア。そんなhideを慕う若いV系バンドのみならず、他ジャンルのミュージシャンもワラワラ集まってたなぁ。V系が「ヤンキー的縦社会」であることはこの本でも書きましたけど、もうひとつhideというによって作られていた、不器用だけどもとにかく音楽が大好きな連中のモラトリアムな空間が存在してたと思うんですよね。だからhideが亡くなったとき僕は「V系は終わった」とあちこちで書いたのを想い出します。もっといえば<hide以前><hide以後>で同じV系でもその本質は違うんですよね――僕はそう解釈しています。

ーーメジャーデビューする前のCoccoをラジオでプッシュしていたり、キュレーターとしても素晴らしかったですよね。

市川:うん、本当見つけてくるのが早かった。しかも嬉しそうにCD持ってくるのよ、日本にいる時は毎週のように僕の深夜FMにやってきて「コレかけて」って。本当にマメで愛すべきロック小僧でした。もしhideが生きてたら、たぶん日本でいちばん早くサカナクションとかももクロとか絶賛してたと思うなぁ。

 この『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』は、実はhideを読者に想定して書いてたりもするんです。「おまえは死んじゃったから知らないだろうけど、日本のポップミュージックはこんなに面白かったりするんだぜ?」と。ジャニーズだろうがK-POPだろうがAKBだろうが面白がるはずだから、あの男は(微笑)。

(取材・文=藤谷千明)

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