樋口尚文 銀幕の個性派たち
綿引勝彦、頑な過ぎてかわいいひと
毎月連載
第67回
遺作となった『種まく旅人 華蓮(ハス)のかがやき』から (C)2020 KSCエンターテイメント
殺気の人として、じわじわと
2020年の暮れも押し詰まった頃、またひとり惜しいバイプレイヤーが亡くなった。11月に75歳になったばかりの綿引勝彦は、数年前からの闘病を伏せて、静かに身のまわりの整理をしていたという。まさにイメージそのままの晩年だが、最初に綿引勝彦のことを知ったのは1976年の松竹映画『超高層ホテル殺人事件』でのことで、まずその特徴的な芸名のクレジットが気になった。当時の綿引は「綿引洪」を名乗っていた。私は「わたひきこう」と呼んでいたが、正確には「ひろし」である。この映画は綿引の最初の本格的な映画初出演作であったが、やはりこれが初プロデュースであった野村芳樹の父・野村芳太郎監督の『八つ墓村』『事件』などにも顔を出している。
もっともまだ眼光の鋭い精悍な青年という感じの「綿引洪」時代は、映画でもそんなに目立つ役ではなかった。ただすでにして綿引の芸歴は十年近く、60年代後半に日大芸術学部演劇学科を中退、劇団民藝に入ってからは『日本改造法案大綱』『鎮悪鬼』などの舞台に立って注目され、1971年のNHKドラマ『私の娘を知りませんか』あたりから続々とテレビドラマには顔を出していた。このドラマのヒロインであった樫山文江は劇団民藝の二期先輩であったが、74年に綿引と結婚した。66年のNHKテレビ小説『おはなはん』のヒロインをつとめた樫山は広い人気を集めていたので、この頃の綿引はむしろ樫山の夫ということで知られていたかもしれない。しかし綿引は70年代のテレビ映画、スタジオドラマを中心に刑事物からホームドラマから時代劇までこつこつと出演を続け、お茶の間に「いつものあの人」と知られるようになった。
その綿引の努力がじわじわと実って顔と名前がしっかり一致しだしたのは、ちょうど「綿引洪」からオーヴァーラップするように本名の「綿引勝彦」が定着した80年代前半のことだろう。綿引の追悼記事に「やくざ映画の印象が強いがホームドラマで人気を博す」的な書かれ方がされていたが、これはまるで「印象」に過ぎず、デビュー以降特に悪役やアウトローが多かったわけではない。ただあの風貌なので、刑事であれ剣豪であれ「殺気」漂う役は目だったかもしれない。綿引が比較的多く「やくざ映画」に顔を出したのは、40代になって貫禄も増してからのことで『極道の妻たちⅡ』『極道の妻たち 三代目姐』『姐御』など80年代も後半のことだ。
「かわいさ」への転調
バブル期をくぐった90年代以降となると、しばしば従来の悪役や強面の俳優を「かわいい」対象として面白がる傾向が強くなってきて、銀幕で凄みを売ってきた俳優などにはなかなかやり難い雰囲気ではあったが、綿引のちょっとおっかない苦味走った風貌はこんな時代の空気によってむしろ得をしたかもしれない。そのひとつが、1991年にスタートして、90年代末まで8シーズンも続いたTBSの人気ホームドラマ『天までとどけ』の父親役だった。子だくさんの新聞記者の実話をもとにしたこのドラマで、惜しくも同じ20年に亡くなった岡江久美子の夫に扮した綿引は、とにかく柔和で寛大な父親像を演じて根強い人気を博した。そして90年代後半の任天堂『ピカチュウでげんきでちゅう』に始まる対話ゲームソフトのCMで綿引は「かわいい」おじさんという設定を機嫌よく引き受けて評判となった。それまでの綿引が築いた役の印象は頑固一徹の職人肌の男か、凄みのある悪役だったので、あたかもそんな長いイメージ資産が一斉にパロディ化されて、逆方向で花開いた感じであった。俳優業のなりゆきというのは、本当に面白いものである。
もうひとつ綿引は渋いダンディな声を活かして映画の日本語版の「吹き替え」でも魅力を発揮し、特にブルース・ウィリスの声は定評があった。そんなジャンルで引き受けたたった一本の劇場用アニメーション、2002年公開の『WXⅢ機動警察パトレイバー』の声優としての綿引が素晴らしかった。これは人気の『パトレイバー』シリーズのスピンオフ的な異色篇で、『砂の器』と『怪奇大作戦』のハイブリッドのごとき、昭和フレーバー満載の傑作だった。ここで文字通り若手刑事と組んで足で歩いて捜査を続ける久住刑事の雰囲気があまりにいいので吹き替えは誰かと思いきや、クレジットで綿引の名を見て感動した。あの刑事の「こつこつ」「頑固」「いぶし銀」の感じは、「かわいい」綿引の正体を存分に再確認できるものだった。
綿引勝彦 最新出演作品
『時の行路』
2020年3月14日公開 配給:「時の行路」映画製作・上映有限責任事業組合
監督・脚本:神山征二郎 脚本:土屋保文 原作:田島一
出演:石黒賢/中山忍/松尾潤/村田さくら/綿引勝彦/川上麻衣子
『ケアニン こころに咲く花』
2020年4月3日公開 配給:ユナイテッドエンタテインメント、イオンエンターテイメント
監督:鈴木浩介 原作・脚本:山国秀幸 脚本:藤村磨実也
出演:戸塚純貴/島かおり/綿引勝彦/赤間麻里子
『種まく旅人 華蓮(ハス)のかがやき』
2021年4月2日公開 配給:ニチホランド
監督:井上昌典 脚本:森脇京子
出演:栗山千明/平岡祐太/大久保麻梨子/木村祐一/永島敏行/綿引勝彦
プロフィール
樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)
1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。
『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子