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ceroとフィッシュマンズの現代にも繋がる“折衷性”とは? 『闘魂』での共演を機に考察

リアルサウンド

18/11/30(金) 8:00

 フィッシュマンズの主催企画『闘魂 2019』が来年2月19日にZepp Tokyoで開催されることが決定し、ゲストとしてceroの出演が発表された。『闘魂』はフィッシュマンズが90年代後半に日比谷野音を舞台に数回開催したイベントで、約20年ぶりの復活となる。

(関連:【写真】cero、フリーライブレポート

 茂木欣一(フィッシュマンズ)はceroについて「彼らの存在はアルバム『Obscure Ride』でとても気になっていたのですが、今年リリースの最新作『POLY LIFE MULTI SOUL』で提示された新しい世界に、強く心を揺さぶられました。彼らと対バンできたらどんなに刺激的だろう… オファーを受けてもらえたこと、本当に心から感謝しています」(闘魂2019
闘スポ新聞)とコメントし、髙城晶平(cero)も「個人的に色々と感慨深いのは間違いない。このタイミングでこの2マンは何かしら因果が働いてるのだと思いたい。この日の全てを自分の中に刻み込むつもりで楽しみたいです」(同一引用)とコメントするなど、お互いが本番へ向けて高い意欲を語っている。

 そもそもceroというバンドは、活動初期において多分にフィッシュマンズフォロワー的な側面を持っているバンドであった。『WORLD RECORD』に収録されていた「大停電の夜に」のゆったりとしたギターストロークと空間的な音像の組み合わせは紛れもなく「ナイトクルージング」の影響下にあるものだったし、『My Lost City』収録の「スマイル」では〈「笑いを忘れた恋人たちには 新しい明日が見えている」 そう言うんだろ?〉と、フィッシュマンズの「100ミリちょっとの」を思わせる歌詞があったりもする。

 90年代にバンドブームと渋谷系の狭間にいたフィッシュマンズ、2010年代にフェスロックとシティポップの狭間にいたceroという立ち位置にもリンクを見出すことができるし、メンバーの脱退を機に、サポートメンバーの存在も非常に重要な「音楽集団」化していったことも、よく似ているように思う。

 音楽性に関しては、時期によって接近がありつつも、やはりそれぞれが独創的であり、一概に「近い」とは言いにくい。もちろん、グルーヴの構築や音響面への目配せ、フロウする歌の心地よさなど、リンクする部分は多々あるのだが、両者が体現する「折衷性」そのものが近いのだと言うべきだろう。

 フィッシュマンズはRCサクセション、ceroははっぴいえんどやティン・パン・アレーをひとつの指標とし、日本のポップ/ロックの歴史に連なりながらも、前者はレゲエ/ダブ、後者はヒップホップ/R&Bを立脚点とすることで、バンドとしてのオリジナリティを獲得。しかし、決して「ジャンル」に拘泥することはなく、自らのスタイルを更新して行った。

 テクノやアンビエントも消化し、独自のトランス空間を生み出したフィッシュマンズ最後のオリジナルアルバム『宇宙 日本 世田谷』と、リズムの構造そのものを見つめ、ポリリズムを多用したダンサブルな作品であるceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』は、ともにジャンルやシーンとは切り離された、孤高の輝きを見せる作品だったように思う。

 もう少し言えば、1997年にリリースされた『宇宙 日本 世田谷』は、編集や加工を駆使したPro Tools時代の先駆け的な作品でもあったのに対し、2011年にリリースされた『WORLD RECORD』はそこから約10年を経て、デスクトップからノートパソコンへと制作の環境が変化したことを背景とした作品であり、こうした技術の進化が彼らを「ジャンル」という枠組みから解放していったとも言える。

 そして、2010年代も終わりを迎えようとしている現在は、スマートフォンのアプリで音楽を作ることも珍しくなくなり、いわゆるミレニアル世代は最初からジャンルに縛られることなく、より自由な創作を行うようになっている。フィッシュマンズやceroが体現してきた折衷性は、間違いなく今の時代ともつながっているのだ。

 また、前述した「スマイル」での「100ミリちょっとの」からの引用が示しているように、あくまで日常に根差した視点で、ときにユーモラスに、ときに内省的に、ときにロマンチックに心象風景を描き出す歌詞の世界観にも、リンクを見出すことは可能だろう。

 中でも、個人的に近いと感じるのが「移動/変容」の感覚。「移動」はceroがたびたび作品のモチーフとしていて、『Obscure Ride』にはそれが明確に反映されていたし、「川」がキーワードになっていた『POLY LIFE MULTI SOUL』もそうだった。そして、フィッシュマンズの「ナイトクルージング」や「SEASON」や「WALKING IN THE RHYTHM」から感じることのできる、夢と現実、過去と未来、生と死の境界線を緩やかに移動していく感覚は、音楽性の変遷とも紐づきつつ、両者の共通点となっているように思う。

 『闘魂 2019』での共演が実現することとなったのも、フィッシュマンズが佐藤伸治亡き後も動き続けて、時間を積み重ねてきたことの賜物に他ならない。20年という泣き笑いの日々の重みを愛おしく感じながら、特別な一夜を楽しみに待ちたい。(金子厚武)

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