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『聲の形』はアニメ史のターニングポイントだった 京都アニメーションが成し遂げた実写的表現

リアルサウンド

20/7/31(金) 12:00

・アニメのターニングポイントとなった名作、地上波初放送
 7月31日放送の『金曜ロードSHOW!』にて、京都アニメーション(京アニ)が制作した山田尚子監督『映画 聲の形』(2016年)が地上波初放送される。

参考:ほか場面写真はこちらから

 大今良時の同名人気少年マンガ『聲の形』を原作にしたこの作品は、かつて小学生時代に先天性聴覚障がいを持った転校生の西宮硝子(声:早見沙織)をいじめていた高校生の少年・石田将也(声:入野自由)が、彼女と再会し、自分が少年時代に犯したあやまちと向き合いつつ、硝子やその家族、そして幼なじみの友人たちとの心のつながりをふたたび回復していこうとする物語である。「聴覚障がい者差別」や「いじめ」というセンシティヴなテーマを扱った物語が、公開当初からSNSを中心に論議を呼んだ一方、シャフトと並んで2010年代の日本アニメ界を代表するスタジオとなった京アニを代表する映画作品の一作であり、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞など、この年の多くの賞も受賞した話題作である。

 また、すでに定説となりつつあるが、本作が公開された2016年は、「アニメの当たり年」と呼ばれ、アニメーションの世界で、さまざまな意味で大きなターニングポイントとなった重要な年だとみなされている。

 そして、『映画 聲の形』は、同じ年に公開された新海誠監督『君の名は。』(2016年)、片渕須直監督『この世界の片隅に』(2016年)と並んで、その変化を象徴する作品だと評価されることが多い。このコラムでは、そんな『映画 聲の形』が現在のアニメに与えたインパクトや関連作品の中での位置づけについて簡単に紹介してみよう。

・実写的表現がもたらした画期性
 さて、アニメに限らない映画ファンが多いだろう『金曜ロードSHOW!』の視聴者に向けて書くとすれば、その大きな注目ポイントのひとつは、やはり「アニメ的な演出と実写映画的な演出のシンクロ」が挙げられるだろう。

 『映画 聲の形』は、公開館数120館という小規模公開ながら、興行収入23億円という異例の大ヒットを記録した。このことは、原作ファンや京アニを含む深夜アニメのファンといった従来のターゲットセグメントを越えて、より広い観客にこの作品が届いたことを示している。もともと監督の山田は、これ以前には、『映画 けいおん!』(2011年)や『たまこラブストーリー』(2014年)といった深夜テレビアニメの劇場版を手掛けており、『映画 聲の形』でも、表面的にはそうした深夜アニメの想像力やテイストに基づいて演出をこなしている面がある。言い換えれば、例えば本作は、スタジオジブリ作品や細田守のような広く一般的な映画ファンにも訴求力を持つ「国民的」な物語でもなければ、『この世界の片隅に』の片渕のように映画の古典にも勝る鷹揚で含蓄に富んだ物語が語られるということでもなく、あるいは『君の名は。』の新海が、こちらもいかにも映画ファンが好みそうな、大林宣彦から岩井俊二まで、かなり露骨に1970年代以降の日本映画の映画史的記憶を参照する、といったことをするわけでもなかった。

 ただ他方で、このことは今年1月のリアルサウンド映画部の杉本穂高氏、藤津亮太氏との鼎談記事(細田守と新海誠は、“国民的作家”として対照的な方向へ 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【前編】)でも話題になり、またすでに多くのレビューで指摘があることだが、『映画 聲の形』は、『たまこラブストーリー』や本作に続く『リズと青い鳥』(2018年)といった山田作品がそうであるように、きわめて「実写映画的」なエフェクトや演出が随所に凝らされている点に大きな特徴がある。ちなみに私は、先ほどの鼎談で以下のように語っていた。

2015年~2016年に自分の中でアニメの見方が一気に変わった感覚がありました。そもそも映像は、非常に身体的なメディアです。つまり、映像作品には物語映画のリズム、ドキュメンタリーのリズム、アニメのリズム……というように、異なる複数のリズムがあり、映像の快楽というのはそのリズムに身体を同期させることだと思います。それ以前からも、もちろんアニメも見ていましたが、僕はどちらかというと実写映画のリズムが気持ち良い体質だったのですが、『聲の形』や『この世界の片隅に』で、映画とアニメのリズムがどこか連動し始めたという実感がありました。

 この実感は、私のなかでいまもなお確かなものとしてある。例えば、その感覚をはっきりとしたものにする大きな要素が、これも公開当時に連載していたレビュー(『ゲンロンβ』第7号所収)で記したことだが、新海作品にも近い、数々の、いわば「擬似レンズ的」な表現とPOV(主観)ショットの多用である。『たまこラブストーリー』などでもそうだったが、『映画 聲の形』でも作中のいたるところで、ハイキーの淡いソフトフォーカスで光が揺れる映像やレンズフレアが度々登場する。それらの映像は、登場人物のPOVショット(心情の隠喩表現)である場合が多いが、その中には結弦(声:悠木碧)がいつも肩から下げているデジタル一眼レフのカメラから覗いた視点などが混ざることで、観客は必然的に、どこか手ブレする実写映像の画面を強く印象づけられるのだ。いずれにしても、山田をはじめ『映画 聲の形』のスタッフがアニメに限らない実写映画についての素養も豊富にあり、なおかつ本作においてそうした「映画的」な感覚を作品に積極的に取り込もうと企図したことは間違いないと思う。例えば、大今の原作マンガの物語にほぼ完全に忠実に作られている『映画 聲の形』が、唯一、永束(声:小野賢章)の自主映画制作のエピソードをごっそり削除していることは、その事実を逆説的に際立たせていると言えるだろう。

 ただ、ここで急いでつけ加えておくと、日本のアニメの中で「実写的」なレイアウト表現を導入した試みは、『AKIRA』(1988年)の大友克洋以来、押井守をはじめ、すでに長い歴史がある。そうはいっても、『映画 聲の形』、あるいはより広く京アニが作り上げたこの表現は、21世紀に新たなデジタル技術が台頭したことで、それら先行作とはまた違った、きわめて繊細な表現を獲得している。こうした表現は、本作に続く山田作品の『リズと青い鳥』ではさらに洗練された形で発揮されている。そして重要なことは、それら実写を想起させるフラジャイルに揺れるPOVショットや、薄い皮膜を隔てたような物語世界の登場人物たちのまとう遊離した現実感が、一方では、主人公たち思春期の高校生たちが抱えている、バラバラによるべなく散らばったそれぞれの「小さな世界」のドラマを実に魅力的に描き出すことに効果を発揮しているという点だ。

 アニメーション研究者の土居伸彰氏が指摘していたように(「2010年代、日本アニメから眺める世界のアニメーションとは?」『美術手帖』2月号所収)、こうした「ちっぽけな人たちに渦巻く混沌とした感情」を掬いとるドラマは、京アニの山田作品をはじめ、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)、『心が叫びたがってるんだ。』(2015年)、『空の青さを知る人よ』(2019年)の長井龍雪作品など、近年の日本アニメに広く見られるようになっている。『映画 聲の形』が2016年に達成した表現は、そうした現代アニメの動向にも影響を与えていくことだろう。

・山田作品と映画史との結びつき
 最後に、本作についてもうひとつ言い添えておけば、先ほど『映画 聲の形』はこれまでの映画史の流れは明示的な形で参照されていないと書いたが、実はこれもそうとも言えない面があるのだ。

 監督の山田尚子の作家性とも絡めて『映画 聲の形』の位置づけを考える時に重要な要素としては、おそらく1960~70年代カルチャーとの結びつきがある。例えば、長編映画監督第1作の『映画 けいおん!』では、60年代ロンドンのモッズ青年たちを描いたフランク・ロッダム監督の青春映画『さらば青春の光』(1979年)への目配せがわかりやすく示されていたが、『映画 聲の形』ではその『さらば青春の光』の原作(『四重人格』)を手掛けたザ・フーの「マイ・ジェネレーション」(1965年)がオープニングで印象的にフィーチャーされている。これらの「エバーグリーン」な要素は、どこか山田作品に70年代ニュー・シネマ的な雰囲気をまとわせている。その意味で、実は山田も間接的に、『君の名は。』の新海誠同様、岩井俊二や大林宣彦といった先行する日本映画の重要作家の系譜を受け継いでいるとも言えるだろう。

 これも以前、高瀬康司氏、石岡良治氏が私との対談で示唆していたことなのだが(「新海誠のポストメディウム性をめぐって」、『Mercaβ04』所収)、新海に大きな影響を与えた岩井俊二は、自分の映画的記憶の原体験に、まさにジョージ・ロイ・ヒル監督のニュー・シネマの代表作の1本、『明日に向かって撃て!』(1969年)の中の、「雨に濡れても」をバックに主人公とヒロインが自転車に乗りながら戯れるシーンを度々挙げている。確かにこのシーンの音楽とマッチした軽快なカッティングや、時折見られるギラギラした逆光のインサートは後年の岩井の映画を彷彿とさせるところがある。しかし同時に、このシーンはどこか『映画 聲の形』のオープニングのあの小学生時代の将也が闊歩して川に飛び込むあの爽快さを思わせないだろうか。思えば、『映画 聲の形』のすでに述べた特徴的なソフト・フォーカスやレンズフレアも、新海のアニメーション同様、岩井映画の映像表現ときわめて重なるところがある。

 あるいは、『映画 聲の形』は主人公・将也の小学生時代のいじめが彼にとってトラウマ的な記憶になっていることが物語の主軸をなしているが、この過去の記憶=トラウマを昇華できるかどうかというモティーフは、やはり記憶の問題でありながらも「記憶喪失」の物語が大きな要素となる新海(『君の名は。』)や岩井(『花とアリス』)、そして大林宣彦(『時をかける少女』)といった映画作家たちとコントラストを形作ってもいる。

 ……と、こんなふうに、『映画 聲の形』を映画ファンの視線からも、現代作品と比較しながらさまざまに解釈して楽しむことができるだろう。京アニにしか作り得ない、端正な風格を湛えた青春アニメの傑作を、ぜひテレビで堪能していただきたい。 (文=渡邉大輔)

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