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海の家のクラブ化、危険ドラッグ、EDMブーム……磯部涼と中矢俊一郎が語る、音楽と社会の接点

リアルサウンド

14/8/16(土) 15:00

 音楽ライターの磯部涼氏と編集者の中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について語らう新連載「時事オト通信」第1回の後編。前編【磯部涼×中矢俊一郎 対談新連載「グローバルな音楽と、日本的パイセン文化はどう交わるか?」】では、日本のヒップホップ文化全般のあり方を、ヤンキー社会に顕著な“パイセン文化”という観点から読み解いた。後編では、海の家のクラブ化問題や危険ドラッグについて、さらにEDMブームのグローバル性まで、音楽と社会に関わるアクチュアルな問題について議論を深めた。

海の家のクラブ化問題

中矢:ところで、去年の夏はテレビなどで「海の家のクラブ化」が社会問題になっているとよく報じられましたよね。そんな海の家で流れているのも、今はEDMが主流なんですかね?

磯部:EDMでもJ-POPでも、とにかくアガるものだったら何でもかかるって感じだと思うよ。クラブ・ミュージックと海の家の関係っていうと、レゲエ・バンドのHomegrownを生んだ葉山の<OASIS>とか、野村訓一氏がやっていた辻堂の<Sputnik>がよく知られているけど、そっちはもっと洗練された感じで、いま問題になっているようなガラが悪い方向に行ったのは、サイケデリック・トランスのイベントをやる店が増えてからだろうね。『men’s egg』(既休刊)の人気読者モデルだった植竹拓ことピロムの回想録『渋谷(ピロム)と呼ばれた男』(鉄人社、2013年)には、もともとはヒッピー色が強かったサイケデリック・トランスが、2000年代初頭、渋谷でポスト・パラパラとしてギャルとギャル男に受けて、それに目を付けたエイベックスが<ヴェルファーレ>でイベント「サイバートランス」を開始したことによって大きなムーヴメントになっていく過程が描かれている。そして、いわゆる野外レイヴにもギャル/ギャル男客が押し寄せるんだけど、彼らのマナーの悪さは有名で、最近もジュークのトラックメーカーである食品まつりが「ギャル、ギャル男とかの間でサイケトランス流行ってた頃に野外パーティ手伝った時に、パーティ後そこら中にテントごと捨ててあったの思い出して、そうゆうパーッとした生き方もあるんだと今もたまに思い出す。けど片付けが死ぬほど大変だった」なんてツイートしていて笑ったな。山奥だとまだ世間と隔離されてるからそれぐらいで済むとして、それが海に来たら……当然、地元と揉めるよねっていう。以後、サイケに限らずガラの悪い若者に受けるチャラ箱風・海の家が増えて色々と問題を起こした末に、今年は逗子市がかなり厳しい条例を制定して話題になっている。

中矢:結局、何が「問題」なんでしたっけ? 大音量の音楽に周辺住民が迷惑をしている……とか?

磯部:騒音問題もあるんだけど、さっき挙げた逗子市の「安全で快適な逗子海水浴場の確保に関する条例及び施行規則」は音楽を流すことだけでなく、「砂浜で酒を飲むこと」や、「入れ墨を露出すること」も禁止しているから、まぁ、ガラが悪い若者を排除しようとしていると言っていいだろうね。昨夏、逗子海岸では喧嘩の末の殺人事件すら起きているから、市としても動かざるを得なかったんだと思う。

中矢:そうなると今年の夏、クラブ化する場所が逗子からどこかへ移ることもあり得るんですかね。

磯部:実際、昨夏に藤沢市の片瀬西浜海水浴場が他の地区に先立って音楽を禁止したため、若者が逗子と鎌倉に流れて荒れたことで件の「安全で快適な逗子海水浴場の確保に関する条例及び施行規則」の制定に至ったんだよね。結果、この夏の逗子海岸は静かになってファミリー層には好評みたいだけど、海水浴客の総数は激減して海の家の組合からは不満も聞こえてくる。一方、若者たちは依然として規制が緩い鎌倉に流れていて。松尾崇・鎌倉市長は「何かを排除することなく皆が楽しめる海水浴場を目指したい」と発言しているし、意図的に規制緩和路線を進めている節もある。さて、このまま逗子が落ち込んでいくのか、あるいは、鎌倉で問題が起きたりしないのか、この夏の湘南は、規制と経済のバランスを考える上でも注視しておきたいね。

中矢:日本の公共空間というのは、マナーとルールとモラルが混在しているし、何が本当にダメなのか曖昧な部分が多いように思います。

磯部:曖昧に成り立っていたものに対して、法できっちり規制していこうというのが近年の傾向だろうね。やはり話題になっている風営法とクラブの問題もそう。例えば、僕が編集した『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社、2012年)では、社会学者の宮台真司氏がその原因について「地域共同体が弱体化したことにより生まれたいわゆる“新住民”が、何か問題が起こった時に自分で文句を言いに行かず、すぐ行政に頼るがために過剰な規制が生まれている」というようなことを語ってくれた。ただ、“新住民”化しているのはクラブも同じで、地域のことなんて意に介さない店も多い。湘南の海の家にしても、昔は権利を持っている地元の人がやっていたのが、00年代に入って権利を企業に貸すようになって。そのおかげで盛況になったものの、やり逃げのような経営をするところも増えて風紀は乱れた。クラブに関しては、一部の事業者は地元との関係を修復する方向に動いているけど、全ての事業者がそうなるとは考えられないから、僕は程よい規制の在り方を考えるしかないと思っている。

中矢:ところで、アメリカは日本より何かとオープンな印象がありますが、カリフォルニア州の場合、アルコールに対しては厳しい。コンビニではビール一缶を買うときでも必ず袋に入れられるし、午前2時から6時までお酒の販売が禁止されています。だから、クラブは大体2時で閉店する。他方で、医療大麻は合法なので、公園で学生たちがジョイントを堂々と回していたりしますけど、それを咎める人もいない。

磯部:そうそう、アメリカやイギリスはリカー・ライセンス(アルコールの販売許可)の取得も難しくて、それが合法クラブをつくるハードルになっていたりもする。あっちのアルコールに対する厳しさは宗教観も関係しているのかな。一方、日本は寛容だけど、逗子の件は公共の場におけるアルコールの在り方が問われた珍しい事例と言えるだろうね。それにしても、海で暴れている若者たちはEXILEのメンバーみたいなルックスをしているのに、同グループに顕著な日本的集団主義が見られず、世間というグループから突出した行動を取ってしまっている。そこには、HIROさんのような目を光らせているパイセンが不在なのかもしれない。

脱法ドラッグにカルチャーはあるか?

中矢:社会問題といえば、去年あたりアメリカではMDMAの粉末をカプセルに入れた“モーリー”がEDMのブームとリンクしながら大流行しましたけど、日本では脱法ドラッグが“危険ドラッグ”と呼び変えられて再び話題になっていますよね。2012年頃にも同ドラッグをめぐる事件が相次いで社会問題化しましたが、1年ほど前に私と磯部さんが10代のドラッグ事情に関する記事を作った際は、「脱法ドラッグはダサい」という認識が若い子たちの間で広まっていたように感じました。なぜ、ぶり返しているように見えるのか……。

磯部:最近、危険ドラッグによるトラブルがまた増えているのには恐らくふたつの理由があって、ひとつは報道を見て、ほとんどの人間は恐怖や嫌悪を感じるだろうけど、中にはそれをきっかけに興味を持って試してみる人間もいるということ。つまり、危険性のアピールが逆効果をもたらすと。2012年の脱法ドラッグ・パンデミックでも同じような事態が起きたよね。それと、もうひとつの理由としては、前回のパンデミックを収拾させるため、2013年に厚生労働省が包括規制を導入したわけだけど、それを受けて業者がまだ規制されていない新手の薬物を使うようになったり、検出されにくくなるのを狙って様々な薬物を混ぜ合わせたりするようになったため、ドラッグの酩酊効果がより強烈かつ予想しづらくなったということが挙げられると思う。もともと、合法ハーブと呼ばれていたものってもっと緩い効果だったのに、規制がモンスター化させてしまったという。

中矢:しかし、危険ドラッグと音楽に接点はあるんですかね? アメリカのヒップホップだと、パープル・ドリンク(コデイン配合の咳止めシロップをソーダで割ったもの)について歌ったエイサップ・ロッキーの「Purple Swag」とかがありましたけど。

磯部:最近、「危険ドラッグ、4人に1人経験=クラブ利用の16歳以上男女」というニュースが出回っていて、「風営法の規制緩和路線に対するネガキャンか」「サンプル数=355名で“クラブ利用者”と一般化するな」みたいな批判がされているものの、それでも、この調査結果が本当だとして、僕の予想より遥かに多くて普通にびっくりしたけどね。しかも、元になった報告書によると調査対象となったイベントは「すべてreggae/dancehall」だそうで、レゲエ/ダンスホールのひとたちはケミカル・ドラッグを嫌う印象があったんだけど、ひょっとしてこれは新たな文化の萌芽なのだろうか……っていうのは冗談として、大麻系にせよ、覚醒剤系にせよ、睡眠薬系にせよ、危険ドラッグは結局が何か別のドラッグの模造品だから、大麻やLSDやMDMAのように「危険ドラッグ特有の効果が新しい音楽を生む」みたいなことはないだろうし、最近、問題になっている新手のやつは効果が強過ぎて音楽をつくる前にぶっ倒れちゃうんじゃないかな。

中矢:なるほど。そういえば、大麻解放論者は「大麻を解放すれば、危険ドラッグに手を出す人はいなくなる」と主張したりしますけど……。

磯部:開沼博氏も『漂白される社会』(ダイヤモンド社、2013年)で「日本では“違法”ドラッグのハードルが高いから、“脱法”ドラッグに流れるひとが多い」みたいなことを書いていたけど、大麻に寛容なアメリカでも、マイアミで起きた人食い事件の原因になったと言われるバスソルトが流行ったりしていたからね。あと、モーリーもほとんどはピュアなMDMAが入っているわけではなく、様々な薬物が混ぜ合わせられた“危険ドラッグ”だし。要するに、どうしたって人間のドラッグに対する興味は尽きることはないんだから、この問題でも的確な規制と、あと依存者に対しては取り締まるだけでなく、治療を施していくことが重要なんじゃないかな。

グローバル化の一現象としてのサマー・オブ・ラブ

中矢:最後に日本とアメリカ以外の世界にも目を向けた話をできればと。もうだいぶ経ってしまいましたけど、ワールドカップの時期、コンビニなどでブラジル音楽をわりと耳にしたんです。「今お聴きいただいたのは、セルジオ・メンデス&ブラジル’66の世界的ヒット・ナンバー『マシュ・ケ・ナダ』でした」とかちょっとした解説もあったり。だから、90年代にブラジル音楽はブームになったけど、今回のワールドカップを機にまた日本で流行ったりすることもあり得るのかなと思ったんです。結局、特に盛り上がらなかったですけど、90年代にブームになった経緯を振り返ったりして。あの時代、アシッド・ジャズの文脈からブラジル音楽がクラブ・ミュージックとして受容されるようになった後、「サバービア・スイート」で紹介されたボサノヴァがカフェ・ブームとシンクロしていきましたよね。で、今やエクセルシオールみたいなチェーン店のBGMでもボサノヴァは当たり前に使われ、渋谷直角の『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』みたいな本も話題になったわけですが。

磯部:今回のワールドカップに関連して日本で良くも悪くもいちばん話題になった音楽は椎名林檎の「NIPPON」だからね……。ほとんどのひとはワールド・カップを“世界で頑張る日本人”みたいな愛国番組の延長でしか観てないでしょ。リンダ3世の「ブラジリアン・ライム」とか面白かったし、音楽ファンの一部ではアントニオ・ロウレイロとかいわゆる新ミナス派が話題だけどね。あと、ポスト・バイリ・ファンキとしてのテクノ・ブレーガとか?

中矢:テクノ・ブレーガは北部の都市ベレンを発祥の地とする音楽で、基本的にブレーガという土着のポップスの80年代音源を、クラブ・カルチャーを通過したプロデューサーたちがリミックスしたものなんですよね。ガビ・アマラントスバンダ・ウオといったアイコンがデビューした2012年頃から、ブラジル全土で流行り始めているそうですが、ビジネスモデルもユニークといわれている。リミックス作業が中心の音源製作は低コストなので、完成したCDは露天商に超安いコピーを販売させることで、パーティに集客する広告として機能しています。実際、1万人以上が集まるパーティもあるらしくて。ただ、バイリ・ファンキのように国外でも注目される音楽になるのか、まだ何ともいえないところかなと。

磯部:バイリ・ファンキもパッケージよりパーティが重要みたいだから、そこも近いんだろうね。あと、最近のグローバルなベース・ミュージックの潮流とリンクしているようなところもあるし、もっと注目されそうな気もするけど。

中矢:バイリ・ファンキに関しては、M.I.A.の「Bucky Done Gun」に当時の彼氏であるディプロが取り入れたことで、その音楽の存在が国外でも広く認知されましたよね。

磯部:M.I.A.前夜、日本でバイリ・ファンキが注目され始めた頃はまだググれば何でも出てくるような時代ではなかったので(https://youtu.be/2Dd1P3VSuww)、同ジャンルをDJでよくかけていた露骨KITから「向こうのバイリ・ファンキのパーティでは、フロアにノーパンの男が一列に並んで、女の子は順番にピストンしていくらしいよ!」って教えてもらって、「すげー!」っていちいちカルチャー・ショックを受けていたし、実際、バイリ・ファンキの音にも欧米や日本にはない荒々しさが漂っていたとも思う。ただ、その後のネットの普及や、ベース・ミュージックのようなグローバルなムーヴメントの拡大によって、そういうエキゾチシズムやローカリズムを感じさせるジャンルは少なくなってきたよね。テクノ・ブレーガも洗練されてるでしょう。

中矢:先程も話に出たようにグローバルとローカルという言葉を掛け合わせた、グローカル・ビーツという言葉がキーワードになっていた時期がありましたよね。バイリ・ファンキのほかに、アンゴラのクドゥロ、アルゼンチンのデジタル・クンビア、インドネシアのファンコットなどがそれに当たると思いますが。

磯部:それがEDM以降、グローカル・ビーツが単なる“グローバル・ビーツ”として均質化していったと思うんだよね。K-POPなんかも、00年代はサウンドに独特の“訛り”があったのが、東方神起や少女時代のUS進出を機に徹底的にグローバライズが押し進められた印象があるし、最近、DJのwardaaがツイートしていた「ジャマイカでインターネットが普及して最新トレンドを追えるようになった挙げ句EDMが流行りまくってレゲエが衰退してる」という話には驚いたな。

中矢:なるほど。EDMだって、ロンドン発の重厚なダブステップの流れと、パリの洒脱なエレクトロの流れが合流して発生したものですけど、その2つの特性を大雑把に取り込んだダンス・ミュージックともいえる。そんな音楽は世界中に浸透しているわけですが、まだしばらく勢力は衰えないのかな?

磯部:柴那典氏の『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版、2014年)にしろ、皆、何かのムーヴメントが起こるとサマー・オブ・ラヴに例えるのが好きだけど、EDMは、モーリーの流行と合わせて考えれば、それこそまんま“サマー・オブ・ラブ”でしょう。そして、サマー・オブ・ラブって“お前はお前の踊りを踊れ”の真逆というか、“皆が同じ踊りを踊る”ことで自己という呪縛から解放されるムーヴメントなわけで、そりゃあ、没個性化していくよなぁっていう。ただ、ファーストでもセカンドでもサマー・オブ・ラヴが終わったあとは反動のように内省的な表現が増えたし、EDMが終わったあとに何が始まるのかにも興味があるけどね。

(構成=編集部)

■磯部 涼(いそべ・りょう)
音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。

■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう)
1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。

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