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”反抗の教祖”は尾崎豊の一面にすぎないーー今こそ音楽家としての功績を振り返る

リアルサウンド

13/11/24(日) 12:00

 1983年12月1日にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』でデビューした尾崎豊。彼のデビュー30周年を記念したベストアルバム『ALL TIME BEST』が11月27日にリリースされる。「若者の代弁者」「反逆のカリスマ」「10代の教祖」などと呼ばれ、管理教育や校内暴力など1980年台当時の世相と重ねて論じられることの多い尾崎。「盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま」(「15の夜」)「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」(「卒業」)といったフレーズはあまりにも有名だ。しかしミュージシャン・尾崎豊を語る上でそういった「反抗性」「自由への渇望」はある一面にすぎない。肥大したパブリックイメージから離れて純粋に彼の音楽に耳を傾けてみると、今なお色褪せない彼の残した数々の功績が見えてくる。

 尾崎豊の詞世界というと、先に述べたような反抗性をベースとしたものが取り上げられがちだ。しかしそれぞれの楽曲をみると、どれもが非常に端正で美しい日本語によって綴られているのがわかる。なかでも特徴的なのが、目に見える風景と心象風景とを織り交ぜながらの素直な自分語り。「人や車の流れを 自分のさみしさの様にみていた」(「ドーナツ・ショップ」)という詞は、ロックというよりはむしろ フォーク・ミュージックを思わせる。65年生まれの尾崎は70年代フォークに多大な影響を受けており、実際デビュー前には因幡晃の「ありがとうS.Y.さん」やさだまさしの「雨やどり」をコピーしていた (「7th Memorial 虹」収録)。フォークギターを片手に歌う尾崎をオーディションで観たプロデューサーの須藤晃はその第一印象を「井上陽水さんや岸田智史さんとか、そういう叙情派フォークに近い感じだった」と述べている(須藤晃「時間がなければ自由もない –尾崎豊覚書−」)。現在では一般的なものとなった文学的ロックを発展させた人物のひとりであり、ロックにフォークの文学性を大胆に取り入れたのが尾崎豊であった。

 フォークが出自の尾崎にロックを教えたのは須藤。彼はもっと幅広い音楽性の中から尾崎が自分で望む方向性を見つけるための手助けをしようと、音楽的な基礎知識を授けたり、様々なアーティストの音楽を尾崎に聴かせていった。その中でも特に尾崎が惹かれたのが、先行するロックアーティスト、浜田省吾や佐野元春の音楽だ。そこで須藤は彼らを支えた町支寛二と西本明の二人を迎え、ファーストアルバム『十七歳の地図』を制作。アレンジ的には、ブルース・スプリングスティーンなどの影響を消化した80年代ロック直球のサウンドであり、後のJ-POPのひな形、原型ともなった。 メジャーなフォーマットの上に乗った尾崎の透明でありながらも生々しく切実な声は、楽曲に緊張感を与え、彼の音楽を孤高で唯一無二のものにした。

 そして忘れてはいけないのが抜群に優れた彼のメロディーセンス。最近ではMr.Childrenやコブクロ、宇多田ヒカルらによってカバーされた彼の楽曲によって、はじめて尾崎豊をしる若者も多いという。彼らのような尾崎を原体験していない世代が30年近くも前の曲に惹かれる理由、それは「大人への反抗」を歌った歌詞でもなければ、カリスマ性あふれる尾崎の出で立ちでもない。純粋に音楽として、メロディーラインの美しさに魅力を感じるのだそうだ。尾崎の曲が今も世代や国を超えてカバーされ続けていることは「作曲家・尾崎豊」の偉大さを如実に表している。

 今回発売となるベストアルバム『ALL TIME BEST』には初回特典として1984年に秋田市文化会館で披露された「I LOVE YOU」と1987年に茨城県民文化センターで歌われた「路上のルール」のライブ映像を収録したDVDが付属となる。どちらも初めて商品化されるライブ映像。尾崎の残した珠玉の楽曲とともに、彼の貴重なライブパフォーマンスも楽しみたい。  
(文=北濱信哉)

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