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『違国日記』ヤマシタトモコが語る、“口うるさいマンガ”を描く理由 「人のあり方は多様でいいと気づくのはすごく難しくて苦しい」

リアルサウンド

21/2/17(水) 8:00

 「FEEL YOUNG フィール・ヤング」(祥伝社)にて連載中のヤマシタトモコによるマンガ『違国日記』の7巻が2月8日に発売された。

 35歳の少女小説家・高代槙生(こうだいまきお)と、その姪である15歳の少女・田汲朝(たくみあさ)。まったく違う性格を持つ2人が、“人と人は絶対に分かり合えない”ことを実感しながらも共に生きていく姿を描いた本作は、私たちが普遍的に抱える心の葛藤や傷を言語化し、「このマンガがすごい!」をはじめとする数多くのマンガ賞やメディアで話題を呼んだ。

 さらに7巻では、槙生の元恋人である笠町や、身寄りのない朝の後見人となった槙生を監督する弁護士・塔野のエピソードに触れながら、彼らを苦しめてきた“呪い”の正体や“男性社会の洗礼”にも言及し、そこから生まれる男女差別についても描かれる。今回は作者であるヤマシタ先生にインタビューを実施し、7巻で読者に伝えたかったことや、男性キャラクターに託した想いについて話を訊いた。(苫とり子)

男性読者にも物語の中のどこかに自分を見つけて欲しい

――そもそも、ヤマシタ先生が『違国日記』を描こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

ヤマシタトモコ(以下、ヤマシタ):打ち合わせで話したことだったり読んでいないんですが数年前に遺品整理や引越しで見つけた祖父や母の日記だったり、ヒントになったものはたくさんあるんですが、打ち合わせで「どういう作品を作りましょうか」と聞かれてまず答えたのが、ポール・フェイグ監督の『ゴーストバスターズ』ですね。ああいうものを描いてみたい、と。これは4人の女性が幽霊退治を行うSFコメディなんですが、その中で女性同士の連携が描かれていたり、出演者のケイト・マッキノン自身がレズビアンを公表していて、彼女が演じるキャラクターもそうなのかなというほのめかしがあったりする。なにより女ばかりが集まった時の超楽しい感じが最悪で最高!と思って、同じように楽しくて優しい、ハッピーな作品を描きたかったんです。当初想定していた物語とは、ちょっと違う形にはなりましたけど(笑)。

――たしかに『違国日記』はまた違った雰囲気ですが、女性のキャラクターそれぞれの葛藤や苦しみが至るところに散りばめられていますよね。ただ、7巻では笠町や塔野など男性キャラクターのエピソードが中心に描かれていますが、女性だけではなく男性の悩みにも触れた理由は?

ヤマシタ:これはよく言われることですけど、フェミニズムは女性だけのものではないんですよね。女性が踏みつけにされている問題には必ずそこに男性からのミソジニーの眼差しが含まれている。それに作中でも描いたように、男性もマッチョイズムから抜け出せなくて自傷し続けているような“男性性”から解放されてほしいし、フェミニズムは男性を抑圧から解放するきっかけでもある。だけどありがたいことに男性も『違国日記』を読んでくださっているけど、その男性読者の中には「これは女性の話で自分には矛先が向かない」と思っている方も少なからずいるような気がしたんです。元々笠町のことなどは掘り下げていくつもりでしたが、アプローチは少し変わった気がします。男性読者にも物語の中のどこかに自分を見つけて欲しくて。

――どこか他人事な気がしたと。なにより今回のお話は男性の呪いがすごく分かりやすいエピソードとして描かれていますが、どこからヒントを得られたんですか?

ヤマシタ:行動から垣間見えるものを勝手に想像したり、男性性について書かれている記事や本を読んだり。だから、いつもそうですが今回は特に、読者の反応が未知数なんですよね。リアルだと思ってくれる人もいれば、やっぱり自分の話じゃないと感じる人もいるはず。もしかしたら、ここまで楽しく読んでいたけど急に拒絶される可能性もあるかなと。ただ普遍的な話ではないにしても、私は“お前ら”の話もしていきます!ということは伝えておきたかったんです(笑)。

傷ついたら、ベッドで涙を流してほしい

――では、連載が始まる前からというよりは男性の読者も増えたから彼らのエピソードも入れようと思ったということでしょうか。

ヤマシタ:でも最初にキャラクターを考えて笠町の顔や人となりをメモしたネタ帳に、「槙生の元彼(かつていじめられていた)」って書いているんですよね。

 結局この設定はなくしたんですけど、経済的な豊かさがあって体格や能力に恵まれていて“男性らしい”とされる男性が、人には曝けだせないし見つけてもらえない苦しい過去や経験を持っているというエピソードは何かしら入れたいなと思っていたんです。

――そこから今の設定にしたのはなぜですか?

ヤマシタ:キャラクターたちの中で笠町は読者に好きになってもらおう、ときめいてもらおうという役割をもっとも担うところの人なんですが、今私たちがときめく男性像ってどんなだろうと考えていてだんだんと像が見えてきたというか。彼には「優しくありたい人」という核があります。その動機のひとつとして、男性が父親から愛されなかったと感じる時の苦しみ、それを周囲と容易に分かち合えない苦しみを託そうかなと。

――笠町は7巻において男性社会を降りると決めたら楽になった、と振り返っていますが、一度はステージに上がった彼が「ここから降りよう」と思えたのはなぜでしょうか。

ヤマシタ:人のあり方は多様でいいと気づくのは実はすごく難しくて苦しいですよね。結局そのプロセスは自分という人間を受け入れるということだったのかなとまだ道半ばですが自分の20代、30代を振り返って思います。どこかで呪縛や思い込みに気づいて意識的に変わっていくしかないんじゃないかな。

――男女ともに“こうあらねば”という呪縛や思い込みに気づくのは難しいですよね。それこそ、今回の7巻を読んで初めて気づくという人もいそうです。

ヤマシタ:そしたらベッドで涙を流してほしいです(笑)。私は物語を読んで傷つくのが好きなんですけど、みんな疲れているよねと思って序盤は色んな意味で読者に優しくしたつもりではいるんですが、ちょっとそろそろ……と思って少しだけ傷ついてもらいたいな、傷つくの気持ちよくない?という回を盛り込みました。

――連載の段階では、読者からどんな反応は返ってきましたか?

ヤマシタ:たまたま目にした感想でなるほどと思ったのは、「笠町も塔野もハイスペックだから、男性らしさから降りられるんだよね」という意見ですね(笑)。それこそ塔野は最初からそこに乗れないし、乗りたいとも思っていない人間だから一度も男性社会の洗礼に参加できずに、参加せずにここまでこれているわけですけど、たしかに彼が同時に男らしさにすがらなくても生きていけるだけのスペックを持っているからという側面もあるなと。でも、マンガだからかっこいい登場人物を書かなきゃいけなくて、私もジレンマなので、そこは勘弁してっていう(笑)。もちろん彼も人生順風満帆の人ではないんだけど。でも、その感想はそれだけ身近な話として考えてくれたということなのかなと思いましたね。

私もずっと模索中

――まだまだジェンダーギャップが大きい日本ですが、それでも「女性らしさ」「男性らしさ」という言葉に違和感を持つ人が増え、Twitterで議論が広がったり、影響力のある芸能人がジェンダーに対して意識的な姿勢を表明するようになったりと変わってきた側面もあると思います。ヤマシタ先生も良い変化を感じることはありますか?

ヤマシタ:まだまだ発信すること自体にリスクがあるのが怖いし悲しいですが、発信するという行為自体が珍しいものではなくなりつつありますよね。それってすごいことなんじゃないかと思います。それこそ10年前はジェンダーの問題が議論になること自体が少なかったですよね。私自身も10年前はそこまで意識的だったかと言われるとそうではないし、苦しさを言語化できずにいたり、自分が加害側に回っていたことも多くあったと思います。

――そこからヤマシタ先生がフェミニズムについて意識されるようになったきっかけは何だったんでしょうか。

ヤマシタ:海外ドラマを見始めたことが大きいかもしれません。洋画や海外ドラマ好きのコミュニティや作品の中で扱われるテーマや議論、海外の俳優が差別や政治について言及したりしているのを見て私も少しずつ意識したり、自分の経験を振り返るようになりました。

――ジェンダーギャップ指数を見ても海外に比べると日本は男女平等の面で遅れをとっているので、なかなか進まない議論にもどかしさを感じている方も多いと思います。

ヤマシタ:5年後、10年後の日本がどうなっているのかは想像もつかないですよね。ただ「#KuToo運動」はテレビで取り上げられるほど大きなムーブメントになったので、それは嬉しい驚きでもありました。何事も日進月歩だなと思います。私もずっと模索中だし、もしも7巻を読んで今まで無視してきた自分の苦しみにふと気づいてくれる人がいたら嬉しいです。

――エンタメ作品のあり方も数年前とは大きく変わってきて、『違国日記』もそうですが価値観を広げてくれるような作品が増えてきたことも私たちの意識の変化に繋がったと思うんです。ヤマシタ先生が出会ってきた作品の中で、自分に気づきを与えてくれたものはありましたか?

ヤマシタ:4年くらい前に読んだマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』は大きかったですね。『侍女の物語』は女性差別が徹底されたディストピアが舞台なんですが、そこで行われていることは舞台を変えただけで、私たちの世界と一緒なんです。なにより驚くべきなのは、1985年に書かれた小説が30年経った今でもなんらリアリティを失わずに私たちの今生きる世界と重ねて読めてしまうということ。衝撃でした。

――何だか悲しいですね。

ヤマシタ:でも女性に選挙権がなかった70年前を思うと少しは変わったのかなと思ったり、一方で友達の子どもを見ていると、この子が成人する頃にもきっとまだ苦しい現実は終わっていない。さらに言うとその子どもが生まれたとして、その子が成人する頃にも終わっていない可能性はあるよなって思うと気が遠くなりますね。でも今私が「口うるさいマンガ」を描くことで誰かの心に波を立てることくらいはできるかもと思っています。

自分の中に眠る“まだ気づいていない偏見”

――ヤマシタ先生のその気持ちは、7巻で朝が抱く“ある小さな行動”で世界を変えたい、誰か一人でいいから伝わってほしいという思いと重なる部分があります。

ヤマシタ:私の気持ちはもっと暴力的ですけどね(笑)。私にとっての希望のひとつの形を、物語の中の「最大公約数」のキャラクターである朝に託してみました。

――ただ、どんなに意識していてもまだ気づいていない偏見が自分の中に眠っていて、なかなか指摘されずにそのまま……ということもあると思うんです。そういったことにヤマシタ先生はどう向き合っていらっしゃいますか?

ヤマシタ:私もよく「こういうことに苦しんでいる人がいるとは知らなかった、見えていなかった」と思って反省します。例えばSNSをやっているなら、普段から「自分が差別的なことを口にした時はためらわずに指摘してほしい」というスタンスを表明しておくというのはどうでしょうか。実際友達が「それはちょっと偏見だよね」と指摘してくれることもありました。視点の多さが大事で、切磋琢磨だなと思います。「こいつ面倒くさいな」って思われておくこと、面倒くさい友達がいることが大事(笑)。

――指摘された時に、受け止める力も必要ですよね。4巻で朝が「なんでこんなこともできないの?」という言葉で槙生を傷つけてしまい、謝るよりも先に「こんなことで傷つく方がおかしい」と言ってしまう場面がありますが、性別に限らず自分の中にある偏見を指摘された時に、素直に謝るためにはどうしたら良いのでしょうか。

ヤマシタ:これも私はずっと考えていてずっと描いているテーマではあるんですが、「自分を善人と思わない」ことですかね。私は自分が善人ではないと思っていて、だからこそ気をつけていなければいけない、無防備でいたら簡単に悪いことをしてしまうし、「悪気はなかった」という言い訳をしてしまうだろうという危機感を常に抱いています。自分のことを善良な人間だと思っていると、「自分は悪いことなんてするわけない、そんなつもりじゃない」と言ってしまうのかなと。

――最後に、7巻を読んだ方にメッセージをお願いします!

ヤマシタ:ごちゃごちゃ考えて描いてはいますが、根本は「楽しんで読んでもらいたい、ひとときの読書体験を提供できたら嬉しい」という気持ちです。楽しく読んでもらえたら嬉しいです!

■書籍情報
『違国日記』7巻(フィールコミックス FCswing)
著者:ヤマシタトモコ
出版社:祥伝社
発売日:2021年2月8日
価格:本体720円+税
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