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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

ルービンシュタインコンクール、予選の会場となったアートミュージアムのエントランス前。テル・アビブの街には猫が多い

あなたの知らない、国際ピアノコンクールの世界

イスラエル、聖地とビーチとコンクール ルービンシュタイン国際ピアノコンクールの思い出

全10回

第7回

19/9/9(月)

世界のコンクールの取材をしていると、ロシアやポーランドなど、きっかけがなければ観光ではなかなか訪れない国に行く機会があります。

イスラエルも、私にとってそんな国の一つでした。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレムは、一度訪れてみたい特別な場所ですし、塩湖として知られる死海やテル・アビブのビーチは人気のリゾート地です。しかし、パレスチナ問題による紛争が起きていることもあって、日本人にとって、気軽に遊びに行く国という感じではないかと思います。

エルサレムの旧市街は城壁に囲まれている。その入口の一つであるダマスカス門

そんなイスラエルで3年に1度行われているのが、ルービンシュタイン国際ピアノコンクールです。開催される都市は、テル・アビブ。かつては首都でしたが、現在、イスラエルは自国の首都をエルサレムだとし、国際連合はそれを認めていないという複雑な状況となっています。

私が取材でイスラエルを訪れた2014年当時、入国のスタンプはパスポートの冊子でなく、別紙に押して渡されました。聞くところによると、イスラエルに入国した記録があると、その後対立関係にある一部の中東諸国に入国できなくなるからだそう。

街のあちこちには、軍服姿の若者が歩いています。これは、イスラエルのユダヤ市民は18歳になると、基本的に男性は3年、女性は2年の兵役に従事することになっているため。自由時間は街で普通に暮らしていて、若い兵士が雑誌片手に音楽を聴きながら電車を待っていたり、女性兵士のグループが駅前でたむろしておしゃべりに興じたりしていました。軍服姿でコンクール会場にきて、熱心に演奏に耳を傾けている若者もいました。音楽の道を目指している学生だったのかもしれません。

こういうと、国中殺伐とした雰囲気のように聞こえるかもしれませんが、テル・アビブのビーチは美しく、多くの観光客で賑わっています。人々は明るく親切です。

ちなみに、私が取材した回のコンクールでは、コンテスタントはビーチ沿いのホテルに宿泊していました。ただ、権威あるコンクールのわりに経済面は厳しいそうで、2名1室の相部屋(一人部屋希望の場合は有料)。練習室も充実しておらず、かわりにホテルの部屋にアップライトピアノが設置されていました。でも、相部屋なわけです。あるコンテスタントは、「ルームメイトが部屋で練習しているときは、僕はただひたすらビーチに座っている」と話していました。緊張感のあるコンクールの日々と、居場所がないからビーチで暇つぶしするという行動とのギャップ、なかなか味わい深いですね。

テル・アビブはビーチ・リゾートとして人気。街の雰囲気もおだやかで、シーフードもおいしい

さて、このコンクールの名前となっている、アルトゥール・ルービンシュタイン。

彼は1887年ポーランド生まれのユダヤ人で、1982年にジュネーヴで他界すると、本人の遺志によりエルサレムに埋葬されました。特にショパン弾きとして有名な、20世紀を代表する巨匠です。

ルービンシュタインコンクールが創設されたのは、1974年。ルービンシュタインの生前最後となった1977年の第2回に優勝したのは、ドイツ人のゲルハルト・オピッツでした。

この経験について尋ねると、オピッツさんは、当時のイスラエルにはまだホロコーストを生き抜いた方々がたくさんいて、もしかしたらドイツ人の自分は辛い経験をするかもしれないと思いながら参加したけれど、実際には逆で、一部の聴衆がとても熱心に応援してくれたと話していました。当時すでに90歳のルービンシュタインも、身内がホロコーストで悲惨な経験をしていたため長らくドイツで演奏していなかったにもかかわらず、ドイツ語で優しく声をかけてくれたといいます。音楽の力は、どんな人種の分断も乗り越えることができるのかもしれないと思える経験だった、とおっしゃっていました。

音楽が大好きで会場に集まって来ていることが感じられる地元の聴衆

最後に、2014年のコンクールで事務局長をつとめていたイディト・ズビさんに聞いたルービンシュタインの思い出をご紹介しましょう。

イディトさんは、元ジャーナリストでありピアニスト。学生時代、ニューヨークでルービンシュタインのマスタークラスを聴講したことがあるそうです。曰く、「マスタークラスでルービンシュタインが話したことはあまり覚えていないんだけど、その時の生徒に、『若者よ、恋をしなさい。そうすればあなたの演奏はずっと良くなりますよ』と言った、そのことだけははっきり覚えています」

ルービンシュタインは、とても生き生きとした、人生を愛している人だった。そうイディトさんは話していました。

プロフィール

高坂はる香(こうさか・はるか)

音楽ライター、編集者。ピアノ専門誌の編集者として、世界のコンクールやピアニストを取材。現在はフリーライター、編集者として活動。「クラシックソムリエ検定公式テキスト」編集長。著書に「キンノヒマワリ ピアニスト 中村紘子の記憶」(集英社)がある。

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