Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

横浜・みなとみらい特集

映像×音響のインスタレーションアートが「ぴあアリーナMM」ピロティ―に!参加アーティストらが語る座談会 第1回

特別連載

第1回

20/7/23(木)

横浜みなとみらいに今年7月10日に開業した新施設「ぴあアリーナMM」。普段から多くの市民や通勤者、観光客が行き交い、公演時には最大1万2千人の観客が訪れるそのエントランス前の空間「Motion Corridor(モーションコリドー)」で、7月1日より、映像と音響によるインスタレーションアートの放映が開始された。約50メートルの通路にある8本の柱には、それぞれ55インチの縦型ディスプレイ2台を使った、巨大な縦長のサイネージが設置。今後、この環境を舞台に、さまざまなクリエイターの作品が展開される予定だ。

横浜みなとみらいにオープンしたぴあアリーナMM。写真右は1Fエントランス前の空間「モーションコリドー」

今回は、その記念すべきオープニング作品を制作した3名の映像作家のうち、抽象的な色彩空間が魅力的な「Border Play」を手がけた「Qubibi」の勅使河原一雅、3作品のサウンドを担当した音楽ユニット「□□□(クチロロ)」の三浦康嗣、企画・制作を担ったバスキュールの春日恵、ぴあの平野淳による座談会をお届けする。街に開かれた実験的な空間における作品づくりで、彼らはどのような点にこだわり、何を考えたのか? そこから見えたパブリックアートの可能性とは?

「Border Play」Ⓒ 2020 Qubibi/勅使河原一雅

「若い作家の登竜門的な場を」
勅使河原一雅×三浦康嗣×春日恵×平野淳 座談会

左から平野淳(ぴあ)、三浦康嗣(□□□〈クチロロ〉)、勅使河原一雅(Qubibi)、春日恵(バスキュール)

── 「モーションコリドー」はどんな経緯から生まれた空間なのでしょうか?

平野 もともとみなとみらいは、地上2階レベルにペデストリアンデッキという歩行者用通路が通るエリアになります。今回、「ぴあアリーナMM」の建設にあたって、お隣の建物と連続したデッキを作ることになったのですが、その際、地上階部分に、通路を支えるための柱の並ぶ空間(ピロティ)ができるため、そこを活かして何かができないかと考えたことがスタートでした。

「ぴあアリーナMM」の体験型コンテンツの企画を担当したぴあの平野淳

最初に考えたのは、サイネージを設置して、公演情報や広告を打てないかということ。しかし、じつはみなとみらいは、街中にデジタルサイネージや広告がほとんどない街なんです。そこで、ただ公演情報や広告を流すだけではなく、アート作品をメインで流すことによって、街の雰囲気に合った空間にできるのではないかと考えました。

この場所は、公演日には最大で1万2千人の音楽ファンがいらっしゃる場所です。そうした空間があれば、訪れた観客の方にライブ前の時間を楽しんでもらえるのではないか。また、道路に面したこの場所は、観光客や、この街に在住・在勤する方々も多く行きかうため、きちんとひとつのパブリックアートとして認識される場所を作ることで、コンサートの有無にかかわらず賑わいを創出したいと考えました。

「モーションコリドー」には8本の柱があり、縦長の映像作品が流れる

── そうしたなかで、勅使河原さんに依頼をされたのはなぜだったのですか?

春日 個人的にお仕事をしたのは今回が初めてだったのですが、勅使河原さんにはいままでもバスキュールの仕事に関わっていただいたことがあり、安心感があったんです。それと、モーションコリドーのそもそもの考え方として、今後、あのサイネージで作品を発表したアーティストの数がどんどん増えたとき、若い作家の登竜門的な場所になったらいいなという思いがあって。

そう考えたとき、まず最初は、アーティストや感度が高い人がみんな知っていて、多くの作家が目指す存在である勅使河原さんだろう、と。勅使河原さんには最初にオーダーしましたね。

今回の企画・制作を担ったバスキュールの春日恵

みなとみらいとの関連性を積み上げることから始まった作品作り

── 勅使河原さんは過去にも公共空間の作品を手掛けていますが、今回、モーションコリドーという新たな場所に作品を作るに当たり、どのような切り口で制作を開始されましたか?

勅使河原 始めに考えたのは、みなとみらいと自分の繋がりについてです。制作をする時は、自分との繋がりを沢山見つけて動機にしたいというのがまずあるんですが、今回は特定の場所での作品というのもあるし、まずはみなとみらいとの接点が欲しかった。

それと、当初から抽象映像を見たいという、春日さんからのオーダーがあったんですよね。僕は以前から境界線をテーマにした抽象映像を手掛けてきたんですが、オーダーとはいえ、みなとみらいでそれをやる自分なりの根拠を見つけたかった。じつはみなみとみらいにはよく訪れていて、気持ちが浮かないとき、臨港パークという公園でビールでも飲みながらぼんやり海を見ることが年に数回あるんです(笑)。

今回もそんな感じで海を眺めてみれば、やっぱりそこには陸と海、海と空で境界線があるわけです。そもそも境界線なんてどこにでもあるんですが、探す過程での自分の選び方によって見えてくる輪郭があるんです。そうやって少しずつ自分とみなとみらいの関連性を積み上げることから始めました。

映像を担当した勅使河原一雅

── 実際に完成した作品も、8本の柱にそれぞれ異なる8種類の色面のパターンがあり、その色彩同士の境界線がまるでアメーバのように変化する映像になっていますね。

勅使河原 こうした抽象映像はもう長年やっていて、ともすれば自分にとっては新鮮味のない作業になってしまう。だから、この制作がそうならない為にはどうしたら良いか悩みました。

春日 制作に併走していて面白かったのは、勅使河原さんが今回の完成作を「Ver. 0.5ぐらい」とお話しされていたことです。一見、仕上がっているように見えますが、じつは個々の作品を発展させようと思えばできる余地を残している、ということですよね。

勅使河原 これらは謂わば制作の途中途中で生まれたものなんです。例えば、出世魚って成長につれて名前が変わってお店に並ぶじゃないですか。あれと同じようなもの。だから、どれもこれも途中ともいえるんですよね。

モーションコリドーは8本の柱とその位置関係があるので、まずはそれを活かすことが考えられると思うんです。柱から柱になにかが動いて連鎖したりとか、そういうことですね。ただ、抽象映像って効果とか役割を持つと格好悪いと思っていて。

最終的には「見る人がそれぞれの柱に興味をもち移動していく」ということさえ叶えばそれで良いのだから、いっそのことグループ展のように色んな作家の色んな作品が並び色々楽しめますよといった状況を作れないかなと。ああいうのって作品によって方向性やクオリティに差があったりするけど、バラけ方が体験に立体感を生み出してると思う。そうして、作業ログ的に吐き出すことで沢山作ろう、ということになりました。

春日 8本の柱をまるで違う作品にしたのは勅使河原さんだけですね。

勅使河原 短い作期間を踏まえての取り組み方ではあったんですが、最後は出し殻のようになってました。

「8本の柱がある空間」のなかで生まれる“音の体験”

── いっぽう、三浦さんに声かけられたのはどんな経緯だったのでしょうか?

春日 三浦さんも過去にバスキュールの仕事をいろいろやっていただいていて、楽しみながら一生懸命やってくれるというところで信頼感がありました。そもそも、三浦さんは音楽に関しては非常に突出した存在だと思うんですね。今回のような、8本の柱からなる特殊な空間における音の作り方についてもすごい熱心に考えていただいて、入っていただいてよかったと思いましたね。

── 依頼のかたちとしては、最初に尺を決めて、といったあたりから進められたのですか?

春日 いや、今回はとくに尺を設けなかったんです。というのも、広告ならば15秒や30秒という時間的な尺があるわけですが、それをしてしまうとアートではなくなってしまうと思ったので。それぞれのアーティストは、時間は自分たちで決めてくださいとオーダーしましたね。

── そうなると、映像と音楽の兼ね合いも余計に複雑になりますね。三浦さんと勅使河原さんのあいだではどのようなやりとりがあったのでしょうか?

三浦 今年の頭くらいにテッシー(勅使河原)と初めて会ったとき、最初に話したのは、映像と音を同期させるのは簡単だけど、それだとコマーシャルっぽくて面白くないし、アートと遠ざかるよねということでした。だったら、それぞれどんな映像と音を作るのかを考えず、テンポだけを決めてあとから合体させたら面白いんじゃないかと。そういうコンセプトを立てましたね。

音楽を担当した三浦康嗣

── それは、3作家の作品ともそうですか?

三浦 もともとは、3本の映像に合わせてすぐ3つの音楽を作るのも難しいから、いろいろな音のパーツを作っておき、その組み合わせでバリエーションを作ろうとしました。ただ、やはり映像が出来るとそれに寄り添いたくなるというか。あと、現実空間で流してみると、細かな音がぜんぜん映えないことがわかったりして、ほか2人(井口皓太・RYOJI YAMADA)に関してはあとからだいぶ変更しました。一方、テッシーの作品の音楽には、当初のコンセプトが生きています。

勅使河原 三浦さんとは、最初の話し合いをしたっきりで、あとは制作中に手紙のようなメッセージをバスキュールさん越しに1、2回送ったのみです。どんなものが出来てきても良いかなと思っていました。実際にちゃんと曲を聴いたのも納品の後ですね。

── 一定のリズムが印象的な音楽でした。

三浦 特徴的なのは、テッシーの映像が10秒単位だったことです。一般的なポップスは大抵4小節や8小節や16小節で、5小節となる10秒はあまり馴染みのある単位ではない。でも、普段とのズレの感覚があるのはアート的だし、10秒は明らかに時報を意識していることがわかったので、時報の要素を入れました。テッシーの映像自体が、細胞がウニョウニョと自ら分裂するような感覚のあるものだったので、自分の音楽も映像から自由に作った実感がありますね。

春日 勅使河原さんの作品の音楽は、ある柱の前で聞こえた音にほかの柱の音がどんどん混ざり合っていくようなセッション的な感覚があり、そこもすごく面白かったです。

三浦 「8本の柱がある空間」というキャンパス全体で、音の体験を作ろうとしました。あれだけ広い空間の場合、聴こうとしても全貌は絶対聴こえないんですよね。それが重要だなと。

公演前の行列を作るお客さんは、少しずつ前に進むわけですが、位置によって音の経験が変化し続けるものを作りたかった。語弊があるかもしれないけど、モーションコリドーのような複数の場所で空間的に流す音の場合、一本の柱にすごく意味を込めることは重要ではないと思うんです。そうではなく、「その場にいるとなんか気持ちが良い」とか、そういう感覚の方が重要で。

勅使河原 映像は、柱と柱に距離があるので、対峙している作品以外はほぼ見えないんです。音は状況によって混ざり合うけれど、映像はどこまでも個として保持される印象があります。

── そもそも、美術館やコンサートホールのような純粋な鑑賞のための場所ではない空間で、この作品を見る人にどのくらいの能動性を期待するのかも、難しい問題だと感じます。

勅使河原 単純に、この場所を訪れる多くの人は、この映像や音が誰のものかということを、とくには気にしないと思うんですよね(笑)。

三浦 そうそう(笑)。たぶん誰も気にしていないよね。

勅使河原 わざわざこのために来る人は少ない。しかも、今日(取材日)のように大雨が降っていたり、日光が強かったりすれば、その環境によっても作品の見え方は変わってきてしまう。時間体験にしても、5分の作品の真ん中あたりの10秒しか見ないかもしれない。そういう意味で、見る人がどのタイミングでこの場を離脱しても、あるいはその日の天候や環境がどんなものであっても構わないと思って作っていました。

── もうひとつ、公共空間に置かれる作品の場合、難しいと思うのは、街から浮き過ぎていても作品に親しんでもらえないし、逆に馴染み過ぎていてもただ通り過ぎられてしまうということ。そのあたりの、周辺環境と作品が与えるべき異質な経験の関係に関してはどう考えていますか?

三浦 音楽については、今回は公共の場所なので、そもそも不快な音を付ける提案は通らないだろうなと思っていました。ただ、普通に商業的な音楽を付けても、モーションコリドーの求めるアート性には届かない。その意味で、ポップスに寄り過ぎず、かつ聞いていて不安にならないバランスを最後まで考えましたね。

音の快/不快って複雑な問題で、たとえばタイ料理に慣れていない人にとって、パクチーは抵抗があると思うんですね。でも、日本人は大葉のような癖のある植物も食べていて、じつはただ慣れの問題でもあるわけです。音楽で言えば、このアリーナに訪れる多くの人にとっては、風や信号機の音のような環境音は「音楽」ではないノイズかもしれない。でも、そうした音を音楽だと捉える人もいるわけですよ。それをどう溶け込ませるか、という視点が重要で。

勅使河原 三浦さんの音楽って、ポップなんだけど、個人的には電話の受話器の向こうから流れてくる音に近いイメージもあって。ラジカセとか、劣化したテープの音のような印象なんです。

三浦 何かが「足りていない」んだよね。完成されていない感じ。さっきテッシーが話した天候による作品体験の変化も含めて、普段、普通のポップスに親しんでいる人にとっては、何かいつもとは違う音の体験ができて、一方でノイズも含めて音楽として楽しめる人にとっては、やろうと思えば豊かな音の探究ができる。そういう環境を作ることが重要だったと思います。

春日 音に関しては、三浦さんに付き合ってもらい、バスキュールのラウンジに柱に見立てた8つの出力口を作って、人が移動による音の聞こえ方をさまざまに実験もしました。ただ、実際に現場に立ってみると、柱と柱の間隔も広いし、車の音など周囲の環境音がけっこう聞こえることがわかった。

そこで、自然の音だけではなく、映像で言えば「アイキャッチ」に当たるような、耳に残る、三浦さんがいま言われたような一種の違和感のある音を入れる調整などもしていただいています。おそらくここを通る人の多くは、ただ通り過ぎるか、列に並びながらスマホを見ていると思うんですね。そんな人が、ふと気になってしまう音があるといいなと思っていました。

── 現場を見たうえでの調整もかなりされたのですね。追求するとキリがなさそうですが……。

三浦 そのバランスは、自分で考えていてもキリがなくて、ある意味、締め切りで切断されるものでもあると思うんです(笑)。その点、テッシーと、完成までは欲深く足掻くけど、最後は「この作品をこう体験してほしい」という欲を捨てるという姿勢を共有できたことは大きかったですね。

勅使河原 ちょっと制作への向き合い方が似ている気がしましたよね。

三浦 似ていたと思うよ。締切を優先するところとか(笑)。

勅使河原 こう体験して欲しいなんて欲があると、見る側からすると作品越しに作家の存在を感じてしまい、ちょっと暑苦しい気がしちゃうというか。見る側にばれなきゃ良いんでしょうね。作家や作品は鑑賞者に背中を向けていて、鑑賞者はその背中越しに作品の行く先を見ているような関係にしたい。

三浦 お膳立てしてくるものが嫌だってことでしょ?

勅使河原 そうですね。たとえば子供が「パパ、パパ」とこっちに来ているときよりも、おもちゃに夢中になって一人で遊んでいるのを眺めるほうが楽しい。作品の体験も同じようであって欲しい。ただ、すごく見て欲しいとも思うんです。すごく伝えたいとも思うから、それこそ大人を引き込む子供のように引力めいたものを作品に持てたら良いかな。

今回の制作を通して感じられたパブリックアートの可能性

── 春日さんと平野さんは、制作過程で印象的だったことは何ですか?

春日 僕は、制作中の勅使河原さんの悩みっぷりですね(笑)。頻繁に連絡をいただいて、真剣に答えていると、今度は数時間後に「僕が話したことはすべて忘れてください」との返事が送られてきたり……。制作への入り込み方がすごいなと思いました。

勅使河原 一緒に仕事をするからには身内のようなものなので、自分の考えてることをだだ漏れにしてたんです。そうして人に伝えると伝えた直後に何故か「これだめじゃん!」となることが多いんですよ。つまり僕の場合、人に伝えると良し悪しがわかる。そんなことを繰り返していたので、途中から皆、全く返事をくれなくなってました。

平野 僕も、勅使河原さんが悩みをSNSに投稿しているのを見ながら、「頑張ってください!」と祈っていました(笑)。正直、制作途中では完成像があまり見えていなかったのですが、出来上がったものを見たら異なる8種類の映像があり、「おぉ、すごい!」と。ひとつを見るとほかも見たくなるし、ひとつの画面の上下でも微妙に感覚が異なる。単純に楽しい体験でした。

勅使河原 見てたんですか!(笑)。でもそういうの嬉しいですね。たしかに制作中、ぽろぽろと出来たての絵のキャプチャーをSNSに漏らしたりしてました。振り返ると、気持ちが軽くなるものを作りたかったんだと思います。制作当時は新型コロナウイルスの騒動前でしたが、力が抜けるようなもの、心が明るくなるようポップさを持つ質感を思い描いてました。

── 最後に、実際に空間に作品をインストールしてみた印象や、今回の制作を通して感じられたパブリックな場所におけるアートの可能性などあれば、教えてください。

三浦 当たり前ですけど、本当に天気や風向き、通行量によっても、作品の見え方、聞こえ方は変わりますよね。でも、人は、背景や周囲にどんな情報が来ても、作品とその情報の関連性を見出してしまうと思うんです。その意味で、僕がいくら「こうしたらよかった」と思っても、瞬間ごとにどんな風に作品が受け取られるかわからない。それが公共の場の面白さかな、と。

逆に言うと、いわゆる「グローバリズム」の音楽って、そういう見る人の個人差や土地の違いを無いものにして、すべての人に同じような体験を与えられると考える。それはたしかに経済効率はいいんだけど、どうしても単純になってしまうし、アートとは真逆なところがありますよね。

勅使河原 グローバリズムに対するような独特なものって見る人と距離があったりする。その距離の分だけ、見る人の受け取り方にその人なりの解釈が様々に入り込んで、作品体験が濃密なものになるのかもしれない。

インストールしてみて思ったのは、今回は「完パケ」(完全に仕上げた状態)の映像としてお渡ししましたが、デジタルサイネージという媒体を考えたとき、今後はプログラミングが動作するアプリケーションの状態で渡せると嬉しいです。完パケって決めなきゃいけないでしょう。これでいく!って。僕はあれが苦手というのもあるんですが、プログラミングで動作する柔らかな映像のまま完成品としたい。

春日 そういうことが可能になると、天気や風、周囲の音に映像が反応したり、もっと大きく電車や港の船の状態で作品が変化したり、より有機的な表現できますね。店舗などのサイネージで購入者のデータによって常に変化するようなものはすでにあるので、モーションコリドーでもいずれはそうしたインタラクティブな取り組みができるといいなと思います。

── いま、公共の場所に作品を置くとなると、安全な作品、誰にとっても心地よいわかりやすく無難な作品が選択されるような風潮があると思いますが、モーションコリドーが挑戦や失敗も許容するような実験的な場所として育っていくと面白いですね。

勅使河原 納品後にモーションコリドーが完成し、僕自身ようやくその全貌、画面の見え方や音の聴こえ方、場の雰囲気を知ることが出来ました。今だったらああしてたこうしてた、なんてことが沢山あります。

つまり今から先、この場所で生まれる作品は、僕含め今回のプロジェクトに参加した作家の作品とは別物になるんじゃないかって思うんです。

三浦 リアクションの数は、お金に換算しやすいし、多くの人が共有しやすいからね。どれだけの人が訪れたとか、どれだけの人が呟いたとか、数の論理になってしまいがち。でも、それしか基準がないというのが、アートの本来の価値からもっとも離れている状態だと思う。

勅使河原 そうですね。作品というのは「違う世界」が垣間見えればOKだと思っていて。そういうものが、日常生活に溶け込みながらチラリと見えてしまうのが、公共空間に置かれた作品の面白さだと思います。その作品を見たことで、一日が少しだけ豊かになったり、気持ちに変化が起きたりするかもしれない。

春日 最初にも話しましたが、この場所は若いアーティストが目指す、登竜門のような場所になってほしいと思っています。今回のような取り組みを、5年、10年と積み重ねていくなかで、広告などとは違う純粋なアートを追求できる場所に育てていくことができたら、と思います。

最後に3Fラウンジ「CLUB 38」にある雑誌表紙風フォトスポットで記念写真!


(取材・文:杉原環樹 インタビュー写真:藤田 亜弓)

プロフィール

Qubibi/勅使河原一雅
KAZUMASA TESHIGAWARA
http://qubibi.org/
1977年東京生まれ。アーティスト、映像作家。2006年よりQubibiとして活動開始。近年での主な活動に個展 Qubibi Exhibition (MuDA/チューリッヒ)、音のアーキテクチャ展 (21_21 DESIGN SIGHT/東京) にて「オンガクミミズ」出展など。

三浦康嗣
KOSHI MIURA
http://www.kuchiroro.com/
日本のポップユニット、□□□(クチロロ)の主宰。 音楽制作のほか、プロデュース、舞台演出などのシーンでも活躍し、多角的に創作に携わる総合作家。

春日 恵 / Megumu Kasuga
アートディレクター/デザイナー
1973年生まれ、東京学芸大学A類美術科卒、Royal College of Art / MA Communication Art & Design卒大手企業のデジタルプロモーション、ブランディング、体験型イベント、アプリケーションなどのアートディレクション、デザインを行う。これまでにNew York ADC、D&AD Awards、Cannes Lions、OneShow、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS、文化庁メディア芸術祭など、国内外のデザインアワード、広告賞を多数受賞。

平野 淳 / Jun Hirano
ぴあ株式会社 共創マーケティング室 分析ユニット 兼 アリーナ事業創造部 企画ユニット 兼 戦略企画室
2014年ぴあ株式会社入社。チケット販売サイト「チケットぴあ」の新規サービス企画・開発や、音楽イベントのチケット仕入営業を担当。現在は、横浜・みなとみらいに新設された音楽アリーナ「ぴあアリーナMM」の体験型コンテンツの企画を担いながら、顧客分析や新規事業企画などに携わる。

関連情報

「ぴあアリーナMM」モーションコリドー
デジタルサイネージ放映時間
11:00~20:00  ※7/1(水)~当面の間
アートインスタレーション放映時間
毎時00分、30分~
※ぴあアリーナMMでの公演の有無に関わらず放映されます。
※放映スケジュールは急遽変更となる場合がございます。



新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む