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新宿二丁目はなぜ、世界的なLGBTタウンになったのか? 『新宿二丁目』著者が語る、街の成り立ちとその変化

リアルサウンド

19/12/24(火) 17:20

 世界でも有数のLGBTタウン、新宿二丁目。誰もが聞いたことがありながら、その街がどのように成り立ったのか、歴史を知っている人がほとんどいない不思議な街。伏見憲明の著書『新宿二丁目』では、膨大な資料と関係者へのインタビュー、そして実体験を元に、新宿二丁目がどのようにして形成され、広がり、変化してきたかが事細かに書かれている。今回、その著者である伏見憲明に執筆のきっかけや新宿二丁目の歴史、そしてLGBTを取り巻く環境の変化についてまで詳しく話を聞いた。

昔から様々な人を受け入れる街だった

――著書『新宿二丁目』の執筆は、何がきっかけだったのでしょうか?

伏見:最初に、新潮社から「LGBTの入門書を書いてほしい」という依頼がありました。ただ、そういうのは90年代にいっぱい書いているし、入門書のような若い世代が読むものは、世代が近い人が書いたほうが言葉が伝わる。それを56歳のおばさんというかおっさんがやってもしょうがないんじゃないかなと(笑)。それで、僕は二丁目でバーをやっているから二丁目のことなら書けるかもしれないと考え、初心者向けの二丁目ガイドブックを書こうと思い立ったんです。それから古い資料や取材メモを読み直したり、新しい資料や追加の取材をしているうちに、だんだん二丁目の歴史物としてまとまっていきました。「こことここが繋がっていたのか」とか、新しい発見もたくさんあって。

ーー最初に点と点が繋がったのは、どの部分だったのでしょうか?

伏見:戦後の新橋(のちに銀座に移転)にできた喫茶店・バー「ブランスウィック」について調べていたときです。この店はいわゆるゲイバーの源流のような存在なので、ちゃんと洗い直そうと思って、古い取材のメモをネットで照合していたら、戦前から今日に至るまでの流れが見えてきた。ジャズ喫茶の文化とゲイバーの文化がそこで交差していたことがわかって、「これはすごい!」と。マスターだったケリー氏の稀有な才能に惚れこみました。「ブランスウィック」の背景に関しては新発見、誰も知らなかったことだったので、この章だけでもこの本の価値はあると思います。

――二丁目には、もともと外国人を受け入れる土壌があったという話も出てきますね。

伏見:今回改めて古い町会の冊子を見ていたら、戦前にロシアから亡命してきた人の店があったこともわかりました。外国人というより、元々よそ者に寛容な土壌がある街なのだと思います。

――町会の本など、ソースを漁るのも結構大変だったのではないでしょうか。

伏見:そうですね。今回はゲイの人たちと同じくらい、住民の人や、街でご商売をされている人への取材を頑張りました。みなさん色々協力をしてくださって。今の二丁目の町会の中心になっている人たちは、年長の方でも団塊の世代くらいなんです。売春防止法が施行された昭和33年は、団塊の世代が10歳ぐらいだった頃で。みなさん、その頃の記憶をそんなにはっきり持っているわけじゃないから、おそらくは「いつの間にかゲイの街になっていました」というのが正直な実感なのかと。僕の店が入っているビルのオーナーさんも町会の婦人部長で、古いことを教えてくれたり、取引のある酒屋さんが取材に応じてくれたり、よく行く飯屋の主人が細かな情報をくれたり……。むしろゲイより優しいですよ、ノンケの人の方が(笑)。

――そういったゲイじゃない方の視点も取り入れられているのが、とても興味深かったです。

伏見:90年代にやはり二丁目などゲイの歴史を雑誌に書いた時に、なんでゲイじゃない人たちを取材しなかったのか、いまになってみれば自分でも不思議なんですよね。当時は「町の住民の方なんて壁の向こうの別世界の住人だ」っていう風に認識していたのかもしれない。それくらいゲイバーの二丁目と昼間の二丁目は隔てられていた。でも時代が変わって、あるいは僕がこの街で仕事をしてきたおかげで、酒屋さんとか不動産屋さんたちと関係ができてきたところで、そっち側も調べられた。やっぱり年月と経験を経て、今の時代だからこそ書けたところはありますね。

――二丁目を引退された方の話も感慨深いものがありました。お店を辞められた後のことは、意外と誰も知らなかったりするのでしょうか。

伏見:そうですね。水商売の方は、消息が分からなくなっちゃうことが多いです。最初、92年ごろに二丁目の歴史の本を書こうと思ったんですが、その時に、この辺りに初めてゲイバーを出店した「イプセン」のマスターを探し出したんですよ。でも古いマスターたちに聞いても、誰も明確に住所を知らない。そこで誰々と同じマンションに住んでた、なんていう断片的な情報を組み合わせて「このマンションかな?」とあたりをつけて大久保の街を歩いていたら、たまたま同じ名字の部屋があって「見つけちゃった!」ということもありました。

――もはや探偵ですね(笑)。

伏見:そうなんですよ(笑)。ただ、古い世代のゲイバーの人は、時代が時代ですから「ゲイバーなんて人様に言えないような仕事」という思いもあるんですよ。だから僕がかしこまって「インタビューを」と切り出すと、「うちは結構です」みたいな感じになっちゃうから、菓子折持参で三顧の礼を尽くして、よもやま話のなかで少しずつ話を引き出していくような感じでした。どんな取材もそうだと思うんですけど、喋りたい人ばかりじゃないので。この場合はむしろ喋りたくない人ばかりなので、話を引き出すまでが大変でした。こっちもすごく疲れるし、申し訳ない気持ちもするし。今回は、多くの人が協力的だったんですけど、けんもほろろな場面もありました。トントンとドアを叩いたら、ぺろっと喋ってくれる人ばかりじゃないから、精神的にも消耗しました。

――そういった苦労もあると思いますが、昔からこの辺にいた人の話というのは、本当に貴重ですよね。

伏見:新宿自体が流動性の高い街で、昔から住んでいた人がどんどん出て行ってあまり残ってないんです。でも、それがゲイの人たちが入ってきやすかった大きな理由のひとつだとは思います。あんまりコミュニティがしっかりしている地域だと、新参者は入っていけないじゃないですか。

――周りの目が気になりますからね。やはり二丁目のような地域は世界的にも珍しいのでしょうか?

伏見:サンフランシスコに行ったって、ここまで密集している地域はないでしょう。アメリカだと、スナックみたいな小さな飲み屋自体がないですし。飲み屋っていっても、たいていもうちょっと大きい規模のショットバーです。だから、小さい店がここまでワーッと集まっているのは、二丁目独特のものなんじゃないですかね。そこが面白いです。

ゲイを取り巻く環境の変化

――伏見さんが来てから、街の状況はどんな風に変わってきていますか?

伏見:僕が二丁目に来た1980年ぐらいは、通りには人通りがないんだけど、ガチャっとドアを開けると中はいっぱい、という状態でした。ゲイは人に見られないように外は小走りに移動するみたいな。今の二丁目は、週末ともなると通りに人が溢れていて、ゲイじゃない男性や女性も増えて、明るい街になりましたね。夏になると路上で飲んでいるだけの人もいます。海外からの方も増え、土曜日に仲通りを歩いていると、英語と中国語ばっかり聞こえてきて、ここは一体どこなんだろう?と思ったりします(笑)。

――ひとつの文化がここまで深く街に根ざした事例も、なかなか珍しいのではないでしょうか?

伏見:そうですね。本を書いていて改めて思ったんですけど、なんでこういう街が成立し得たのかとても不思議です。排斥運動があってもおかしくなかったのに、意外とない。住民の人からクレームが入るとしても、せいぜい酔っ払いが騒いでるとか、お店の外にちょっとエッチなポスターが貼ってあることが理由。大規模な反対運動も起こらず、なんとなく調和しながらやってこれたというのは、極めて日本的な社会のありようだとも思うんです。単純なマイノリティ対マジョリティで表せる対抗図式だけでは、この街(も日本社会も)は読めません。むしろそういう構造を象徴しているものこそが、新宿二丁目だという面がありますね。LGBTの権利を獲得していくことと、社会を敵と想定することを必ずしもイコールにしなくてもいい。

――二丁目はこれからもどんどん変わっていく予感はしますか。

伏見:そうですね。この界隈の建物は大体1970年ぐらいにビル化したものが多くて、現在、建て替えの時期に入ってきています。今後、古いビルがどんどん新しいビルになって、家賃も上がるでしょう。うちみたいなスナック商売はなかなか新しいビルのテナントになれないだろうし、それだけの家賃を負担してできる商売かというと、売り上げも減っているから難しい。今後、ゲイバーとかLGBT関係のお店は減るんじゃないですかね。昔は、1つのバーに行って自分のタイプがいなければ違うバーへと、回遊魚のように移動してお金を落としていくのがゲイバー街としての二丁目のあり方でした。それが近年、ゲイたちの出会いの場が完全にマッチングアプリの方に行っちゃったから、そうやって相手を見つける必要がなくなった。そうすると必然的にお金も落ちないし、ゲイの客も以前ほど来なくなってくる。

――それは、ものすごく大きな変化ですね。

伏見:どこのバーも結構苦しいと思います。まだゲイオンリーのゲイバーが多いかもしれないけど、ミックスの方にどんどん移って、色んなお客さんを入れて売り上げを支えるスタイルの商売になってきています。二丁目は1958年に売春防止法が施行されて、そこから10年ぐらいで遊郭からゲイバー街になっていった場所なんです。10年でそこまで変化しちゃうんだから、今ゲイバー街と言ったって、あと10年経ったらどうなる? そりゃ変わるだろうとは思いますね。

――近年、LGBTに関しての意識が変化したことで、ゲイバー特有の「イジリ」というか、ノリみたいなものに変化はありますか。

伏見:ポリティカル・コレクトネスの影響は無視できなくなるでしょうね。例えばアウティング。その人が同性愛者であることを他者が明らかにしちゃうことを言いますが、国立市ではアウティングの禁止を盛り込んだ条例が作られたという話を聞きました。そういうのが持ち込まれると、ゲイバーで話されていることの90%がアウティングみたいなものだから(笑)、何も話せなくない?となってしまいますね。

――なるほど。

伏見:大体、普通の友達同士で話していることだって、「あいつとあいつはできてるよ」とか、「彼女は彼のことが好きなんだって」とか、そんな会話ばっかりじゃないですか。同性愛者だからと言って、そういうのをアウティングとして法で規制していく方向性に、僕は全然賛成していないです。もちろん、悪意を持ってその人のプライバシーを暴くのは厳禁です。そして偏見や差別を解消したり、性的マイノリティに関する知識を色んな人に知ってもらう活動は大事です。そういうことは積極的にやっていくべきだと思いますが、法を私的な人間関係の領域にまで踏み込ませると、何も喋れなくなってしまう。

――そうなってくるとゲイバーの経営も大変そうです……。

伏見:昔のゲイバーだったら今夜の相手を見つけるという目的が、お店の原理の中心にあったので、そのなかで対応していれば上手く回った。でも近年のようにコミュニケーションが中心になってくると、本当にそれぞれの立場への配慮が大変になる。でも、なかなかうまくいかないことが多いなか、立場の違う人たちが違いながらもなんとなくうまく調和した瞬間に、この商売のエクスタシーがあるんです。ただ、共通の背景がないと人はなかなか繋がれないものです。だから「この店では僕が唯一神であり法律です」って、冗談でよく言っています(笑)。そうやって、人と人の物語に折り合いをつけるようになってきていますね。

ゲイバーと60sカルチャー

――著書『新宿二丁目』で書かれている文化的な部分での考察もとても興味深かったです。改めて、サブカルチャーがこの街のなかでどのように機能してきたのかを教えてください。

伏見:まず、60年代的なカウンターカルチャーの影響がすごく大きかったんじゃないかというのは、今回、僕自身がこの街について再考して発見した点です。これまで研究者も指摘しない。戦後から、上野にも池袋にも銀座にも、小さなゲイバー街ができました。その中で、なぜ新宿だけ爆発的に増えたかというと、新宿という街に60年代的な自由とか、アナーキーな空気が溢れていた背景が大きい。あと、社会のアウトロー、つまりお天道様を見るのが辛いような人たちが、集まってきやすい街だったからではないでしょうか。フーテンというのが最初に現れたのも新宿なんです。60年代はビートルズの来日が象徴的だけど、ワーッと若者の欲望が世の中に溢れ出て、やがて日本全体的に欲望への自由が爆発した。そういう時代の流れのなかで、伊勢丹裏の三丁目から二丁目にかけての辺りが、カウンターカルチャーとゲイカルチャーが被る地区として盛り上がった。60年代という時代とカウンターカルチャー、そしてあの時代の反体制運動とかとゲイバー文化は、実はへその緒が繋がっている。

――確かに様々な文献で、新宿周辺のカルチャーの話は出てきますよね。

伏見:二丁目の雑居ビルのスナックで、大島渚さんや唐十郎さんが大立ち回りを演じたりとか、そういう場所でもあったんですよね。ゆえに、劇団の事務所が結構あったりとか。唐十郎さんにしても寺山修司さんにしても、クィアと言ってもいいような変態性の作品を、花園神社とかアートシアター新宿文化で上演していた。そんな時代に遊郭がなくなった二丁目が、たまたま空いていた。二丁目がゲイバー街として盛り上がったのは、そのタイミングだったんだと思います。60年代論と接続していくと、より明確に描いていけると思うんですけど。その辺りはまだまだ掘り下げられそうです。

――やはり60年代から70年代くらいの流れが、二丁目を語る上で重要なのでしょうか。

伏見:70年代以降の二丁目は、店の数が増えて多様になっていくので、それはそれで面白いと思います。でもその方向で広がってはいくけれど、ドラスティックな変化はもうなくて、やっぱり僕が書き手として興味を持ってしまうのは、ゲイバー街が成立する60年代から70年代初頭ぐらいのところですね。いずれはゴールデン街が観光地化することで、なんとか命脈を保っているようなやり方を、二丁目もせざるを得なくなるでしょう。この先、いわゆるゲイバーらしいゲイバーは、文化遺産のような感じで一部だけが残っていくと思います。だからこそ、今のうちにこの不思議な街の成り立ちを書き留めておきたかったんです。

■伏見憲明(ふしみ のりあき)
1963年、東京都生まれ。作家。慶應義塾大学法学部卒業。『プライベート・ゲイ・ライフ』『魔女の息子』など著書多数。2013年より二丁目にて「A Day In The Life」をオープン。

■書籍情報
『新宿二丁目』
価格:902円(税込)
判型:新書
出版社:新潮社
公式サイト

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