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『エール』の構造は『エヴァ』に似ている? 男性主人公の成長物語を描く朝ドラの試み

リアルサウンド

20/5/25(月) 6:00

 連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『エール』(NHK総合)がスタートして第8週(40話)が過ぎた。

 藤山一郎の「長崎の鐘」や早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」といった昭和を代表する数々の流行歌、応援歌を手掛けた古関裕而の生涯をモデルに作られた本作は、作曲家・古山裕一(窪田正孝)とその妻・音(二階堂ふみ)の半生を描いた物語だ。

 男性主人公、4K撮影、週5日(月~金)放送といった今までの朝ドラとは違う試みを多数打ち出した『エール』だが、何より大きく違うのは、演出の色が強いことだろう。4Kで撮られた美しい映像はもちろんのこと、遊び心のあるテロップ。饒舌なキャラクターが何か言おうとした瞬間にOP主題歌に切り替わる編集など、とにかく「全部を観てほしい」という主張が画面から漲っている。

 その意味でも、チーフ演出・吉田照幸の“監督作品”という側面が強い。『サラリーマンNEO』や『となりのシムラ』で知られる吉田の作風はコントバラエティ的なもので『エール』の印象は、吉田も参加した朝ドラの『あまちゃん』に近い。しかし、『あまちゃん』の中心には宮藤官九郎の脚本が強固なものとしてあり、だからこそチーフ演出の井上剛や、吉田が作品を膨らませることができた。

 対して『エール』は、演出の面白さが先行しているためか、脚本のバランスが極端である。たとえば、第1週で裕一の幼少期を見せた後、第2週で音の幼少期を見せるという構成は面白いのだが、第3週で裕一の高校時代を3話かけて見せた後、銀行員となった裕一がダンスパーティーで知り合った踊り子の志津(堀田真由)と恋の顛末をたったの2話で片付けてしまうのは、どうにも忙しない。どちらも5話は欲しいエピソードである。

【写真】志津役で一瞬だけ登場した堀田真由

 特に志津の正体が明らかになる場面は唐突で、彼女の口から語られる「見下されている」と思っていたという裕一への憎悪もイマイチ説得力に欠ける。彼女の家が潰れたことの背景がもっと書き込まれていれば、その憎悪にも説得力が生まれたと思うのだが、この描き方だと、男が女に感じる被害妄想の具現化にしか見えない。

 こういった違和感は、他の登場人物にも感じることだ。

 宮藤官九郎を筆頭に、良い脚本とは登場人物が物語の都合で動くのではなく、それぞれが個々の人生を生きているように見えるものだ。しかし『エール』は、すべての登場人物が、裕一のために存在しているように見えてしまう。

 一番わかりやすいのは、唐突に登場して意味ありげな台詞を発した後ですぐに消えてしまう佐藤久志(山崎育三郎)だ。幼少期に登場した時はあまりの現実感のなさに裕一のイマジナリーフレンド(空想上の友達)ではないかと疑ったものだ。ガキ大将から新聞記者となった村野鉄男(中村蒼)も唐突に再登場し、裕一を叱咤激励するのだが、各キャラクターの書き込みが浅く、唐突に現れては去っていくため、裕一を際立たせるためだけに存在しているように見えてしまうのだ。これは普通の脚本としては弱点なのだが、裕一には「他者がこう見えている」のだと考えるとよくわかる。

 この構造はロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、『エヴァ』)にとてもよく似ている。

 『エヴァ』は14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる汎用人型決戦兵器を操縦して使徒と呼ばれる未知の敵と戦う物語だが、後半に進むにつれて、少年から見た理不尽な世界を描く不条理劇と化していった。この演出は、ひ弱な少年の心象風景の見せ方としては正しかったのだが、各キャラクターが主人公を描くための引き立て役になっていたのが今観ても残念だったと思う。

 裕一は周囲の人々に叱咤激励されることで、音楽の才能を開花させていくのだが、叱咤激励されないと中々動かない裕一の面倒くささに、だんだんうんざりしてくる。

 そんな裕一の伴侶となる音は、熱狂的なファンであると同時に彼を庇護する聖母のような存在。つまり、男の理想を具現化したような女だが、同時にそんな女が実在したら、いかに厄介かということも本作は描いている。描写こそコミカルだが、エゴの強い二人のままごとのような夫婦生活は、いつ破綻してもおかしくない危うさがあり、成功することがわかっていても、観ていて胃が痛くなる。

 その意味で結構、しんどい作品なのだが、それは、裕一から見た世界としてリアルだと言うことだ。つまり、男性主人公の朝ドラとしては、うまく描けている。

 そんな裕一が「紺碧の空」を手掛けることで、自分のエゴではなく、誰かのために曲を描けるようになっていく姿を観ていると、なるほど、男の子の成長とは「他者を知ることなのだ」と実感する。そして、他者を知った後に待ち受けているのは社会であり世界である。やがて戦時下に突入する『エール』はそれをどう描くのか?

 朝ドラで男の子の成長物語を描く試みには、可能性がたくさんあると『エール』は教えてくれる。だから“その試行錯誤も含めて”楽しみたい。

(成馬零一)

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