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秋吉久美子 秋吉の成分

死ぬ前から死に負けていてはヤバいです

全10回

第5回

20/10/16(金)

『戦争と平和』と『惑星ソラリス』で悟る

若い時に観た映画のお話をもう少ししましょうか。上京して女優の仕事を始めて数年後だったかな。あの頃はヒマさえあれば、「ぴあ」片手に映画三昧でしたが、トルストイのソビエト製作版『戦争と平和』を観ました。もともとは1965年から66年にかけて作られた大作なので、私が観たのはリバイバル上映ですね。『戦争と平和』は1956年にアメリカでもオードリー・ヘップバーンやヘンリー・フォンダの主演で作られましたけど、やっぱりトルストイも新体操もアイススケートもロシアが本場でしょう(笑)。

アメリカ版『戦争と平和』ではナターシャ役は大スターのオードリー・ヘップバーンでしたが、このソ連映画の場合は超大作なのに全くの素人を選抜して起用したんですって。レニングラードのバレエ学校で注目されていたバレリーナ志望のリュドミラ・サベーリエワを見て、監督も誰もが「まさしくナターシャ!」と納得して選ばれた。まさに、リュドミラ・サベーリエワの美しさは、ロシア文学のヒロイン全てを網羅するロシア的美の結晶です。彼女は、あのソフィア・ローレンの『ひまわり』でも、ロシアの地で、記憶を失ったマルチェロ・マストロヤンニを救い夫婦となって生活をしているロシア人の奥さんを演じていましたね。ロシア人の女性のエッセンスが、リュドミラにはあるんです。

このソビエト版『戦争と平和』ですが、人生に響いた決定的なシーンがあります。それはフランスのナポレオン軍と戦っていた、ナターシャの婚約者アンドレイ公爵が、軍旗をかかげて勇猛に敵陣へ突撃したものの、負傷して倒れてしまう。仰向けに倒れたアンドレイの瞳に映る、澄み渡った雲ひとつない青い虚空。そして俯瞰でとらえられたたアンドレイが「これが死というものか」と悟るんです。

ただの青空と、倒れて仰ぎ見るアンドレイ。このショットを観た時に、映画館という空間を抜け出て、私も天と地の間を吹く風に触れていました。私はティーンの頃からちょっと人生を俯瞰から考えるようなところがあったけれど、この青空を観てそれに拍車がかかったかもしれない(笑)。映画を観ていて、同じような気づきの感覚をおぼえたのが、これもまたなぜかアンドレイ(・タルコフスキー監督)で同じくソ連映画の『惑星ソラリス』。あの、未来都市として東京の高速道路が出てくる映画ですね。

『惑星ソラリス』は三時間近い長篇ですが、とにかく心をつかまれました。この目の前にある世界は本当に存在しているのか。何かを複写したものに過ぎないのではないか。言ってみれば、全て現実にあるものはたいしたものではなくて、意味もないものかもしれない。あの映画を観ていると、じわじわとそんな気持ちにさせられるのですが、これって私が高校生の頃にいつも考えていた世界観にとても近かった。だから『惑星ソラリス』には心底共鳴できたんです。

『秋吉久美子 調書』より

「死にたくないから生きる」じゃダメ。

ジム・キャリーの『トゥルーマン・ショー』や昔の『猿の惑星』などを観ていても、似た感覚を持ちますね。この世界はとてもうつろなもの、仮のものではないのかと。こういう世界観をもってしまって、はたして私は人生を間違えてしまったのか、そうでもなかったのか、今もってわからないのですが、映画ひとつとってもこういうふうに「生と死って何?」「この世界って何?」といった気づきや問いかけを含んでいることが時々あります。そういった映画表現の試みとの出会いは、人生のスペクタル! です。

「生と死って何だろう?」という答えのない問いについてずっと考え続けるのが大事だと思うんです。私は以前、沖縄に住んでいた時に、東京、沖縄間を往復し、無理なスケジュールで、敗血症を起こし、大変なことになった。『エクソシスト』の悪魔憑きの少女みたいに体が震えて、ベッドまで揺れるくらいでした。でもそんな時でさえ、1日数回の発作で体が震えてあちこち痛いので「病院にマッサージさん、呼んでいいですか」なんてお医者さんに聞いちゃう(笑)。ドクター、困っていました。なんだか、自分の状況を他人のように見てしまうんです。

とはいえ結局10日くらい入院することになって、最初の3日は、一日中40度超えの発熱があったりもしたので「これはもう死ぬのかな」とも思いました。そんな逆境なのに好奇心が強い私は「今まで答えが出なかった生とは、死とは何か、ということの回答が出るかも」と考えていたんですが、結局何も見えて来なかった(笑)。それどころか、病院食があまりにも口に合わず、目もかすみ、病気より栄養失調か? と大家さんが心配してくれて、沖縄の回復食の鍋いっぱいのレバー汁をつくって持って来てくれました。あまりに美味しくて、鍋一杯食べたらその場で元気になり、回復してしまった(笑)。翌日退院です(笑)。

その時の経験で得たことは大きくて、「死は案外怖くない」とわかった。小さい頃からずっと、映画や文学にふれながら「この世界って何だろう。死とはどんなことなんだろう」と考え続けてきて、その答えがわかる瞬間だと考えれば、むしろ死は楽しみかもしれないし、そこへ向けて何の不安もなく人生を燃焼できるなと思ったんです。だから、最近のコロナ禍のなかで、シニアの方がたをはじめ、一部の人がもの凄く後ろ向きになっているのは気になります。まるで恐怖にしがみつきながらおそるおそる生きているような人もいますが、あれでは「死にたくないから生きている」というふうにしか見えない。

いきなり幕末の志士のことを引き合いに出すのもちょっと飛躍があるけど、彼らは二十代や三十代で逝ってしまったのに、明らかにこの国の将来を動かした。彼らの生きることへの理念や衝動は、全く死に負けていない。もちろん、新型コロナには具体的な注意が必要です。できることはしましょう。でも、「死にたくない」ということでむだに憶病になって人生を充実させることを二の次にすると、死ぬ前から死に負けていると思う。もちろんこんなことを確信をもって言えるのも、私が今の年齢になったから。日頃からずっと死生観、世界観について考えていると老いることも死ぬことも、楽しみにさえなって来ます。

秋吉久美子 成分 DATA

『戦争と平和』
第1部 1965年/第2部 1965年/第3部 1966年/第4部 1966年 ソ連
監督:セルゲイ・ボンダルチュク 原作:レオ・トルストイ
出演:リュドミラ・サベーリエワ/ビャチェスラフ・チーホノフ/セルゲイ・ボンダルチュク/アナスタシャ・ベルティンスカヤ

『ひまわり』
1970年 イタリア
監督:ビットリオ・デ・シーカ 
出演:ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ/サベーリエワ

『惑星ソラリス』
1972年 ソ連
監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー 原作:スタニスワフ・レム
出演:ナターリヤ・ボンダルチュク/ドナタス・バニオニス/アナトリー・ソロニーツィン

『トゥルーマン・ショー』
1998年 アメリカ
監督:ピーター・ウィアー
出演:ジム・キャリー/ローラ・リニー/ノア・エメリッヒ/ナターシャ・マケルホーン

『猿の惑星』
1968年 アメリカ
監督:フランクリン・J・シャフナー 原作:ピエール・ブール
出演:チャールトン・ヘストン/キム・ハンター/モーリス・エバンス/ロディ・マクドウォール

『エクソシスト』
1974年 アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン 原作・脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ
出演:エレン・バースティン/リンダ・ブレア/ジェイソン・ミラー/マックス・フォン・シドー

『秋吉久美子 調書』(筑摩書房刊/2,200円+税)
著者:秋吉久美子/樋口尚文

特集上映「ありのままの久美子」
2020.10.17〜30 シネマヴェーラ渋谷

上映作品:『十六歳の戦争』(1973)/『赤ちょうちん』(1974)/『妹』(1974)/『バージンブルース』(1974)/『挽歌』(1976)/『さらば夏の光よ』(1976)/『あにいもうと』(1976)/『突然、嵐のように』(1977)/『異人たちとの夏』(1988)/『可愛い悪魔』(1982)/『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(1981)/『さらば愛しき大地』(1982)/『誘惑者』(1989)/『インターミッション』(2013)

取材・構成=樋口尚文 / 撮影=南信司

当連載は毎週金曜更新。次回は10月23日アップ予定です。

プロフィール

秋吉久美子(あきよし・くみこ)

女優・詩人・歌手。1972年、松竹『旅の重さ』で映画初出演、その後、1973年製作の『十六歳の戦争』で初主演を果たし、1974年公開の藤田敏八監督『赤ちょうん』『妹』『バージンブルース』の主演三部作で一躍注目を浴びる。以後は『八甲田山』『不毛地帯』のような大作から『さらば夏の光よ』『あにいもうと』のようなプログラム・ピクチャーまで幅広く活躍、『異人たちとの夏』『深い河』などの文芸作での主演で数々の女優賞を獲得。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。

樋口尚文(ひぐち・なおふみ)

映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』ほか多数。共著に『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『女優水野久美』『万華鏡の女女優ひし美ゆり子』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』など。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。早稲田大学政治経済学部卒。

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