Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

俳優・山崎賢人の確かな“内面”と“文体” 『羊と鋼の森』はキャリア上の重要な作品に

リアルサウンド

18/7/5(木) 6:00

 冬の雪道はなかなか思うように前へ進ませてくれない。雪の下は凍っていてつるつる滑る。映画『羊と鋼の森』の主人公・外村直樹(山崎賢人)は苦戦する。とにかく前進したいのだが、足下がとられる。それは本当に北国の人間の姿なのか。それもそのはず、山崎演じる主人公たちのほとんどが、雪道を歩く必要などなかったのだ。

参考:山崎賢人が体現する“裏方”としての戦い方 『羊と鋼の森』は音の感動を“体感”できる

 今までの山崎が演じてきた役柄であれば、問題に直面したとき、その不安をかき消す勢いで、ひたすら誰かの元へ走り続ければそれでよかった。だが本作では違う。映画『オオカミ少女と黒王子』や『トドメの接吻』(日本テレビ系)のようながむしゃらな疾走は徹底的に禁じられ、前へ進むことすらできないような状況におかれている。しかし、そのもがき苦しむ姿は、俳優・山崎賢人のまさに“今”を象徴するものなのだ。

 「お芝居するということがよく分からない時期」だったと本人が言うように、外村の困惑ぶりはそのまま俳優・山崎賢人の苦悩と重ねられている。では、本作で山崎に求められるものとは何か。それは、「ひとつひとつ、こつこつ」というひたむきな精神と態度である。それを劇中で外村に教えるのが、ピアノ調律師・板鳥宗一郎(三浦友和)である。板鳥の存在は、キャラクターとしても、外村を演じる山崎本人としても、決定的なのものとなった。

 「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」。板鳥の言葉に励まされ、外村は調律師の道を本格的に歩んでいくことになる。この台詞がある場面は、三浦と山崎の初めての撮影だったそうだが、実際に山崎は三浦の存在感に圧倒され、鳥肌が立ったという。初めて仕事で失敗してしまった外村に板鳥は諭すように続ける。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」。板鳥は、それが調律師としての自分の理想であると言う。劇中の外村はここで思わずハッとするが、撮影現場での山崎もまた、三浦の存在からそのような文体を瞬時に感じ取っていたはずだ。

 三浦友和という俳優は、「ただそこに佇んでいるだけ」で画になってしまう。自然体できちんと画面に収まる山崎も同じタイプの役者と言えると思うが、山崎の場合は、「ただなんとなく」という印象が否めないところがある。本作での三浦との共演によって、山崎はそのことを自覚し、演技をする上での大きな指針としたのではないか。そうして念頭に置かれた「ひとつひとつ、こつこつ」という演技姿勢は、ひろく好感を持って迎えられた。

 本作での山崎の好演が、三浦の後押しに負うところが大きいにしても、山崎自身の役者としての地道な努力の成果であることは間違いない。そのキャリアをみてみると、山崎が演じてきた主人公のほとんどが「過去に何かを背負った男」というキャラクター設定(『L・DK』の久我山柊聖、『ヒロイン失格』の寺坂利太、『オオカミ少女と黒王子』の佐田恭也、『トドメの接吻』の堂島旺太郎など)をもっているが、外村直樹というキャラクターは、ごく普通の家庭に育った青年で、山崎があまり演じてこなかった“等身大”の役である。好意を寄せられている女子から告白された途端に、手酷くはねつけてしまうような冷徹さはなく、どこか影のかかったクールな印象もほとんどない。外村の眼差しは、どこまでも温かく優しい。

 「ひとつひとつ、こつこつ」努力を続ける主人公の姿勢は、山崎が本来もっている、ふわふわとした柔らかさと親和性がある。「お芝居するというこがよく分からない時期」にさしかかっていた時に演じられる外村という人物像は、演じるということを根本から考え直す格好の役柄であった。外村は演じるということを根本から考え直す格好の役柄であったのだろう。

 山崎の演技の基本は、自分自身との“対話”にあると考えられる。山崎が心の声にじっと耳を傾けているとき、彼にとっても無意識的なものなのか、観客をハッとさせるような表情をすることが多いように思われる。多くの観客を魅了してやまない表情の裏には、そのような対話のメカニズムの不思議がある。しかし、その問答が念入りになりすぎると、演技のバランスが崩れてしまうこともある(実際、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』ではそのような瞬間が見受けられた)が、山崎に限っては「迷い」と「探り」の演技が、かえって魅力的に映ってしまう。さらに本作では、演じるべき「他者」(キャラクター)との対話が可能となったことで、心の中で繰り広げられる対話はより慎重で繊細なものとなり、「ひとつひとつ、こつこつ」という演技姿勢が大いに活かされた。その結果として、あれだけ調和のとれた好演をすることができたのだとすれば、山崎は俳優として演じることの実感を得たのではないだろうか。

 本作を観た観客の多くが、山崎賢人を、もうただの“イケメン俳優”とは呼ばないはずだ。イケメンは“見た目”だけで決まってしまうが、俳優・山崎賢人には確かな“内面”と理想的な“文体”がある。その意味で、本作が山崎にとって過渡期となり、『陸王』や『トドメの接吻』での印象的な演技に繋がっていくのだが、この夏の新ドラマ『グッド・ドクター』で演じるサヴァン症候群の青年医師役は、またしても“対話”が求められるキャラクターとなりそうだ。

※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記

(加賀谷健)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む