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『海辺のエトランゼ』が“BLの入門書”と称される理由 優しさに満ちた世界

リアルサウンド

20/9/23(水) 15:56

    思い切って遠出できない雰囲気が漂っていた、2020年の夏。その寂しさを救ってくれるかのような、沖縄の離島を舞台にした映画『海辺のエトランゼ』が9月11日から公開されている。原作は紀伊カンナによる同名コミックだ。

描かれる、優しさに満ちた世界

 BL、男性同士の恋愛を描いたボーイズラブ作品である同作。露骨な性描写を感じる表紙やタイトルも少なくないBLコミックの中で、初心者向け、入門書として挙げられることも多い作品だ。「心が、洗われるようなボーイズラブ。」というキャッチコピーにふさわしい、優しさに満ちた世界が描かれている。

 メインキャラクターは、小説家の卵でゲイの橋本駿(はしもとしゅん/以下、駿)と、家族を亡くし天涯孤独の身になったフリーター知花実央(ちばなみお/以下、実央)。ふたりの恋は、高校生だった実央に駿が「下心」で声をかけたのをきっかけに始まる。その後実央が施設に入るため島を離れるものの、3年後再び駿のもとへ帰ってきて恋を育んでいく。

 恋を育むといっても、何もかもがうまくいくわけではない。

 ゲイである駿は、そうではない実央と恋人関係になることを、簡単には受け入れなかった。自分から好意を向けたにもかかわらず、だ。そこには駿が感じてきた「ゲイとして生きることの難しさや痛み」を、実央に味わわせたくないという思いがある。はっきりしない駿に自分の気持ちを抑えずに突き進め、と言いたくなるかもしれないが、ここには痛みを知っている彼だからこその深い優しさが感じられる。

 一方実央は、家族を亡くして「寂しそう」「かわいそう」という慰めを向けられることに嫌気がさしていた高校生の頃に、「ただの下心」で声をかけてきた駿の存在に救われている。ただ当時は、男である駿からの好意をどう受け止めればいいのか分からずにいた。だから島を出た3年間に実央は、ゲイバーのママに教えを請う。つまり実央が再び駿の前に現れ気持ちを伝えたのは、じっくり考えた上での「駿と一緒にいたい」という結論だったのだ。きっとこの結論に至るまでには、ゲイの生きづらさとも向き合ったことだろう。そこも含めて駿の好意と向き合ってきた実央の「好き」には、濁りがない。

 周囲から向けられる目や先入観を気にせず、目の前の相手をただ純粋に想い結ばれたいと願うことは、案外難しいことではないだろうか。自分の立場や家族の想い、世間体、過去の恋愛による傷……。「そんなハードルを気にせずに気持ちは伝えるべきだ」と言うのは簡単だが、それができたらどんなに楽かと思うくらいには、恋愛というものは複雑だと思うのだ。だから実央の純度100%の「好き」には憧れを、駿の前に進むのをためらう「好き」には愛を抱かずにはいられないのだ。

 『海辺のエトランゼ』は現在、『春風のエトランゼ』でシリーズが続いている。

 実は、結婚式当日に婚約を破談し家族から逃げてきた過去がある駿。そんな彼のもとへ父親の病気を報せる手紙が届いたことをきっかけに、ふたりの恋の舞台は北海道へと移る。

 自分の勝手で傷つけてしまった元婚約者と両親への罪悪感。気持ちを受け入れてもらえないことを突きつけられた同級生もいる。駿にとって地元は、否が応でもゲイである自分をおかしい、気持ち悪いと蔑まなければならない、とにかく居心地の悪い場所だ。そこに男の恋人を連れて帰るとなれば、気まずさを感じるのも無理はない。

 実央とふたりだけの時は年上らしい余裕すら感じさせる駿だが、いざふたりの世界を飛び出し家族や地域と向き合うことになると、持ち前のヘタレっぷりが発揮される。しかし戻ってきた今は実央が側にいて、駿を引き上げてくれるのだ。また実央も駿のおかげで、孤独から解き放たれ、誰かと一緒にいるぬくもりを再び手にすることができている。

 お互いがお互いの心の底から欲していたものを与えあう。ひとりでは得られなかった世界を見ることができている。そんなふたりの関係は、「運命の出会い」のように感じられるかもしれない。しかし駿と実央のカップルからは、なぜだかそこまで劇的な印象を受けないのだ。それはきっと、彼らの恋愛が日常に溶け込んでいるからだ。働いて、お腹いっぱいご飯を食べて、その辺を散歩して、疲れて眠る。ふたりにとっての恋愛は、こんな日常の営みの1つなのではないかと思う。

 変化がないといえば、そうなのかもしれない。しかしありとあらゆる先入観ごと相手の気持ちと向き合い一緒にいることを選び、1日1日を生きていくふたりの恋には、強い決心、覚悟のようなものを感じる。そんな覚悟を持ち恋をするふたりの生き方は、ひたすらにまっすぐで美しい。愛する人と淡々とした日々を過ごすことがどんなに幸せで尊いことなのかを、駿と実央は教えてくれるようだ。

■クリス
福岡県在住のフリーライター。企業の採用やPRコンテンツ記事を中心に執筆。ブログでは、趣味のアニメや漫画の感想文を書いている。ブログTwitter

■書籍情報
『春風のエトランゼ』
紀伊カンナ 著
価格:715円(税込)
出版社:祥伝社
公式サイト

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