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『A3!(エースリー)』第三部開幕 主題歌「モノローグ」と“永遠”をテーマに紡がれる第9幕から新章を考察

リアルサウンド

20/5/16(土) 10:00

 スマートフォン向けアプリ『A3!(エースリー)』。“イケメン役者”たちが多数登場する本作は、2.5次元舞台やアニメ化など、さまざまなメディアミックスを展開中の人気タイトルだ。物語の主軸であるメインストーリーは、第一部では潰れかけの老舗劇団の存続を賭け、季節ごとに分けられた各組の劇団員が公演を成功させていくストーリーが、第二部では“家族”をテーマに、新メンバーを迎えてそれぞれの関係性を描きながら、より大きくなった舞台が展開されていた。

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 そしてこの5月、待望の第三部がスタートした。今回はストーリーの公開に先駆け解禁されていた、新生春組リーダーの佐久間咲也が歌う主題歌「モノローグ」を軸に、メインストーリー第三部について考えてみたい。

※詳細なネタバレはありませんが、公開中の第9幕について触れる箇所があるため未読の方はご注意ください。

 まず「モノローグ」を聴いて、普段の人懐っこく元気いっぱいな咲也のイメージとは少しだけ異なる印象を受けた人も多いだろう。その歌声は聴く人に優しく語りかけるようで、心に深くしみる。第三部はこのPVの映像からも明らかだったように、劇団の過去にフィーチャーしつつ、“永遠”をテーマとした物語が紡がれていく。

 第三部で描かれる“過去”において重要なキャラクターは、ライバル劇団GOD座の主宰・神木坂レニのほか、新キャラクターであるMANKAIカンパニーの初代リーダーズだろう。演劇雑誌『Spotlight』の編集長・雛森 霞、俳優の日向 紘、ショーレストランのオーナーの栗生 善、劇団の座長を務める乙宮 柊――。若かりし頃に同じ夢を追っていたであろう4人は、皆で歩いていた道から大きく離れてはいないものの、今は同じ方向を見ていないようだ。彼らが“永遠”に懐疑的なのは、かつて夢破れたことのある人たちだからかもしれない。大人になるということは、諦めた夢との折り合いをつけながら生きていくことでもあるから。

 第二部の終わりで、咲也はあるメンバーが劇団に別れを告げようとしたできごとを思い出し、「みんなとはずっと永遠に一緒にいられると信じていたが、そうではなかった」と話す。おとぎ話の中に住んでいない人々は、「めでたしめでたし」の先を紡いでいかねばならないのだ。そういう意味ではたしかに、永遠などないと言えるのかもしれない。

 筆者は新生MANKAIカンパニーのメンバーに、“共通点”があると感じている。それは、彼らはかけがえのない仲間や芝居と出会い、誰もが“救われた”ということだ。自分を認められなかった人も、立ち止まっていた人も、心を燃やせるなにかを探していた人も、1人では叶えることができなかった願いを、この場所で色とりどりの花のように咲かせることができたのだ。

 第9幕ですでに面識ができた人たちもいるようだが、これから大人たちは、かつて過ごした場所で夢を追いかける若者たちと出会うのだろう。フルール賞という大きすぎる目標を追いかける若い役者たちは、青臭く見えるかもしれないし、眩しくも見えるかもしれない。だがそれは、今は永遠を信じられなくなってしまったいつかの自分たちと同じ姿であるはずだ。だから今、枯れて乾いたように見える木は、がむしゃらに夢を追いかける輝きや熱を浴びて、ふたたび花を咲かせることもあるかもしれない。過去と現在、古いものと新しいもの、天使と悪魔、悲しみと喜び、永遠と永遠ではないもの――第三部は、後の章でもこうした「対比」をとおし、物語が展開されていくのではないだろうか。

 第9幕を読んだのち、あらためて咲也の歌う「モノローグ」を聴いてみた。恋をしたときのように高鳴る鼓動とスポットライト、大切な思い出……。セピア色の映像によく似合うこの曲の歌詞を聴いてみると、その目線は今の咲也のもののようで、また未来の咲也のようでもあり、板の上で夢を追ったことのあるすべての人のもののようにも感じられる。胸を焦がすような永遠を見つけ、だが永遠はないと知る。それでもきっと、“信じる”ことはできるのだ。何度でも咲く花は、きっとあるのだと。

 最後にもうひとつ。第9幕に続く第10幕の展開についても、考えてみたことを書き残しておきたい。PVでは、第9幕で描かれた秋組と冬組の「悪魔」モチーフの舞台衣装のキャラたちが登場したあと、春組と夏組が時代物の舞台らしき衣装に身を包んだ姿を確認できる。橋と見られる場所や、皇 天馬の衣装の笹と竜胆のような柄、皆木 綴の被っている頭巾は、源義経と武蔵坊弁慶を想像させる。

 義経と弁慶はいわゆる主従関係であったという逸話があり、弁慶は辞世の句を義経に向けて「どうか冥土の道の途中で待っていてほしい」と詠み、義経もその後に「後世もそのまた後世でもめぐりあおう」と返した。2人はもう、とうにこの世にはいない。だが、こうして彼らの歌が幾年も後の世まで残ることで、義経と弁慶という存在や願いは生き続ける。「モノローグ」という歌もまた、それを知る人々が生き続ける限り、そこに込められた想いはずっと残っていくのだろうと思う。(たまお)

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