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西寺郷太のPOP FOCUS 第10回 嵐「Turning Up」

ナタリー

20/7/30(木) 19:00

「西寺郷太のPOP FOCUS」

西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多数のメディアに出演する西寺が、私論も交えながら愛するポップソングについて伝えていく。

第10回は前回に引き続き嵐にフォーカス。デビュー曲「A・RA・SHI」から丸20年の時を経てリリースされたグループ初の配信シングル「Turning Up」の魅力と共に、嵐の現在の活動と5人の今後について西寺がつづる。

文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ

スーパーアイドルに必要なこと

米津玄師さんとコラボレーションした「NHK2020ソング」の「カイト」をニューシングルとして発表したばかりの嵐。その前に配信リリースされた、レディー・ガガやアリアナ・グランデなどの楽曲も手がけたラミ・ヤコブによる書き下ろし曲「IN THE SUMMER」は、僕が公式ポッドキャスト番組を持ち、いちリスナーとしてもメインで使っているSpotifyでも大きくプッシュされているので繰り返し聴いています。

嵐のオリジナルアルバム16タイトルが、各種ストリーミングサービスで2月に解禁されたのはビッグニュースでした。当時は、クルーズ船のダイヤモンド・プリンセスの乗客乗員から新型コロナウイルス感染者が確認されたことがニュースで報じられ、日本を不穏なムードが包んでいました。もちろんコロナ禍の兆しは日本でも最大の関心事でしたが、まさか世界中がこんな長く苦しい状況に陥るだなんて誰も思ってもみなかった頃で……。

振り返れば嵐が2020年末に活動休止すると発表したのは、ストリーミングサービス解禁の約1年前の2019年1月。2018年11月から始まっていた20周年ツアーは50公演で237万5000人を動員し、2019年12月に完走しました。もしこのスケジュールが2、3カ月うしろにズレていたら、ファンへの感謝を宣言して遂行してきたツアーが終われないままだったわけで……。そうなると少し話が違ってきますよね。スーパーアイドルやスターに必要なのは「時の流れを読む勘」「生まれながらに備わっている類稀なる強運」だと僕は思うんですが、その意味でも彼ら5人は絶妙なタイミングで休止という大きな決断をしたんだな、と思ったりもしています。もちろん、中止となった北京公演や、延期となっている国立競技場でのワンマンライブなど、コロナの影響で思うように実現できなかったアイデア、コンサート、いろんなプロジェクトもたくさんあると思いますが、それらが完全に計画通り遂行され、美しくすべてが終わった!となるよりも、この不完全燃焼にこそ、嵐の休息のあとに続く未来がある、そんな気もしています。

キーワードはJ-POP

「Turning Up」は、デビュー20周年記念日にあたる2019年11月3日にリリースされたグループ初の配信シングルでした。マドンナの「Lucky Star」(1983年)のディスコ感、オリー・マーズがトラヴィー・マッコイをフィーチャリングした「Wrapped Up」(2014年)などのグルーヴィなムードから少し土着的でファンキーな要素を抜いてクリアにした2019年モードのサウンド。個人的にも心から大好きな曲です。もちろん櫻井翔さんのラップは少しディストーションをかけた“ダミ声”で展開されるんですが、それを除けば基本的に明るくてまっすぐな5人の歌唱、素直に伸びてゆく心地よい節回しこそが嵐の個性だな、と改めて実感したものです。

作詞家として一番驚いたのが、歌詞の中で「世界中に放て Turning up with the J-pop!」と嵐が歌っていること。“ロックンロール”や“ヒップホップ”ならともかく、自分たちの音楽を“J-POP”と規定し、歌詞に登場させるってなかなかないですよね。J-POPって漠然としているがゆえに生半可なキャリアの持ち主や新人だと説得力が出ない、わりと重い言葉で。1986年にとんねるずが秋元康さんの作詞で「歌謡曲」という楽曲をヒットさせたこともありましたが、そもそも歌手でないとんねるずが外側からの批評、ユーモアを交えて「歌謡曲」というタイトルをリリースした意味とはまったく違う。日本で一番のセールスを誇り、ポピュラーなグループである嵐が自分たちの歌をJ-POPと改めて定義することに彼ららしい意志の強さを感じて。嵐自身が活動休止までの1年間、東京オリンピックも始まり日本に注目が集まるはずの夏に向けて、英語と日本語を織り交ぜたボーダレスな楽曲をかなり緻密に計算して発表した大きな狙いもあると思うんです。スポーツの祭典と連動して日本の楽曲がSpotifyなどを通じてもっともっと世界に響いた可能性もあるので、その意味でも東京オリンピックの延期は残念でした。

もう1つ感じたのは、嵐がこの曲で宣言するJ-POPとはそもそもなんぞや、ということ。それは、彼らがこれまでに王者として君臨してきたCD文化、テレビ文化の中でのJ-POPではなく、ストリーミングサービスによって国境を越えて響き、共鳴する2020年代のJ-POPなのではないでしょうか。「Turning Up」の作曲者の2人、アンドレアス・カールソンさんとエリック・リボムさんは共にスウェーデン出身。アンドレアスさんは嵐も影響を受けたというBackstreet Boysの「I Want It That Way」を世界的に大ヒットさせたのをはじめ、NSYNC、ケイティ・ペリー、Bon Jovi、セリーヌ・ディオン、リッキー・マーティンなども手がけ、日本でもSexy Zone、KAT-TUN、安室奈美恵さんなど多くのアーティストの作品に携わっています。エリックさんは、日本の音楽を研究し数多くの楽曲をヒットさせている天才ソングライター。彼が作曲に関わり、編曲を担当したV6の「D.I.S.」という楽曲(2013年のアルバム「Oh! My! Goodness!」収録)で僕も作詞家として共作したことがあります。エリックさんから届いた音源はすでに歌詞以外のトラックとメロディが完成していて。ポップミュージックのメソッドに忠実で、大衆に愛される楽曲とはどういうものかを科学者のように突き詰めて、コードやメロディを探し求める人という印象でした。1980年代のMTVに影響を受けたであろう彼の好みは、僕にとっても生理的に自然なので、歌詞もめちゃくちゃ書きやすかったです。

音楽輸出大国・スウェーデンを中心とする北欧のプロデューサーが“トラック&フック”とも呼ばれる、大人数での役割分担および共同制作で、2010年代にUSのみならず、K-POP、J-POPも含め、世界中のヒット曲を生み出し続けたことは、僕以外の論者も指摘されていると思うので省きます。が、この「Turning Up」に関しては、ともかくキャッチーな曲をどんどん作ってみよう!という“ヒット曲製造工場”的なイメージよりも、アンドレアスさんとエリックさんの嵐に対する、そしてJ-POPに対する独特の愛情を感じるんです。前回もお話したんですが、僕はNetflixで配信されている嵐のドキュメンタリー番組「ARASHI's Diary -Voyage-」を必ず観ていて。その中で松本潤さんが、YouTubeの音楽部門の責任者に会うためにニューヨークまで飛んで、「嵐の楽曲を世界中の人たちに聴いてもらうにはどうすべきか」を話し合っているシーンがあるんですね。活動休止が決まり、残された時間の中で絶対にやりたいことを考えたとき、演出家としてイニシアチブを握る松本さんが若き日にメモをとりながらライブを観ていたというBackstreet Boysや、大野智さんが影響を受けた彼と同い年のジャスティン・ティンバーレイクも所属したNSYNCといったグループに楽曲提供をしていた──もちろんその2つのグループついては嵐全員が好きだったとは思うのですが……。彼らにオファーすることを決断し、その気持ちにJ-POPを愛するアンドレアスさんとエリックさんが応えたんじゃないかな、と。これは完全な妄想ですが(笑)。作詞はアンドレアスさん、エリックさんのほかにFunk Uchinoさんと櫻井さんが担当されています。この4人のうち、誰がJ-POPというキーワードを出したのかがめちゃくちゃ気になります。もしも、それがスウェーデンの2人発信であったなら、日本の音楽家として「エモい」です(笑)。

「待ってましたーっ!」という快楽

僕自身は、言語がジャンルを定義すると思っているので、日本語で歌うのが“歌謡曲”であり“J-POP”だと思っています。それは作り手やボーカリストがどこの国の人間だとしても。“J-POP”は、ほかの国の音楽と同じように世界中の音楽家と協力しながら生み出す文化の1つ。その点をはっきりしないと未来はありません。そのことはこの夏配信された「IN THE SUMMER」を聴いて改めて感じたことです。英語で歌われる1番のAメロは、かなり無国籍っぽくて。もしなんの説明もなくラジオからいきなり流れてきたとすれば、相葉雅紀さんの少しハスキーで個性的な声が聞こえるまでは嵐と気付かないかもしれません。サビを越えて、2番Aメロで松本さんが初めて日本語で歌い出したときの「はい、この曲はJ-POPでしたー。そうです、嵐でしたー。待ってましたーっ!」という快楽がすごい(笑)。このあたりのバランス感覚は、せっかく海外旅行に行ったはずが一度は現地の寿司屋やラーメン屋に行ってしまう、みたいな日本人の心の肝をわかってるとも思いますし、世界中の人にもJ-POPという独特の文化、言葉の響きの面白さを届けられる最善の選択肢のように感じて。カリフォルニアロール的な文化の和洋折衷は、ジャニー喜多川さんの伝家の宝刀でしたが、より海外に軸足を移し、「ジャニーさんが本当に目指していたことは何か?」という問いに嵐が応えたのが、ジャニーさん亡きあとの彼らの精力的な活動なのかな?とも思います。

日本人って和食や日本の料理にはものすごく自信を持っているのに、音楽に関してはどうしても言葉の壁もあり1歩退いてしまう気がするんですが、2020年代はもっともっとボーダレスになるはずですし、日本人のミュージシャンやアイドル、ソングライターやトラックメーカーがスウェーデンの音楽家のように世界中でさらなるステップアップを図れると思うので、あきらめずにトライしなくちゃいけない。僕も自分自身にも言い聞かせてます。発売したばかりの僕自身のソロアルバム「Funkvision」のマスタリングをザ・ウィークエンドやフランク・オーシャン、ドレイク、デヴィッド・ボウイを手がけたジョー・ラポルタに依頼したんですが、嵐のチャレンジにミュージシャンの自分も負けてはいられないと思ったんです。シンボリックな嵐が変わったことで、日本中の音楽家に刺激が伝わる。そう思うと、ここまで大きな野望と実績と共にJ-POPの看板を掲げて大展開を続けてきた嵐が活動休止するのは残念な思いが残りますね。ただ、日本中から愛されるスーパースターであること、国民的アイドルであることは常人には想像もできないプレッシャー、ストレスとの闘いでもあったはず。数年間それぞれが個人活動をし、何よりゆっくり休んで、いつの日かまたコロナ禍でやり残したことも含め、5人で音楽活動だけでも協力し合ってもらえればうれしいですね。

西寺郷太(ニシデラゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。7月22日には2ndソロアルバム「Funkvision」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

※記事初出時より一部表現に変更が生じました。

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