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SEEDAがラップシーンに与えた衝撃とは何だったのかーー日本語ラップバブル期~『花と雨』誕生まで振り返る

リアルサウンド

20/2/22(土) 8:00

 2020年1月、SEEDAの4枚目のアルバム『花と雨』を基にした同名の映画が公開された。同作を日本語ラップにおける名盤という知識だけを備えて映画を鑑賞した者も多かったはずだ。だからこそ『花と雨』および当時のSEEDAがシーンに与えたインパクトを、当時のラップシーンの流れとともに振り返りたい。

(関連:SEEDA「花と雨」MV

 時を日本語ラップバブルの末期まで遡る。2003年にリリースされたキングギドラ『最終兵器』は、それまでヒットしたポップな日本語ラップとはタイプが全く異なっていた。Jポップ化するラップ、ひいては社会に撃ち込むようなリリックとサウンドは、正に最終兵器であった。代表曲「公開処刑 feat.BOY-KEN」にて、〈英語ばっか使う無国籍ラップ/日本語に心動くべきだ〉というK DUB SHINE(現:Kダブシャイン)のリリックは、当時までメジャーに出ることのなかったハードコアラップの需要を見事に言い表していた。事実、アメリカでも名盤とされるラップは、当事者のリアリティを俗っぽさに富んだローカルな表現でライミングする点が魅力だった。だからこそ、同じ強度を彼らは自分たちのラップにも求めた。膨れ上がっていた日本語ラップ愛好者と、アメリカと同等のリアルさを求めるハードコアラップの潮流が合わさった結果、日本独自のラップを探究する流れがこの時期より一層強まった。その当時アンダーグラウンドシーンを賑わせていたのが漢 a.k.a GAMI率いるMSCだったことも必然と言える。新宿の裏社会に漂う空気感を、日本語独特の硬い押韻でラップにした彼らのスタイルは強い人気を博した。彼らの代名詞といえる『宿ノ斜塔』が出たのも2003年末だ。少し時期が前になるが三軒茶屋エリアを拠点とする般若が所属していた妄走族も、日本の不良という既知の存在をヒップホップで再生産し人気を博していた。みんながアメリカのコピーに終わらないラップを心から求めていた。

 同じ頃、アメリカではエミネムやJay-Zがすでに伝説となっており、50centとカニエ・ウェストがトップ争いをする下でOutKastやNellyを筆頭に将来全米を席巻する南部のサウンドがヒットしはじめていた。これらのヒップホップに魅了された者からすれば、当時の日本語ラップシーンは同じジャンルにも関わらず、全く違うタイプの音楽に聴こえたはずだ。リアリティに拘る音楽を構築する作業は、海外の音楽をローカライズする工夫とは、似て非なるものであった。

 そんな日本語ラップシーンにおいて、USメジャーのように煌びやかなラップをするグループがDOBERMAN INCだった。彼らは確かに人気を集め、対局のスタイルである同じ大阪の韻踏合組合との確執も話題になった。しかし、ライミングやフロウをUSのラップに近づける彼らの試みは、シーンの風向きを変えるまでには至らなかった。それでもなお、DOBERMAN INCのハイファイなビートが話題となり、プロデューサーのBACHLOGICの名前は一気に広まり、メジャーからも声がかかるようになる。

 SEEDAに話を戻すと、当時の彼のラップは異端だった。帰国子女が故にリリックには英語が多く、日本語も英語の発音に寄せていた。フロウは抑揚が激しく力強いのだが、時に詰まって聞こえる程の早口でもあった。要するに一聴すれば巧みさは伝われど、内容が伝わり難かったのだ。バイリンガルラッパーと若い頃から注目されながらも、日本語を大事にする潮流の中ヒットには恵まれなかったSEEDAだが、彼の素晴らしい点はリリース毎にスタイルがアップデートされることにある。徐々にSEEDAのラップは聴き取りやすくなり、2006年9月にリリースされた彼が属するSCARSの『THE ALBUM』では異様な早口のバイリンガルラップとは別物に進化していた。このアルバムでは「SHOW TIME FOR LIFE」と「ばっくれ」の2曲がBACHLOGICプロデュース曲であり、SEEDAとBACHLOGICの相性の良さを感じることができる。だがそれよりも『THE ALBUM』が大いに話題となったのは、彼らがUS顔負けのハスリングラップ(違法ドラッグ売買などの闇社会を扱ったリリックを用いたラップ)の概念を持ち込んだからだ。確かにこれまでも日本語ラップにおいて、薬物売買はトピックとして登場していた。比較として挙げるなら2005年に漢が出したソロアルバム『導~みちしるべ~』は右傾化する日本語ラップを象徴するような作品で、フロウもトラックも不気味さが魅力ではあるが単調さも際立っていた。一方のSCARSが薬物を捌く日常をラップで描けば、多彩なフロウと個性あるパンチラインが飛び交い、スリリングなハスラーの感覚は色鮮やかにリスナーの脳裏に映された。そしてハスラーのラップこそがアメリカのラップの主要トピックでもあり、SCARSの音楽はビートやフロウ以上に中身がアメリカ的だったのだ。その表現力とキャラクターに、彼らがプッシャー(売人)上がりのラッパーであることは誰の耳にも明白な程のリアリティがあった。彼らをアメリカ被れと揶揄する者はいなかった。日本語原理主義とも言えるアンダーグラウンドのラップシーンが、変わり始めた。

 SCARSと、SEEDAがDJ ISSOとリリースした彼らの仲間たちの音源を詰めたMixCD『Concrete Green』シリーズが日本語ラップの新たな時代を築かんという時、BACHLOGIC全曲プロデュースでSEEDAの『花と雨』(2006年)はリリースされた。このアルバムでのSEEDAはSCARS『THE ALBUM』からさらに進化していた。聴き取りやすさは増しつつもフロウが豊かになり、リリックの表現対象がハスリングの先の世界まで広まっていたのだ。SCARSでのSEEDAの声はOnyxのスティッキー・フィンガーズのように喉を潰した迫力のあるものだったが、1曲目の「Adrenalin」から明らかに聞き取りやすく改善されていた。印象的なスキットを含めて「不定職者」や「Sai Bai Man feat.OKI from GEEK」など、シリアスになりがちなハスラーの日常をテクニカルな暗喩で人を煙に巻くようなラップも斬新だった。アルバムは中盤「We Don’t Care feat.Gangsta Taka」や「Just Another Day」でハードなラップをするのだが、捨て駒でしかなかった惨めな現実を垣間見せもする。終盤、ストリートビジネスを繰り広げてきた街を見つめ直すSEEDAは、幼少期の思い出を振り返り、最後に姉の死を乗り越えてゆくクライマックスを迎える。エンドロールのように過去の回想と仲間への謝辞のライムし、『花と雨』は終わる。このようにSEEDAは自身が広めたハスラーラップを、様々な面を持った一人の男のドラマへと拡大させることに成功させたのだった。

 SEEDA及びSCARSのヒットを受け、それまではビートメイカーとほぼ同義語であったプロデューサーという立場が、制作の現場において確立されたことも後に大きな影響を残した。初期の頃からSEEDAの曲に携わったI-DeAも、プロダクションにおいて劇中同様に厳しく指揮していたことは語り草だ。サイプレス上野は『bounce』の連載「LEGEND オブ 日本語ラップ伝説」で彼らの登場までは制作はラッパー主導が一般的だったと振り返っている(参照:https://tower.jp/article/series/2009/06/03/100047373/100047375)。また、本作中のアドリブやリズミカルなフロウ、嘲笑するようなワードプレイの後に引き締まったフックを繋げる緩急のある展開は、翌年活躍するNORIKIYOにも通じる。数年後に登場するPUNPEE率いるPSGの『David』でもその影響は色濃く、特に弟のS.L.A.C.K.(現:5lack)はBACHLOGICのラップに強い影響を受けたことは間違いなく、PSGの「2012 feat.BACHLOGIC」に彼のバースがないのは、あまりに2人のラップが似ているからと筆者は睨んでいる。

 他にも挙げたらキリが無い程に、ハスリングラップの名盤とされる『花と雨』が残した影響は、ハスリングラップに留まらない。映画ではこの作品が出来上がるまでのSEEDAの半生を基にしている。この名作が出来上がるまでのSEEDAはどのような青年で、姉との約束はどのようなものだったのか。アルバム『花と雨』からは読み取れない場面を、映画のシーンは補完させてくれるものだったはずだ。(斎井直史)

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