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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

戦地への「慰霊献歌ツアー」

毎月連載

第27回

20/9/8(火)

Bogdan Vacarciuc/Shutterstock.com

毎年夏の終戦記念日のころになると、人はあの戦争のことを振り返ります。

私が生まれたのは昭和17(1942)年ですから、太平洋戦争のまっただなかでした。父も戦争に行きましたが、なんとか復員してNHK音楽部のディレクターになりました。いまでも続く長寿番組「NHKのど自慢」の発案者であり、初代のディレクターでした。

その発想のみなもとは、戦地での経験にあったと聞いています。

厳しい戦いのあいまに兵隊仲間で開いた演芸大会で、みんなで歌を歌ったのがとても楽しく、忘れられなかったそうで、歌におぼえのある素人に、好きな歌を歌ってもらい、プロが採点するのを番組にしたらどうか?と思いついたのが原点だったそうです。

父やその戦友たちは、国と国との戦争の最前線に放り込まれ、日々、命のやりとりをしていました。きっと、つい数日前まで元気だった仲間が、今日はもうあの世に行ってしまった、というような経験を何度もしたはずです。「明日は自分の番かもしれない」。父だけでなく、前線に立つ兵士たちは、誰もが言い知れぬ不安と恐怖を抱えていたでしょう。

だからこそ、その不安と恐怖をいっときでも忘れさせてくれた仲間との楽しい時間は貴重で尊いものであり、帰国してからもずっと心にあったのでしょう。あの当時、国民の誰もが娯楽の復活を求め、同じ気持ちを抱えていたはずです。だからこそ、「NHKのど自慢」は人々の心を揺さぶり、人気番組になったのだと思います。

父は幸いに祖国に帰ってくることができましたが、さまざまな戦地で暑さや寒さやに苦しみ、傷つき、病を得て、飢え、亡くなっていった人たちがたくさんおられました。アジア地域では110万柱におよぶ方々の遺骨がいまでも日本に帰ることができず、収集されずに置き去りにされています。その人たちのことも、決して忘れることはできません。

私が団長をつとめる六本木男声合唱団ZIG-ZAG(ジグザグ)では、2011年から有志をつのって、太平洋戦争の激戦の地を訪ねる「慰霊献歌ツアー」を行っています。いままでに訪ねたのは、フィリピンのレイテ島、ソロモン諸島のガダルカナル島、パラオのペリリュー島、マーシャル諸島のクェゼリン島、ミャンマーの白骨街道とアラカン山脈です。

現地を訪ねて何をするのか?大勢の方々が亡くなられた海辺やジャングルに向かって、歌を捧げるのです。その方々にもなじみ深かったであろう「君が代」や、「故郷」「赤とんぼ」「からたちの花」などの唱歌を歌い、「海行かば」や「戦友」「同期の桜」などの軍歌も歌います。

祖国への思いを残して逝かれた方々の魂に、せめて私たちの歌を捧げようというのが、この旅の目的です。もちろんそこには、誰もいません。無人の海や森に、歌声が響くだけです。

とくにジャングルはどこを訪ねてもうっそうとしていて、いまでも緑が濃く、神秘的な影を宿しています。

ところが、歌っていると、不思議なことが起こるのです。

それまで空は快晴で無風だったのが、歌いはじめてしばらくすると、急に風が吹いてくるのです。日本では感じたことのない、なんとも不思議な風です。その風は、柔らかなガーゼのような感触で、私たちの頬を撫でるように吹きすぎていきます。まるで、誰かに触れられているかのようでした。

その風に、「魂は存在する」と感じさせられました。

私には、いわゆる霊感はまったくありません。それどころか、幽霊や心霊現象のたぐいはまったく信じていない人間です。でも、歌いながらその不思議な風に頬を撫でられていると、「確かに私たちの歌は、英霊たちに届いている」と感じたのです。亡くなられた方々の思いは70年以上が経過したいまでもその地に生きていて、私たちの歌を聴き、日本を懐かしんでくれているのだ、と。

歌い終わって団員たちにそのことを話すと、驚くべきことに、私だけではなく、全員が同じように感じていました。いまでも信じがたいことですが、これだけは行ったことのある者にしかわからないと思います。そして、私たちがやっていることは小さなことかもしれないが、大きな意味があると思いました。

New Africa/Shutterstock.com

それにつけても許せないのは、彼らに戦いの命令を下した軍の上層部の将官たちの多くが、戦後も生き残っていることです。一兵卒たちと運命をともにした将官は、多くはありません。戦犯になった人もいますが、ほとんどは戦後も生き残り、恩給をもらって、命をながらえました。

それに対して、大多数の兵士は、“一銭五厘”のたった一枚の赤紙=召集令状で呼び出され、いやおうなしに戦地に送り込まれた普通の人たちです。それが、いまだに行くことさえ困難な激戦地に送り込まれ、補給路を断たれ、弾薬も食糧も医薬品もないなかでの戦いを強いられ、命を落としました。連合国軍に投降したくても、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に縛られ、それも許されませんでした。ほとんどが飢え死にか戦病死だったといいます。そこまでして国に尽くした人たちがいまだに遺骨を置き去りにされ、命じた側の指導者たちが戦後の高度経済成長の時代を生きたのです。

そして戦時中の日本軍の機密文書も敗戦時に焼却され、ほとんどが残っていません。私たちが自国のあやまちを振り返るのに、アメリカなどの資料に頼るほかないのです。これは国際社会の常識ではありえないことで、旧ソ連でさえ多くの記録を残しています。イギリスには、首相チャーチルがアメリカ大統領ルーズベルトに欧州参戦をうながす悲鳴に近い電文が残されていて、機密保持期間は80年間だと聞いたことがあります。まもなくそれが公開されるかもしれません。

指導者たる者、日々の言動には大きな責任が伴います。そしてそれは必ず記録に残され、いずれ日の目を見ることになるのです。すなわち、あやまちをおかせば、歴史に汚名を残すことになります。みずからの名誉を汚したくないという思いが、彼らの専横を防ぐことにもつながっているのだと思います。

団員たちのなかにはお父様や叔父様を戦地で亡くされた人もあり、まだまだ訪ねなければいけない場所は、たくさんあります。

これからも、この「慰霊献歌ツアー」は続けていくつもりです。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。

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