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2010年代のアイドルシーン Vol.6 ローカルアイドル文化の隆盛(後編)

ナタリー

21/2/15(月) 19:00

Negiccoによるライブの様子。

2010年代のアイドルシーンを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。この記事では前回に引き続き、地方を拠点に活動するローカルアイドルを題材とする。

前編では2010年代前半にローカルアイドルが急増した要因や、その独自の文化に迫ったが、地元で地道に活動していたグループが次第に全国区になっていくと、その過程で失われるものも多い。当時も今も東京進出、メジャー化は難しいテーマとして存在しているが、今回の記事に登場するNegiccoや3776をはじめ、地域密着型アイドルとして活動する意味や答えを導き出したグループもいる。後編ではそのローカルアイドル文化の光と影について、そしてブームが業界全体にもたらした可能性について、引き続き音楽ライター南波一海の話を軸に、アイドル本人や運営の証言を交えながら紐解いていく。

取材・文 / 小野田衛

ローカルアイドルが抱えるアンビバレントな問題

アイドルは基本的に都市型のサブカルチャーと言える。都会で強く、田舎で弱い文化だ。もちろんAKB48グループや坂道シリーズのように老若男女問わず全国区で愛されるグループも存在するが、コアなファンは地上波のテレビに映らないようなアイドルに注目しがち。数多くライブハウスが存在し、グループが次々と誕生しては消え、毎日どこかしらでアイドル系イベントや対バンライブが開催される……。これは都市部でこそ当たり前の光景となったが、地方に住む者からするとピンとこない現象かもしれない。

いくら日本が経済的・政治的には中央集権国家とはいえ、人口比率において約50%は三大都市圏以外の居住者。そのことを踏まえると、アイドルが常に身近にいる状態は決して当たり前ではない。アイドル雑誌が売れる地域が都市部に偏っているのも当然の結果だと言える。

一方で道路や交通機関の開発が進んだことで、日本から郷土性・土着性が失われたと指摘されるようになってひさしい。地方の幹線道路を車で走っていると、全国どこでも同じような光景が見られるようになった。イオンモールに代表されるショッピングモール、ユニクロやファッションセンターしまむらなどの格安衣料販売店、そのほか各種ファーストフード店、コンビニエンスストア、大型家電量販店、ガソリンスタンド、ディスカウントストア、消費者金融、パチンコ屋、ラブホテル……こうした環境で育つ子供たちは、おのずと趣味・趣向も均一化された傾向に陥りがちだ。こと音楽に関して言うと、ヒットチャート上位に顔を出すようなアーティストをカラオケで歌うことはあっても、通好みするマニアックなものは敬遠されがち。「みんなが聴いているから」「テレビで流れているから」といった理由で保守的に消費されていくのである。

そんな中、地方都市からエッジの立ったアイドルグループが続々と現れたのは“事件”だった。ロンドンから離れたリバプールやマンチェスターで独自のミュージックカルチャーが育つようなことが、ここ日本でも起こるとは到底思えなかったからだ。しかし、アイドルファンはより強い刺激を求める人種。面白いグループがあると知れば、それが有名であろうがなかろうがすぐに飛びつく性質を持っている。ノーザンソウルの現象と同じように、都市から地方へと熱い視線が送られるようになった。

しかし、アイドルが広くポピュラリティを獲得していく過程では痛みが伴うこともあった。芸能活動をしている以上、メンバーがもっと大きな会場でライブをやりたいと考えるのは当然の話。もっと自分たちの曲が知られてほしいし、もっと人気者になりたいと全員が夢を描いている。だからこそ東京に出るし、メジャーと契約を結ぶのだ。前編に続きLinQの高木悠未が証言する。

「今だから言えますけど、メジャーに進出したことで離れてしまったファンの方もけっこういたんです。デビュー当時から応援してくれていた福岡の方は“成長の過程を応援したい”というタイプが多かったんですよ。『メジャーに行ったら、俺らはもう必要ないね』『またこれから育っていくグループのところに行くね』ってSNSでもはっきりと言われましたし」(高木)

それはある意味、インディーズバンドがメジャーデビューする際に離れていくファンがいるのと同じ構造なのかもしれない。そしてこのような「地方だからこそ応援していたのに」という声は常に少女たちを悩ませることになる。音楽ライターの南波一海はローカルアイドルのメジャー進出の難しさについて「本当に複雑かつアンビバレントな問題」と眉をひそめる。

「確かに地元に根差した活動をしているからこそ、彼女たちが東京のアイドルとはどこか違う輝き方をして見えるという面はあると思うんです。ただ一方で、東京でもライブをしてメジャーなレコード会社からリリースするという方向に進まないと、ビジネス的にはなかなか成立しにくいという現実もある。この2つの要素を両立させることが非常に難しいんだと思います。大阪を拠点に活動していたEspeciaも東京に出るタイミングでグループの形を変えざるを得なくなりましたし。当然、人気や実力、それに野心もあるから東京進出するわけですが、そのタイミングで魅力だった何かが削ぎ落とされてしまう可能性も孕んでいて、そのことに対して敏感になるファンもいる、ということなんだと思います」(南波)

ここで名前が挙がったEspeciaの元メンバー・脇田もなりからも話を聞いた。Especiaは1980~90年代のディスコ、AOR、ニュージャックスウィングなどをベースに洗練された音楽性で人気となった大阪・堀江発のグループだった。脇田自身はグループが活動拠点を東京に移すタイミングで卒業したが、その言葉からはローカルアイドルならではの苦悩が滲み出ている。

「私のグループは大阪出身でしたが、実際は東京でのライブが多かったんですよ。それで週末はほとんど遠征していました。毎週金曜日の深夜0時にハイエースに乗り、パーキングエリアで着替えたりして、現地に到着したら即ライブというのが当たり前の生活。睡眠は車移動中に取ることが多かったです。メジャーデビューしてから変わったことと言えば、遠征中の宿泊先。最初は事務所の床だったのが錦糸町のカプセルホテルになり、やがてビジネスホテルへと進化はしました(笑)。とはいえ、最初から遠征費がすごくかかっているなと10代ながらに感じてはいましたね」(脇田)

大阪にいた頃はメンバー全員が実家住まい。アルバイトをしながら活動を続けており、さほど待遇面を気にすることもなかった。しかし上京するとなると、そうもいかない。具体的には家賃や生活費をどのように捻出するか、そこが大きくのしかかってくる。問題は金銭面だけではない。メジャー移籍すればそれまでとは比べ物にならないほど宣伝費が割かれて露出も大幅にアップするが、その反面、売り上げや動員などの結果がシビアに突きつけられる。メンバーにかかる精神的プレッシャーも尋常じゃないはずだ。

「アンダーグラウンドなものがメジャーになっていく過程は確かに見ていて面白い。だけど大きくなっていく過程で、さらにメジャーな会社とタッグを組む必要が出てくる。その部分をうまくハンドリングできるかっていうのはローカルアイドルに限らず非常に難しいテーマですよね。この10年を振り返っても、ほとんど誰もできていないのが実情じゃないですか。でんぱ組.incや(BiSHらが所属する)WACK勢はむしろ例外的な存在。華々しくメジャーデビューを果たしても、そこからさらに大きくなっていったり、あるいはその位置をキープし続けるのも並大抵のことじゃないんだと感じます」(南波)

ローカルアイドルの中には最初から大手の芸能事務所やメジャーレーベルに所属しているグループもある。SKE48、HKT48、NMB48といったAKB48の派生型グループ、TEAM SHACHI(旧:チームしゃちほこ)、たこやきレインボー、ばってん少女隊、いぎなり東北産といったスターダストプロモーションが展開する地方ユニットなどだ。厄介なのはローカルアイドル支持者層の一部に「インディペンデントだからこそ応援する」という考える者がいることである。「大手事務所が運営している時点で、地方アイドルとは呼べない」「NGT48は地元・新潟を盛り上げるとか口では言っているけど、メンバーは埼玉あたりの関東出身者ばかりじゃないか」といった意見は、結果としてシーンの盛り上がりに冷や水を浴びせることになりかねない。もっともこうした視野狭窄な見方は全体として見れば少数派であり、前述したような大手のローカルアイドルも地元市民からの厚い支持を集めているのが現状といえよう。

3776が地域密着型アイドルである必然性

地元密着で活動することにより、予想もしなかった災難が降りかかることもある。ここで新たに証言してくれるのは3776のプロデューサー・石田彰。3776は前身グループのTEAM MIIが“富士宮市制70周年を記念した1年間限定ユニット”としてスタート。そのため初期は自治体としっかりタッグを組んでいた。

「自治体側から言われたのは、お金を稼いではいけないということ。だから物販もできないんですよ。苦情が入るので歌詞の内容はソフトにしなければいけないといった制約もありました。あとは『市が税金を使ってアイドルグループを仕掛けるとは何事か!』といった声も市民のみならず市役所内から上がった様子で、そういう話に巻き込まれてしまうという難点がありました。アイドルグループ肯定派からは『いや、それよりあのモニュメントにかかったお金のほうが無駄ですよ』とか聞きたくない話も聞かされて……」(石田)

TEAM MIIが3776名義に変わってからは、自治体とも離れることになる。これで物販や歌詞への制約はなくなった。しかし、相変わらず邪魔くさい話は付きものだったという。

「例えば地元で使っている広場にしても、『3776は特別扱いされている』とか『もともとあそこは市の職員の利権でしょ?』といった妙な話が広がり、そのせいでルールが変わったこともありました。自分としては東京からお客さんを呼んだりもして多少は地元に貢献もできているかなと思いきや、ひどい言われようですよ。こうしてグループのことを面白く感じていない地元住民がいることを否が応でも思い知らされるわけです。もっとも長い目で見たら、こういう現実を知ることはプラスになりましたけどね。確実に人間として大きくなれます」(石田)

3776の音楽は独創的だ。石田は初期のU2に影響を受け、AKB48に心酔しているということだが、そのことがにわかに信じられないほど奏でる音はアバンギャルド。とはいえニューウェイブ、プログレ、現代音楽などが複雑にトレースされたサウンドがアイドルファン以外からも大きな支持を集めているのは事実で、メンバー井出ちよののカリスマ性も相まって唯一無二の輝きを放っている。

石田は3776というプロジェクトについて「面白いから続けている」と、こともなげに語る。「井出ちよのからもネタが豊富にあふれてくるし、自分もそれをキャッチできている。こうして形になる環境がそろっているから富士宮にいる」ということだ。なるほど、そう考えると3776には地域密着型アイドルであることの必然性が確かに存在するのだろう。

Negiccoも味わってきた悔しい思い

さて、数多く存在するローカルアイドルを象徴するグループと言えば、なんと言ってもNegiccoということで異論はないだろう。結成は2003年。以降、大きなメンバー変動もなく現在までファンから愛され続けてきた。3人のメンバー全員が結婚しているという点も女性アイドルグループとしては異色であり、同時に地元に根差しながらずっと活動を続けていこうという固い意志を感じさせる。Negiccoを運営するEHクリエイターズの熊倉維仁代表はグループが続いた理由として3つの要素を列挙した。

1. 新潟で家族と同居していたことがメンバーの精神的バックボーンになった。

2. UX新潟テレビ21の社内プロジェクト「Team ECO」の告知で毎日のようにテレビに出ていたため、新潟県民の間で認知度が向上した。

3. それに伴って新潟県内の企業の周年祭、行政のイベント、各地のお祭りなどなどからのオファーが増え、Negiccoのプロモーションと収益になった。

ローカルアイドルは資金的にも派手なプロモーションが打てないことが多いため、地道な活動を余儀なくされることが多い。そのためグループの存在を浸透させるのに時間がかかってしまうのだという。Negiccoのメンバーたちも「ここまで来るのに悔しい思いをしたことも少なくなかった」と振り返っている。

「いまだに新潟県民全員に知ってもらえているとは思っていないし、そういう意味じゃまだまだだと思うんですが……。それでも今は道ですれ違った人に『新潟を背負ってがんばってくれてありがとう』と声をかけていただいたりすることもあるんです。でも、昔は街のお祭りで見知らぬおじいちゃんから『お前たちの歌なんか聴きたくない!』とMCの最中に大声で言われたこともありましたからね(苦笑)。

個人的に複雑だったのは、全国放送のテレビ番組に呼んでもらえそうになったときのこと。『方言で話せますか?』と聞かれて、『普段そんなに使っていないから難しいです』と伝えたんです。そうしたら、急にそこで話がなくなったんですよね。結局、地方のアイドルってそういう求められ方しかしていないのかなって思いました」(Kaede)

Kaedeの嘆きは、もっともである。メディアもローカルアイドルをどう扱っていいのかわからなかったというのが真相だろう。ましてやアイドルに詳しくない一般層にとっては、地域に根差した芸能活動を目指す彼女たちの気持ちなど知る由もなかった。Nao☆が続ける。

「スタートした頃は、そもそも地方アイドル自体が指折り数えられるくらいしかいなかったんです。私たちを眺める人も『誰これ? なんなの? Negiccoだってさ』って鼻で笑う感じ。都内でアイドルイベントに出演しても、地方から出てきた私たちだけは控室が用意されていなかったりして、あからさまに下に見られているなと感じました。

だけど、その空気が地方アイドルのナンバーワンを決める大会『U.M.U AWARD 2010』で優勝したあたりから徐々に変わっていったんです。おじいちゃんやおばあちゃんが『Negiccoさんに会えるなんて』と涙ぐんでくださったり、小さい女の子が『Negiccoがみんなに元気を与えてくれる。こんな世の中だからこそ、私も元気を与えたいと思う』と言ってくれたり……。そういうことがあると、17年間がんばってきたことは本当に無駄じゃなかったんだなとしみじみ感じます」(Nao☆)

ローカルアイドルブームが広げた可能性

こうしてNegiccoが地道に、そして精力的に活動を続ける中、Meguにとって“個人的に印象的な分岐点”があったという。

「東京で大きなイベントのオファーがあったんですけど、そのときはすでに新潟のイベントが入っていたんですよ。こういった場合、先に話が決まっているほうを優先するのが筋だから、新潟のイベントに出るのが普通。でも東京のイベントもNegiccoにとってはとても大きなチャンスだったので、ものすごく葛藤がありました。結局、私たちは新潟のイベントに出演しました。ちなみにそこでは梨の皮剥き大会で優勝したんですけど(笑)。でも、あの決断は間違えていなかったと今でも感じるんです。

芸能界を目指している子だったら、やっぱり東京というのは憧れの場所なんですよ。チャンスが転がっているわけだから、単純にうらやましいですし。だけど仮にNegiccoがデビュー初期から東京で活動していたら、こんなに長くは続けられなかったんじゃないかな。すぐ周りの人たちと比べてしまい、自分たちの心も折れ、ネギも折れていたと思う(笑)」(Megu)

東京に出たら、グループ活動にメリットがあることはもちろんわかっている。だけど、そこで失うものがあるのも確かだ。メジャー志向と地元愛の狭間で揺れながら、グループとしてのアイデンティティを模索していく。自分たちは何を目指すのか? そもそも自分はなぜアイドルになったのか? こうした自問の末、Negiccoは新潟の人たちに愛されるグループになる道を選択した。

「地元で活動していると、いい意味でのんびりした感じになりますから。この、のんびりしたペースがNegiccoには合っていたんでしょうね。Negiccoをやっていると、地元・新潟がもっともっと大好きになっていくんですよ。そして新潟を知れば知るほど、大好きが止まりません」(Megu)

もともとはローカルアイドルだったメンバーが、大手事務所に移籍して活躍するというパターンも多くなっている。南波は「ご当地アイドルお取り寄せ図鑑」(BSスカパー!)でMCを務めていた時期、ハロー!プロジェクト関係だけでも群馬県・CoCoRo学園の森戸知沙希(現・モーニング娘。'21)や高知県・はちきんガールズの川村文乃(現・アンジュルム)が活躍する様子を目の当たりにしたという。地元のグループでしっかりとした地力をつけ、東京の大舞台でひと旗揚げる。わかりやすいジャパニーズドリームの構図だ。

「可能性が広がったのは確かでしょう。ハロプロに限らず、今はどこも地方アイドル出身者が本当に多いですから。これは地方アイドルブームが起こったからこその現象ですよね。ブームがなかったら、掘り起こされることがなかった才能がたくさんいるんじゃないかなとは思います」(南波)

地方を足掛かりに東京進出していく者がいる一方で、地元回帰の傾向を強める動きも存在する。バラエティ番組で活躍する王林は青森のグループ・RINGOMUSUMEのリーダーだが、かつて「ラストアイドル」(テレビ朝日系)から誕生したユニット・Good Tearsのメンバーを兼任していた時期もあった。大型プロジェクトだけにステップアップを狙うチャンスだったし、RINGOMUSUMEにも還元できると考えての決定だったのだろう。だが、結果として“二足の草鞋”を思うように履くことができなかった王林はGood Tearsをわずか半年で脱退。地元に戻り青森の魅力を世界に届けることを改めて決意したのである。前述したNegiccoと同様、東京進出を“あきらめた”のではなく、地元の活性化というグループ本来の目的に“立ち返った”ということになる。

「ここ数年、『アイドルブームは峠を超えた』なんて言われることも多くなりましたよね。だけど、各地でここまで浸透したものが完全になくなるとは考えにくい。実際、今も新しいアイドルは生まれ続けていますし。それに、アクターズスクールに代表される地方の教育システムなどは、10年代のアイドルブーム以前から続いてきたものなので、ブームの盛衰に関係なく続いていくんじゃないかなと思います。そもそもそういったスクールは厳密にはアイドル養成機関ではなくて、純粋に歌やダンスを教育する場。だからアウトプットの形がアイドルじゃなくなり、例えばシンガーソングライターやK-POP的なグループに変化する可能性はあるかもしれません」(南波)

いずれにせよ、地方から新たな才能を発掘する動きは今後も止まらないということか。思えばPerfumeや橋本環奈も、元をただせば一介のローカルアイドルだった。今は新型コロナウイルスの影響で活動を自粛しているグループも多いが、社会が以前のような生活を取り戻すことができれば、各地のアイドルは再び懸命に汗を流すことだろう。全国のライブハウスで、商店街で、お祭りで、駐車場で、スーパー銭湯で、老人ホームで、レッスンスタジオで……。アイドルの可能性は無限大だ。地方出身者による地道でユニークな活動によって、アイドルの世界が豊かに彩られていることを私たちは決して忘れてはならない。

※「高木悠未」の「高」は、はしごだかが正式表記。

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