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『ロング・ショット』圧倒的“多幸感”の理由は? 新時代のラブコメとして重要な1本に

リアルサウンド

20/1/24(金) 12:00

 1月3日に公開されて以降、その評判が徐々に広まり、現在ロングヒットを記録しているラブコメ映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』。この映画はやはり、ひとつの“事件”と言ってもいい作品なのではないだろうか。それは、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)で、主人公「マックス」よりもある意味魅力的かつ鮮烈な印象を残したキャラクター「フィリオサ」を演じたシャーリーズ・セロンが、そのキャリアを通じて非常に珍しい“ラブコメ映画”に出演しているからだけではない。この映画でセロン演じる、現アメリカ国務長官で次期大統領候補という“スーパーウーマン”「シャーロット」と副題の通り“ありえない恋”に落ちる本作の実質的な主人公であり、権威に反抗して辞職したばかりで失業中のジャーナリスト「フレッド」を、セス・ローゲンが演じていることが“事件”なのだ。

参考:下ネタ、大麻、スプラッター! 過激な“R指定”CGアニメ『ソーセージ・パーティー』が越えた壁

 もっと正確に言うならば、セス・ローゲンのチームが生み出すラブコメ映画のヒロイン役にセロンが起用されたこと、しかもそこで彼女が、これまで見たことのないような輝きを放っていることが、何よりも驚きだったのだ。けっして混じり合うとは思っていなかった2つの潮流がひとつになったとき、まさかこれほどまで“多幸感”溢れる作品が生まれるとは。それは、両者の長年のファンである筆者としても、実に衝撃的な出来事だった。

●「製作」としても多数の作品を手がけるシャリーズ・セロン

 連続殺人犯を演じた『モンスター』(2003)でアカデミー賞主演女優賞に輝くなど、役者として確固たるキャリアを持つセロンだが、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』以降の彼女の活躍ぶりは、まさしく目を見張るものがある。本格的なアクションに挑んだ『アトミック・ブロンド』(2017)、妊娠中の女性とベビーシッターの交流を描いた『タリーと私と秘密の時間』(2018)、日本ではこの2月7日から公開が決定した『グリンゴ/最強の悪運男』(2018)、そして本作『ロング・ショット』に加えて、先日アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことが報じられた『スキャンダル』(2019)の日本公開も2月21日に控えているセロン。そのいずれもが、彼女自身の見た目はもちろん、ジャンルもテイストもまったく異なる作品であることも驚きだが、ここで注目したいのは上記5つの近作すべての「製作」にセロン自身が名を連ねているのみならず、彼女が代表を務める映画製作会社「デンバー・アンド・デリラ・プロダクションズ」が参加している点である。

 ちなみに同社は、セロンの出演作以外にも、デヴィッド・フィンチャー監督が製作総指揮を務めるNetflixオリジナルドラマ『マインドハンター』(2017年~)や、実在した戦場記者メリー・コルヴィンをロザムンド・パイクが演じた『プライベート・ウォー』(2018)の製作にも参加するなど、現在最も注目されている映画製作会社のひとつである。

 つまり、近年彼女が関与している作品は、すべて彼女自身の主体的な意志によって選び抜かれ、生み出された作品であるということだ。そのなかでも珍しい“コメディ作品”ということで、ひときわ異彩を放っている『ロング・ショット』。この映画に、彼女とその製作会社を招き入れた、本企画の実質的な主導製作会社である「ポイント・グレイ・ピクチャーズ」とは、果たしてどんな会社なのか。それを説明するためにはまず、その創設者のひとりであり、この映画の主人公「フレッド」を演じるコメディ俳優、セス・ローゲンについて説明しなければならないだろう。

●“ブロマンス”映画を浸透させたセス・ローゲン

 クマを想起させるふくよかな体型と妙に通る声、そして時折感情的に早口でまくしたてる姿が印象的なセス・ローゲンは、バンクーバー出身のユダヤ系カナダ人。10代の頃からスタンダップコメディアンとして活躍していた彼は、その後、学園コメディドラマ『フリークス学園』(1999‐2000)で初のテレビ出演を果たした際に、その製作者であるジャド・アパトーに見出され、ハリウッドに進出する。そして、それまで脚本や製作など裏方に回ることが多かったアパトーが満を持して初監督した『40歳の童貞男』(2005)をはじめ、アパトーが関係する数々の映画に出演。アパトーの監督第2作である『無ケ―カクの命中男/ノックトアップ』(2007)で晴れて映画初主演を果たすなど、いわゆる“アパトー・ギャング”のひとりと目されている人物だ。その後、ひとり立ちしたローゲンは、旧知の脚本家であるウィル・ライザーの実体験をもとにした『50/50 フィフティ・フィフティ』(2011)をきっかけに、自身の幼馴染みで長年の共同製作者でもあるエヴァン・ゴールドバーグと映画製作会社を創設。それが、2人が出会った母校の名前を由来とする「ポイント・グレイ・ピクチャーズ」なのだ。

 以降、同社で積極的に映画製作を行う一方、ゴールドバーグと共同名義で『ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日』(2013)や、北朝鮮からのハッカー攻撃が話題となった問題作『ザ・インタビュー』(2014)の監督を務めるなど、その才能を多方面で開花させてきたローゲン。そんな彼の持ちネタは、大きく分けて3つある。自らの出自である“ユダヤ人ネタ”、“大麻をはじめとする薬物ネタ”、そして“シモネタ”の3つだ。そう、全編シモネタと言っても過言ではないR指定アニメ映画『ソーセージ・パーティー』(2016)も、彼の仕事である。しかしながら、アメリカのコメディ映画史におけるローゲンの重要性は、『40歳の童貞男』でアパトーが切り開いた“さえない男たちの友情”物語を、ある種の“ロマンス”にまで押し広げた“ブロマンス”映画を、広く世の中に浸透させた点にあるだろう。

 ローゲンとゴールドバーグが共同で脚本を書いた『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007)をはじめ、親友ジェームズ・フランコと“バディ”を組んだ一連の作品、そしてジョセフ・ゴードン=レヴィットが主演した『50/50 フィフティ・フィフティ』と『ナイト・ビフォア 俺たちのメリーハングオーバー』(2015)など、彼が関わっている作品の多くは、男女間の恋愛を描いているようでいて、その実、主人公を取り巻く男友だちの“絆”や“かけがえのなさ”を描いた映画ばかりなのだ。自分が何者でもなかった頃から、無為な時間を楽しく過ごしてきた男友だちとの、ある種ホモソーシャルな“親密さ”を描いたブロマンス映画。それによって彼は、コメディ映画界に新たな潮流を生み出すと同時に、世の男性たちから絶大なる共感と支持を獲得してきた人物なのだ。

 奇しくも、シャーリーズ・セロンが近年築き上げてきた“自立して行動するカッコいい女性”像とは、まったく対照的であるどころか、あまり食い合わせが良いとは思えないジャンルで、現在の地位を築き上げてきたセス・ローゲン。でも、今はもう、そういう時代ではないのだろう。2人の映画製作会社が仲良くその名を並べている映画『ロング・ショット』には、そう思わせるに足る説得力と“新しさ”、そして何よりも圧倒的な“多幸感”があったのだ。

●「男として/女として」を超えた物語

 リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが出演し、日本でも大ヒットを記録したラブコメ映画のスタンダード『プリティ・ウーマン』(1990)の“男女逆転版”とも言われている本作。劇中の印象的なシーンで、『プリティ・ウーマン』の挿入歌として世界的なヒットを記録したロクセットの「愛のぬくもり(It Must Have Been Love)」が流れることなどから、本作が『プリティ・ウーマン』を大いに意識していることは、確かに間違いないことだろう。しかし、そこで描き出されるものは、単に男女の役割を逆転した、いわゆる“ミラーリング”以上のものがあったのではないか。それが筆者の個人的な感想である。無論、ひょんなことから親密な関係となっていく男女と、立場や生活環境、あるいは2人の関係を好ましく思わない人々など、その関係性を阻む数々の困難という構図は同じである。しかし、その本質は、実は若い頃に出会っていた2人が、お互いの中に自らの原点を見出し、いつのまにか頑なに保持するようになっていた自身の“世界の見方”を、緩やかに変化させていく点にあるのではないだろうか。それはあたかも、ローゲンが打ち出してきた“ブロマンス”的な価値観と、セロンの“自立して行動するカッコいい女性”像が、衝突し合うことなく、緩やかに溶け合うような……そんな驚きと感動が、本作にはあるように思うのだ。

 もちろん、国務長官であり次期大統領候補であるシャーロットを演じるセロンは、輝くばかりに美しく、抜群にカッコいい。女性も憧れるカッコ良さが、確かにそこにはあるのだろう。一方、フレッドを演じるローゲンは、本作においても、その得意ネタであるユダヤ人ネタ、大麻ネタ、シモネタを封じることなく、その随所にちりばめながら……というか、オシェア・ジャクソン・Jr演じるフレッドの親友「ランス」は、ローゲン映画では欠くことのできない“ブロマンス”の相手として、実はかなり重要な役割を担っていると言えるだろう。

 そんなセロンの“カッコ良さ”とローゲンの“ブロマンス”は本作において、必ずしも物語の本流をさまたげるものではなく、むしろそれを強化するものとして機能しているところが本作の面白さであり、何よりの“新しさ”だ。フレッドは、シャーロットの“カッコ良さ”に惹かれるのであり、そんな彼の思いを最終的に後押しするのは、その親友であるランスなのだから。

 そう、あくまでも本作は、シャーロットとフレッドの物語なのだ。しかもそれが、「男として/女として」といった枠組みを超えて、互いに惹かれ合い認め合う「パートナー」として描かれているところが、本作の画期的なところであり、今後のラブコメ映画の“在り方”を考える上でも、実に重要なところなのだ。お互いが持っている価値観を否定せずに尊重し合いながら、それに縛られることなく、お互いが緩やかに変化していくこと。それは、ある種の“理想”や“希望”なのかもしれない。けれども、それをありえないスケール感で華やかに提示してみせることは、映画が本来持っていた役割のひとつであり、大きな喜びではなかったのか。それを観る人々の心に生まれるのは、純粋な“あこがれ”だ。その“あこがれ”こそが、たとえ何歳になろうと、我々を突き動かし、駆動するものではなかったのか。『ロング・ショット』は、ともすれば分断されつつあった2つの価値観を、同時代のポップカルチャーを手掛かりに混ぜ合わせた“新時代のラブコメ映画”であると同時に、映画が本来持っていた喜び(それが本作の“多幸感”の正体だ)を久しぶりに思い起こさせてくれるという意味でも、実に重要な一本と言えるだろう。(麦倉正樹)

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