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樋口尚文 銀幕の個性派たち

中島葵、憂鬱と純情の交差点

毎月連載

第69回

『愛のコリーダ』の中島葵 Ⓒ大島渚プロダクション

『愛のコリーダ』、そして森雅之

大島渚監督の代表作のひとつ『愛のコリーダ』がリバイバル・ロードショーとなるので、その修復版の内覧に赴いたが、主人公の阿部定(松田英子)と石田吉蔵(藤竜也)のほかに最も目立っていたのは割烹を営む吉蔵の女房を演じた中島葵であった。色男の吉蔵が店で雇っていた女中の定とねんごろになったらしいと気づき、嫌がらせで吉蔵との情交を定に見せつけ、店をやめさせる。これがきっかけで、逆に吉蔵は家を出て定と待合を転々とし、高名な「情痴事件」が起こる。中島葵の出番はさほど多くないのだが、そのまなざしに妻としての嫉妬と殺気が見えてさすがの存在感だった。

ところが撮影が終わった後、中島は撮影隊の泊まる旅館で大荒れだったといい、夜更けまで怒声を発して暴れていたと、その場にいたスタッフから聞いたことがある。それというのも、『愛のコリーダ』は実際に性行為をして演技をする本邦初のハードコア・ポルノであることが評判となっていたが、その「本番撮影」に最初にのぞんだのが中島だった。自分が一番めだとは聞かされていなかった中島は、動揺しながらも堂々とその大切な場面を演じきった。

『愛のコリーダ』の中島葵 Ⓒ大島渚プロダクション

とはいえ、猫も杓子も軽々とアダルトサイトで「本番」を公開して小金を得ている昨今とは違って、いかにソフト・ポルノである日活ロマンポルノで場数を踏んできた中島も、本当の性行為を見せることには相当な抵抗感と覚悟があったはずである。それに中島は、こういうことを引き受けるには繊細過ぎる感じの、憂鬱と純情がせめぎあったままはりついたような表情のひとであった。それは彼女の生い立ちがはぐくんだ風情であったかもしれない。中島はあの名優、森雅之と元宝塚スタアの梅香ふみ子の不倫の末に生まれた子であり、終戦間際に妊娠を知った梅香は森と別れ実家の熊本に帰って中島を産んだ。

梅香の生活の窮状を知った小林一三が劇団を作ってくれたので、彼女は幼い中島を熊本の親に預けながら劇団のある関西に「出稼ぎ」に出た。十歳になってようやく中島は母のもとで暮らせるようになったが、そこは血筋か小学生の頃から大阪の児童劇団に入って地元局の番組に出たりしていた。そして1961年、高一の時に初めて父の森雅之に会って認知されるも、その条件として以後一切面会を許されなかった。しかし中島が父を想う気持ちは以後も変わらず、こうした境遇があの憂鬱と純情がないまぜになった複雑な表情をつくったに違いない。

珠玉の日活ロマンポルノ主演作

提供=万代博実

1964年に日大芸術学部演劇科に特待生として入学するも中退して文学座に入り、『黄金の頭』『かくも長き不在』などに出演、1973年からは演劇センター68/71に参加して「黒テント」の一員として佐藤信の『喜劇 阿部定』などに出た。この73年という年は、中島にとってはある転機の年だったようで、こうしたアングラ演劇に傾倒する一方で活気のあった日活ロマンポルノにも出演を開始したのだった。中島が最初に出たロマンポルノ作品『ためいき』は73年11月20日公開だが、これは父が10月7日に62歳で病没したひと月後だった。ここで中島も何かふっきれたものがあったのではないか。

それから中島は1980年まで実に約40本ほどのロマンポルノ作品に出演したが、やはり個性派の風貌なので主演は本当にほんの数本(若松孝二、高橋伴明、和泉聖治らのピンク映画では主演であったが)であった。その貴重な主演作の一本、1974年2月公開の『OL日記 濡れた札束』は華々しい傑作、問題作でもなんでもないが、実に忘れがたい情感の小箱のような佳篇である。前年に発覚して世間が騒然となった、地方銀行の40代の女子行員が10歳下のタクシー運転手の男に銀行から横領した9億円を貢いでいた事件をモデルにした作品だった。その実話を、後にミステリー作家、典厩五郎となる脚本家の宮下教雄が、吉田茂―岸信介―三島由紀夫と戦後史のクロニクルを絡めながら、40代で男を知った女のまさに憂鬱と純情の物語に仕立て、仏文系の作品が多い加藤彰監督が抑制的なタッチで撮った。樋口康雄の『エロスは甘き香り』のリリカルな優しいサントラが傑作『(秘)色情めす市場』に続いてここにも「流用」されているが、その安づくりの即製感さえもがしがない情感をかきたてる。

提供=万代博実

そしてそこに中島葵のべたつかないクールな憂愁の表情があまりにもはまった。個性派の中島は他社では到底映画の主役を張ることはあり得なかっただろうが、日活ロマンポルノはそれもありだったことで映画がさらに豊かになった。70年代のロマンポルノの劇場には、人生の辺境にふれるような寂寞とした情感と、世の中からはぐれた空虚なエアポケットに迷い込んだような感覚が充満していたが、こと中島葵のような個性派が二番手三番手の重要な役でスクリーンに現れると、そんなアウトローな映画と劇場の情趣もいや増すのであった。

1978年からはパートナーの芥正彦と「ホモフィクタスACT&AOI劇団」を結成して演劇活動も旺盛に行っていたが、子宮頸がんに冒され1991年5月16日に45歳で他界したのはつくづく惜しまれる。母の梅香ふみ子こと中島茂香は葵の死に深く心を痛めたが、以後二十余年も愛娘が不在の世界に生き、2013年に102歳で鬼籍に入った。

提供=万代博実

中島葵 最新出演作品

映画『愛のコリーダ』
日本初公開:1976年10月16日
2021年4月30日からリバイバル公開(配給:アンプラグト)

監督:大島渚
出演:藤竜也/松田英子/中島葵/殿山泰司/小山明子

プロフィール

樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)

1962年生まれ。映画評論家/映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』『ロマンポルノと実録やくざ映画』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『映画のキャッチコピー学』ほか。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。新著は『秋吉久美子 調書』。『大島渚 全作品秘蔵資料集成』(編著、5月刊行予定)。

『大島渚 全作品秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション 編著:樋口尚文 国書刊行会・5月刊行予定

『葬式の名人』

『葬式の名人』
2019年9月20日公開 配給:ティ・ジョイ
監督:樋口尚文 原作:川端康成
脚本:大野裕之
出演:前田敦子/高良健吾/白洲迅/尾上寛之/中西美帆/奥野瑛太/佐藤都輝子/樋井明日香/中江有里/大島葉子/佐伯日菜子/阿比留照太/桂雀々/堀内正美/和泉ちぬ/福本清三/中島貞夫/栗塚旭/有馬稲子

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