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上白石萌歌と田辺誠一を対の存在として描いた理由 『3年A組』に込められた現実世界への祈り

リアルサウンド

19/3/12(火) 16:00

 『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)が終わった。このドラマの面白さは、時に引っ掛け問題あり、荒唐無稽で遊び心たっぷりの、リアリティとは正反対の方法論を用いて視聴者参加型の「エンターテインメントショー」として物語を見せるところにあった。その一方で、時代遅れではないかと思うほど真摯で真っ当で、暑苦しいほど魂のこもった言葉を、何度も何度も必死でぶつけてくる部分に多くの視聴者が夢中になった。

参考:菅田将暉のメッセージに10日間のすべてが集約 『3年A組』がネット社会へ訴えかけた強烈な警鐘

 「上辺だけじゃなくて、本質から目を背けるな」と何度も繰り返されてきた菅田将暉演じる柊の台詞そのままに、このドラマは、かっこつけた上辺に、泥臭い本質を隠した。「明日への活力」という、真っ当すぎてひねくれ者が少しばかり照れてしまう言葉を連呼した、このドラマの得体のしれない熱さこそ、私たち視聴者の心を揺り動かしたのである。

 まず、このドラマがメディアリテラシーの大切さを説いたものである前に、とても優れた青春ドラマであったことを、これから益々活躍していくのだろう多くの若手俳優たちの熱演に対する賞賛と共に言及しておきたい。

 最終話、彼らは柊によって守られた世界である教室から、理解ある大人・郡司(椎名桔平)の助けを借りて、自ら危険な外の世界へと飛び出す。そして飛び降りようとする柊の手をすんでのところで掴み、茅野(永野芽郁)の心と柊の身体の両方を救ったシーンに、なによりグッときた人は多かったのではないだろうか。

 一方でちゃんと現代を描いた社会派ドラマでもあった。ネットの炎上とフェイクニュースを扱ったドラマとしては昨年放送の野木亜紀子脚本の『フェイクニュース』(NHK総合)や井上由美子脚本の『炎上弁護人』(NHK総合)が挙げられる。前者は、ヒロイン自身も踊らされかねない、ネットの怪物的怖さを見せ、後者は、SNS社会の恐ろしさの奥にある人間の優しさを最後に呈示することで希望を見せた。そして、武藤将吾脚本の『3年A組』は、同じ炎上とフェイクニュースを扱った上で、カメラの向こうにいる視聴者に向けて、真正面からネットリテラシーの大切さをぶつけた。まさに“ド直球”の大演説をやってのけたのである。

 このドラマは、カメラや登場人物たちの目によって切り取られた断片的な事実を繋ぎ合わせることで、真実が少しずつ見えてくる「目」のドラマであった。そして、景山澪奈(上白石萌歌)を中心として何層もの「見られる」構造からなるドラマでもあった。その外側に、最後に暴かれたこの事件の“真犯人”であるSNSのユーザーたちの目があり、さらにその外側に、私たち視聴者の目があったことは言うまでもない。

 なにより興味深かった「目」の演出が、田辺誠一演じる“平成最後の熱血教師”武智の疑惑を描いた7話である。冒頭は武智の主観ショットによって始まり、ファンに囲まれテレビカメラを向けられたところで、その映像は彼の目の中に吸い込まれていく。そして武智を疑惑の目で見ている人々にいつものように「見られる」武智のふざけた姿が示される。その後も、番組出演がキャンセルになり動揺する武智の目の中に入っていくカメラは、彼の心象風景として画面を歪める。そして、終盤再び、自白する彼の目の中に入ったカメラは、暗闇の中で刃のように白く輝く、柊の「正義」の目、本物の「熱血教師」として生徒のこれからを信じている真っ直ぐな目と対峙し、怯えて歪む。

 どうしてここまで武智という小悪党ともいうべき人物が、一際丁寧に、その心象風景と生い立ちまで鮮明に描かれたのか。それには、この物語の中心にいながら、既に死んでしまった存在である澪奈を、武智という対の存在を通して描く目的があったように思う。

 最期の彼女が屋上で取り乱し苦しむ姿は、ネットで激しく糾弾され、話しかけてくる人間が全員敵なのではないかと幻聴に怯え苦しむ武智の姿が重なることによってより鮮明になる。視聴者は誰にでも起こりうる問題としてこの事を捉える。ネット社会において、簡単に加害者は被害者になり得るのだと。

 そればかりでなく、武智と澪奈、加害者と被害者であり性格も立場も正反対の2人は、皮肉にも多くの人々に「見られる」存在であり、上辺だけ“被写体”として消費される存在だったという点で共通していた。まるで、8話冒頭の明るいナレーションと武智の哀しい人生の乖離と同じように、これまで視聴者が全篇通して見せられてきた太陽のように強く凛々しい将来有望な少女という見た目の内側にある、今にも壊れそうな弱さは、終盤2話に差し掛かるまで誰にも気づかれることがなかった。

 かつてアクション俳優としてヒーロー役を目指していたが病気のために敵役のまま夢を諦めざるを得なかった柊は、事件を起こすことで文字通り「世界を敵に回しても、正義のために戦う」ヒーローになったが、当然ながら手錠をかけられる。一方、本物のヒーローである“ガルムフェニックス”と戦い、生徒たちのヒーローになった柊に手錠をかける郡司がこのドラマにおけるヒーローに対する敵役かと言えば、そんなこともない。彼もまた、柊と同じ志を持った、何より本質を見極めることを大切にする人物だ。現実世界において、ヒーローと敵役の線引きは曖昧である。

 そんな世界において、柊がやろうとした大きな「救済」は、最終回、生徒や教師たちがそれぞれに、傷ついた人に向かって手を差し伸べることによって静かに広がっていく。それは、ラストシーンの茅野の祈りとなって、こちらの世界に確かに繋がっているように思う。(藤原奈緒)

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