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広瀬姉妹、永山兄弟、夢のラインナップが実現 『リモートドラマ Living』台詞の背後を深読み

リアルサウンド

20/5/31(日) 14:40

 5月30日(土曜23時30分)、第1話・第2話が放送された『リモートドラマ Living』(NHK総合、以下『Living』)は、打ち合わせも撮影もオールリモートで制作された1話15分、全4話からなるオムニバスファンタジーだ。

【写真】エプロン姿の永山兄弟

 作家(阿部サダヲ)が喋るドングリ(声・壇蜜)とのやりとりから生まれる4つの物語は、第1話が広瀬アリスと広瀬すずの姉妹、第2話が永山瑛太と永山絢斗の兄弟、そして来週放送される第3話が中尾明慶と仲里依紗、第4話が青木崇高と優香(声)という実の家族(姉妹、兄弟、夫婦)が共演。これはリモート撮影ゆえの苦肉の策だが、こんな時だからこそ実現した夢のラインナップである。

 脚本は、2018年の『anone』(日本テレビ系)以来のドラマ執筆となる坂元裕二。制作統括は連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)や大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK総合)の訓覇圭。

 坂元は『最高の離婚』(フジテレビ系)で、訓覇は宮藤官九郎が脚本を担当した『あまちゃん』で、フィクションの中に“震災以降の現実”が侵食してくる姿を2010年代に描いていた。

 そんな二人が手を組み“リモートドラマ”というコロナ禍の現在をもっとも象徴する映像表現を用いたドラマを手掛けたのが『Living』だが、コロナ禍の現実からは距離をとっており、寓話的な物語を通して、現在を見つめるドラマとなっている。

 たとえば、第1話「ネアンデルタール」の主人公、クコ(広瀬すず)とシイ(広瀬アリス)は絶滅間近のネアンデルタール人。多数派のホモサピエンス(人間)と結婚すると自分たちの種族が滅んでしまうため、なんとか絶滅を阻止するためにネアンデルタール人と付き合いたいのだが、中々出会いがない。二人の会話から伺えるホモサピエンスは多数派でコミュ力があり、ちょっと悪くてちょっとかわいいのに対し、ネアンデルタール人は少数派のマイノリティで、イマイチパッとしない。

 人類とネアンデルタール人の関係はマジョリティとマイノリティの対立にも見えるし、坂元が『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)で描いた日本社会における男女の格差の話にも聞こえる。基本的には広瀬アリス&すず姉妹がイチャイチャしている姿を観ているだけで、あっという間に時間が過ぎてしまう楽しくてかわいいドラマなのだが、会話の背後にある世界を想像すると、絶滅間近のネアンデルタール人から見た野蛮で獰猛な人類という支配構造が浮かび上がってくる恐い話なのだ。

 対して第2話「国境」は、ハク(永山瑛太)とライ(永山絢斗)の兄弟が、ひき肉と玉ねぎを炒めてじゃがいもを混ぜたものを丸めてパン粉で固めたものを油でカリカリに揚げた料理を作ろうとする話。

 二人は、令和時代や昭和時代といった昔の食べ物を作る労働をしている。この時代には「怒る」「悲しい」という言葉は使われなくなっており「どうせ失敗するんだから諦めなさい」という価値観が常識化している。そして、再び戦争がまたはじまることが二人の会話からわかってくる。

 メガネをかけた永山兄弟がお互いのエプロンの背中の紐を結び合うシーンはかわいく、広瀬姉妹以上のイチャイチャ感があるのだが、楽しく語られる未来の状況は不穏で、それが「新しい日常」となっていることの不気味さが表現されている。

 どちらの話も、ドングリとの対話を通して小説家が紡ぎ出す物語だが、ドングリは「人類が滅びる。先生、それはとっても素晴らしいことです」「人間が終わっても、世界は別に終わりませんよ」と、人間は愚かで滅びてもいい存在なのだと「かわいい声」で語りかけてくる。

 作家は、そんなドングリに反発して「人間のすばらしさ」を描こうとするのだが、出来上がった物語は捻れてしまい、むしろ人間に対する不信感が強く現れたものとなっていく。

 ドングリに「もうおわかりのはずです。人類はこの世の嫌われものだってことに」と言われた作家は「わかってる」「ずっとそう思っていた、そう言いたくて作家になった」と言った後、「作家というものは人間の醜い部分を書くものなのだ」「危険な毒を吐くものなのだ」と言いながら「それが今やなんだ? 正直、現実の人間が醜くすぎて、私の吐く毒が毒ではなくなってしまった」と嘆き、こうなった以上「人間ってすばらしい」という物語を書こうと決意する。

 作家の言葉は、醜い現実ではなく美しい理想を描くと宣言しているように聞こえる。しかし、作品から受ける印象は真逆で、今のコロナ禍では、口に出すと不謹慎だと言われかねない毒のある絶望を優しく楽しい語り口で展開するという、フィクションでしかできないことを、しれっとやってのけているのだ。

 その表現としての大胆不敵さに、SNSも含めたコロナ禍の現実にうんざりしている現実よりも虚構が好きな筆者は、救いのようなものを感じた。

 台詞の背後を深読みしてあれこれ想像しても楽しめるし、広瀬姉妹、永山兄弟のイチャイチャ動画としても楽しめる最高のオムニバスドラマである。

(成馬零一)

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