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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

酒井政利プロデューサーの“育ての親”は 大賀典雄氏だった

毎月連載

第32回

酒井政利氏

前回に引き続き酒井政利氏の話題を書きます。

酒井氏が面白いことをいっている。
「僕をプロデュースした人、プロデューサーがいるんです。大賀典雄さんです」
プロデューサーにプロデューサーがいた?普通なら育ての親とでもいうべきところを自らの職業、プロデューサーといい替えたところがなんとなくおかしい。

ソニーの三代目社長を務めた故大賀典雄氏は、酒井氏が出会ったときは発足し立てのCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)専務取締役だった。東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)、ベルリン国立芸術大出身のバリトン歌手でもあった。酒井氏のほうはCBS・ソニーのぺいぺい社員だった。

あるとき大賀氏が、天地真理のレコーディングをやっているスタジオへふらりと現われた。天地の素人っぽさの抜け切らない歌いぶりに冷や冷やものだった酒井氏が、
「なにせアマチュアですから」
と弁解これ努めると、
「いや、そのアマチュアなところがいいんじゃないの?そこがむしろ新鮮で武器になると思うよ」
と意外な返事が返ってきた。酒井氏はウィークポイントがセールスポイントになることを学んだという。

大賀典雄氏 写真:ロイター/アフロ

1969年、カルメン・マキの「時には母のない子のように」が大ヒットとなったとき、大賀氏からご褒美が出た。3週間のアメリカ音楽界視察である。酒井氏にとっては初めての海外旅行だった。貪欲にショウ、コンサートを見て回った。大御所のフランク・シナトラがデビュウ当時は若い女の子たちにワーワーキャーキャーいわれる所謂アイドル歌手だったと教えられ、はっと気づいた。決してアイドル歌手がいっときのあだ花でないことを悟らされたのだ。酒井氏は、前回も紹介したようにアイドル歌手育成のプロ中のプロと目されているが、このときシナトラのキャリアから学んだことが大いに役立っているものと思われる。

酒井氏は、気がつくと何気なく大賀氏に背中を押されていることがしばしばあったそうだ。大賀氏あっての酒井氏の音楽プロデューサー人生といえなくもない。去年秋、文化功労者として顕彰されることになったときも、いの一番に未亡人のみどりさん(著名なピアニスト)のもとに報告に出向いたという。

もうひとつ、酒井氏の人生に大きな足跡を残した外国旅行がある。その旅の思い出にも大賀氏の名前が刻印されている。1977年、電通が企画した南太平洋の旅である。期間は3週間。確たる目的はない。阿久悠、浅井愼平、池田満寿夫、多田道太郎、平岡正明、横尾忠則氏ら各界第一線で活躍する人たちとフィジー、タヒチ、イースター島などを一回りしませんかという誘いであった。電通は“先生方”を拘束状態にとどめ置き、さまざまな知見を得ようとしたのだろう。

「3週間も会社休めないなあって躊躇していたんですが、大賀さんに相談すると、是非行ってきなさいよって……」
仕事のためには人間関係を広げることが必要だし、直接、今やっている仕事と結びつかない人間関係だってのちのち役立つことがあると、大賀氏は先の先まで読んでいたにちがいない。

そうそうたる顔ぶれが集まった旅行だから、談論風発絶えることなし。横尾忠則氏がUFOを呼び寄せるなんてイベント?もあった。すでにピンク・レディーの「UFO」を作詞していた阿久悠はどんな思いでそのなりゆきを見詰めていたのだろうか。

酒井氏は池田満寿夫氏から自作の「エーゲ海に捧ぐ」は歌にならないかという相談を受けた。でもあまり気乗りしなかった。大衆歌謡には寂しさ侘しさが必要で、エーゲ海のイメージはリッチ過ぎると述べると、池田氏は不満気だったらしい。

ところが、その後、池田氏の小説は原作者自身の脚本・監督で映画化されることになる(製作熊田朝雄、配給東宝東和)。更に出演女優イロナ・スターラ(チッチョリーナ)を起用したワコールのTVCMが製作される話が持ち上がった。映画とのタイアップか?コマーシャルとなると当然音楽が必要で、その依頼を受けたのが酒井氏であった。酒井氏は、作詞阿木燿子、作曲筒美京平、歌ジュディ・オングという強力な布陣でプロデュースに臨んだ。

「エーゲ海の風、胸もとに」というコピーのワコールフロントホックブラのCMは今見ても結構悩ましい。白いブラジャーを付けたチッチョリーナの胸もとについ目線がいってしまう。その視覚的効果も手伝ってか曲も多くの人々の耳を捉えた。ジュディ・オングの名前は伏せられていたので局、スポンサーに「歌ってるのは誰?」と問い合わせが殺到したという。もちろん詞、曲もよかった。妙に扇情的というところがなく洗練味が漂う。「魅せられて」の題名でシングル盤にカットされヒットするのは時間の問題であった。

1979年に発売されたジュディ・オング「魅せられて」

酒井氏はCMソングの依頼を受けたときからシングル盤ヒットを狙っていたかどうか、わからない。しかし、レコード会社に身を置くプロデューサーとしては密かに期するところはあったはずだ。同じエーゲ海ネタで歌を作るにしてもいきなり池田満寿夫氏の小説からではなく、ブラジャーのCMソングからなら話は別と考え方をスウィッチできるところが、いかにも敏腕プロデューサーらしく興味をそそられる。酒井氏は今もってこう断言する。

「『魅せられて』は小説ではなくコマーシャルがもとなんです」

それともうひとつ、南の島で酒井氏が池田氏に告げたように、大衆はかならずしも歌に寂しさ侘しさを求めなくなりつつあったのではないか。むしろリッチさを求めるようになっていたのではないか。ワコールのCMも「魅せられて」もその時代の潮流にぴったりはまったように思える。名プロデューサーはよく鼻が利く。

昔話はさて措き、酒井さん、改めて文化功労者おめでとうございます。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。

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