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監視国家化が進む中国で、なぜ豊かな生活が実現しつつあるのか? 梶谷 懐氏に聞く

リアルサウンド

19/9/27(金) 12:00

 現代中国経済論を専門とする経済学者の梶谷 懐氏と、中国社会の実態を探るジャーナリストの高口康太氏による共著『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)は、近年、国際的にも経済的にも大きな変化の渦中にある“監視国家”の中国が、多くの日本人の想像とは異なり、技術革新によって豊かな国民生活を実現しつつもあり、他の資本主義国家の行く末を占う可能性さえあることを、豊富な事例や思想的背景とともに示唆する一冊だ。AIやアルゴリズムを用いた統治によって、中国はどのように変化してきているのか。そこにはどのような危険性が潜んでいるのか。著者の一人である梶谷 懐氏に話を聞いた。(編集部)

監視テクノロジーで豊かになる中国

ーー『幸福な監視国家・中国』では、監視国家化が進む現在の中国の実態を、ディストピア的なイメージで捉えるのはミスリードであると指摘しています。その理由を改めて教えてください。

梶谷:中国の監視国家化が進んでいること自体は間違いではなく、実際に街では多くの監視カメラが設置され、中国人はあらゆる場面で個人情報を提供しており、メディアには検閲もあります。AIやIoTが発展することで、ますます監視の目が増えているのも事実でしょう。しかし、『1984年』で描かれたようなデジタル・レーニン主義的な恐怖政治が実現され、人々は欲求を押し殺して窮屈な生活を送ることを強いられているかというと、必ずしもそうとは言えません。むしろ、中国では人々が政府や企業に対して多くの情報を提供することで、新しく便利なサービスが次々と実現していて、できる限り安全な社会に住みたいとか、便利に生活したいといった欲求が叶えられています。

ーー監視国家化が進んだことで、人々が必ずしも不自由になっているわけではないと。実際に個人情報を提供することで、どんなサービスが実現しているのですか?

梶谷:例えば、最近では遠隔医療の発展が挙げられます。中国は医療制度の効率性が悪く、病院の待ち時間が異様に長い、あるいは大きな病院がない地方ではまともな治療が受けられないといった問題がありましたが、保険会社が患者の医療データをオンライン上で共有するサービスを開発し、これによって医療現場における効率性が向上しつつあります。他にも、日本であまり知られていないものとしては、オンラインを活用したベビーシッターのマッチングサービスなども登場してきました。これらのサービスには、顧客がサービス提供者を評価、あるいは顧客とサービス提供者が相互に評価する機能があります。つまりは監視をしているわけですが、それによって高品質なサービスを提供する企業や個人はますます評価が高まりますし、いわゆるモンスター・クレイマーのような顧客はサービスを受けにくくなるため、全体的にモラルやマナーが向上しています。中国は社会主義国家なので、人々の欲求を叶えることで発展していく資本主義的な価値観とは対極にあるようなイメージがありますが、それはミスリードであると私は考えています。

ーー中国では、個人情報を政府や企業に対して提供することに対する抵抗はあまりないのでしょうか?

梶谷:中国人も、日本人と同じようにプライバシーは重視しているはずです。しかし、それ以上に、生活が便利になるのであれば個人情報を提供しても構わないとする判断があるのではないかと考えています。その根底には、我々にとっても身近な功利主義(ある行為が正しいか否かは、その結果としてどのような効用が得られるかによって決まるという考え方。社会を構成する一人ひとりの個人が感じる幸福の総量を重視する)的な価値観があり、“最大多数の最大幸福”を追求していった結果として、現在のような状況になったのだと捉えています。中国では急速な経済成長を遂げていることもあって、人々がテクノロジーに対して抱いている信頼度が高く、それによって生まれる未来の社会に対しても楽観的な姿勢を持っています。そうしたことも功利主義的な価値観を後押しすることに繋がったのではないかと。

ーー功利主義的な観点から、プライバシーを守ることよりも、個人情報を提供して新たなサービスを受けること、つまりは監視国家化していく方が、人々にとってメリットが大きいと判断されてきたわけですね。

梶谷:もっと豊かになりたい、もっと便利になりたいという人々の欲求を叶えることと、監視国家化していくことは、必ずしも矛盾しません。監視テクノロジーが発展すれば、犯罪や暴力的行為の予防的措置が可能になります。反社会的行動を取りそうな人にとっては行動の自由を奪われることにつながるかもしれませんが、彼らが実際に事件を起こして刑務所に入る可能性は減るので、むしろ彼らはより多くの自由を得られる、とさえ言えるでしょう。一方で、そもそも反社会的行動を取らない人は、監視されていてもいつも通りに振る舞えば良いだけなので、それほど不便は感じないでしょう。功利主義的な思想は日本にも当然あるので、その意味では将来的に日本が中国のように監視国家化していく可能性もあるはずです。

ーー他に、中国が積極的に監視国家化を受け入れてきた理由はありますか。

梶谷:中国にもともとあった儒教的な価値観がパターナリズムーーつまり温情主義と結びつき、政府や企業が個人の選択に介入することを良しとしてきた部分もあると考えています。温情主義は、強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のために、本人の意思を問わずに干渉する思想です。本書でも記していますが、例えば、学校にあるカフェテリア方式の食堂におけるメニューの並べ方は、子どもたちの食事の選択に重要な影響を与えます。そのため、あらかじめ子どもたちの健康を促進するような並べ方にするのが温情主義です。子どもたちの選択の自由は減るかもしれませんが、結果として子どもたちのためになります。儒教には、社会的上位にいる人々は道徳的であり、庶民に対して恩恵を施す立場にあるという考え方があり、温情主義と重なる部分があります。資本主義の発展や人権思想の観点からいうと、前近代的な思想かもしれませんが、アリババのような大企業に情報を提供することで温情主義的なサービスを受けている現在の中国の実情を考えると、昨今のテクノロジーと親和性が高い思想だったといえるのではないでしょうか。

「市民社会」の基盤を欠くことの危険性

ーー本書では、中国が監視国家化していくことに対する懸念も書かれています。その懸念についても改めて教えてください。

梶谷:政府や企業がビッグデータに基づいて、温情主義的にサービスを提供していたとしても、そのシステムが効率や利益を追求するあまり倫理的に問題のある判断をする可能性もあるため、第三者的な立場から監視する「市民社会」が求められるのですが、中国はその「市民社会」の基盤を欠いています。中国にも市民社会としてのNGO(非政府団体)は多くあり、環境問題や教育問題に取り組んではいますが、あまり機能しているとは言い難く、政府に取り込まれてしまうケースさえあるのです。こうした状況では、ビッグデータに基づいたアルゴリズム的公共性が暴走する可能性があります。新疆ウイグル自治区における少数民族に対する弾圧は、まさに市民社会が機能しない中国の危うさを象徴するものでしょう。本書を刊行した後、読者の方から「市民社会という概念自体が、西洋的な一神教的世界観のもとに支えられているものだから、儒教的な価値観が根強く残る中国には相入れないのではないか」との意見をいただきましたが、その意味では日本もまた同じ危うさを抱えていると言えるかもしれません。

ーー日本がもしも今後、監視国家化していく場合は、同じ問題と向き合わなければいけないのでしょうか。

梶谷:日本も市民社会の基盤は脆いので、そうだと考えています。実際、リクナビが就職活動者の内定辞退率のデータを企業に漏洩させたとして大問題となっていますが、こうした事態を防ぐためにも、政府や企業が集めたデータをどのように管理しているのかを監視する市民社会が必要でしょう。政府や企業が、集めた情報を使って社会を統治したいとか、あるいはお金を儲けたいという方向に行くのは自然なことなので。しかし、日進月歩で進化していくテクノロジーとそれによって刻々と変化する構造を、第三者的な立場から監視するのは非常に困難です。その意味で、中国で起きている変化は決して他人事ではなく、あらゆる国家や社会にとって共有されつつある今日的課題であると考えています。

(取材・文=松田広宣)

■梶谷 懐
1970年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経済学研究科教授。神戸大学経済学部卒業後、中国人民大学に留学(財政金融学院)、2001年神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、2014年より現職。著書に『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院)、『現代中国の財政金融システム』( 名古屋大学出版会、大平正芳記念賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版)、『中国経済講義』(中公新書)など。

■書籍情報
『幸福な監視国家・中国』
著者:梶谷 懐/高口康太
発売日:2019年08月10日
価格:850円+税
頁数:256頁
NHK出版

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