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『SAO』の設定を引き継ぎ『君の名は。』に接近 『HELLO WORLD』でなされた意義深い試み

リアルサウンド

19/10/4(金) 10:00

 “高校生の恋愛”要素とSF要素を組み合わせた劇場アニメーション作品が、近年多くなってきている。言うまでもなく、これは『君の名は。』(2016年)の大ヒットを受けて、同様の企画が通りやすくなったり、逆に映画会社からの同様の企画の要請に対して作り手側が応えるというケースが増えたことを意味している。そういう状況のなかで作り手がやれることといえば、そのような題材や要素などの一定の制約を引き受けながら、より意義のあるものを創造するという部分であろう。

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 その中において、本作『HELLO WORLD』は、面白い試みがいくつも見られる野心作となっている。ここでは、そんな本作の興味深い点を追いかけながら、近年のアニメ事情を様々に考察していきたい。

 『君の名は。』のヒットからくる、同様の企画の乱立というのは、ハードな表現を求めるアニメファンや、作家性の強い多様なアニメーション表現を求める観客からはネガティブに語られがちだ。本作においても、劇中のボーカル曲とともに恋愛が進行していくという『君の名は。』そっくりのシーンが現れる場面で、筆者のように「うわ、始まった……」と身構えてしまう観客は少なくないのではないか。

 そういった面はもちろん否めないものの、『君の名は。』のヒットの一因となったのは、内省的な表現が目立っていた、日本のアニメーションの状況を打ち壊した部分だったこともたしかであろう。例えば本作では、学校の図書委員になった主人公とヒロインが、共通の趣味である本の話をすることで、文字通り距離が縮まっていくというシーンに代表されるように、『君の名は。』の要素をとり入れるという試みは、コアな作品群において省略されがちだった普遍性のある基本的なドラマ表現に、一度アニメーションを立ち返らせる効果があったのではないだろうか。

 つまり、同様の企画で作品をつくるアニメ作家たちは、それぞれに“人間を描く”というシンプルな課題に向き合わざるを得なくなったということだ。その結果として、普遍的な感情表現の競争が起きれば、今後の日本のアニメーションにとって、悪い材料ではないはずである。押井守監督が『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を手がけた理由の一つとして述べていたのは、もともと「最近のアニメーターは人間を描くことができない」という不満を前提に、「ならサイボーグを描かせたらいい」という気づきがあったからだという。

 本作で興味深いのは、基本的にCGでキャラクターが造形され、演技させているといった点である。押井監督の言うような“最近のアニメーター”よりも、さらに感情を描くことが苦手なのではと思える手法によって、“人間を描く”。これが表現としての本作の挑戦であろう。ここでは3DCGを手描き表現に近づけるため、“トゥーンシェイダー”といわれる、CG独特のヴィジュアルを二次元のコミック的な風合いに変化させるソフトを使用する方法をとっている。その試みは本作で「完全に成功している」とまではいえないものの、本来はCGが苦手なはずの日常生活の表現を、さして違和感のないレベルで二次元的なヴィジュアルに変換できていた点は評価すべきだと思える。

 何より、この手法が活きているといえるのは、本作のストーリー上で早い段階に明かされるように、ここで描かれる世界が、じつは現実世界を克明に再現した仮想世界だったという設定である。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』がサイボーグを描いたように、ここで描かれていたのは人間を模した“デジタルデータ”だったのである。ここにおいて、“手描きに似せたCG”という表現手法は、物語と連結したところで意味を持ち始めるということになる。

 さらに興味深いのは、SF作品としての本作の奥深さだ。京都の街並みの詳細なマップ作成から始まったという、本作の仮想世界の設定……。ここでは、2次元マップのデータに“高低”の情報を追加することで3次元に、そこにさらに時間の情報を加えることで、現実と区別のつかない“もう一つの世界”ができあがるという、本作の複雑な世界構造を、順を追って丁寧に説明していく。

 劇中で“自分たちがデータであることを実感することができない”ということが示されるように、現実だと信じている場所が、実際には何者かが作った仮想の世界だったというのは、哲学者ニック・ボストロムが唱えた、“シミュレーション仮説”の考え方に近い。これは、「この世界そのものが、何者かが作った仮想現実であるかもしれない」という可能性を指摘したものだ。この考えを基にすると、謎とされていた物理現象の多くを説明できてしまうのだという。つまり、この世界をプログラムした“創造主”が存在するのかもしれないということである。

 劇中で、主人公が物理現象を支配し物質を生み出すという“反則技”である「神の手」を、上位世界の住人から与えられるというのは、プログラムの中にいながらにしてプログラムをいじるという、まさに上位者である神の力を授かったことを意味しているのだ。

 極限までリアルな仮想現実を創造すれば、そのなかの住人たちもまた、現実の人間たちと同じように仮想現実を生み出してしまうだろう。そうなると、再現なく入れ子構造の仮想現実世界が生み出されてしまうのではないか。それはコンピューター言語におけるバグである“無限ループ”にも似ている、気の遠くなる絶望的な世界の姿である。この世界が、プログラムのバグの連なりの一つに過ぎないのだとしたら、なんと途方もないおそろしさだろう。本作はその可能性に対しては、一つの救いとなる解答を与えている。

 本作の伊藤智彦監督は、川原礫の同名ライトノベルを原作としたTVアニメ『ソードアート・オンライン』(『SAO』)の監督としても知られている。この原作のシリーズの中には、押井監督の映画『アヴァロン』(2001年)のアイディアが用いられているといわれ、さらに天才プログラマーの暴走によって混沌が生まれてしまうという大元の設定は、同じく押井監督の『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)からの影響が見てとれる。だから、アニメ版『ソードアート・オンライン』は、映像作品からのインスピレーションが、またアニメに環流された作品でもあるといえよう。

 『SAO』 は、仮想現実の設定にくわえ、現在多くアニメ作品が作られているジャンルである、“異世界モノ”にも近い内容をいち早く提出した作品としてヒットしたが、そこには問題のある描写もあった。それは、主人公が多くの女性キャラクターにモテモテだという、いわゆる“ハーレムもの”の構造をとり入れている部分だ。この世界観は、女性キャラクターの意志を不自然なかたちで剥奪している部分があるため、広く共感を得られる内容とは言い難い。その意味では、『SAO』の仮想現実という設定を引き継ぎながら、『君の名は。』に近づけた本作の試みは意義深いのではないか。これによって、SF的な内容部分も真剣に受け止められることになるからである。とはいえ、本作の女性描写にはまだ様々な問題も存在するということは指摘しておかなければならない。

 もう一つ興味深いのは、本作が描いた“デジタルデータ”の“人権”である。かつて手塚治虫が『鉄腕アトム』などのSF漫画で描いたのが、ロボットへの差別がまかり通る不公平な未来世界だった。『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』では、デジタル情報の海で生まれた生命の登場や、人間の意識(ゴースト)を変換し、インターネットのなかで新たな生を受けることへの可能性が描かれた。本作は、上位の世界が下位の世界を搾取する構造を描くことで、データの人格というものにフォーカスしていくのだ。この部分は、映画『ブレードランナー』(1982年)から『ブレードランナー 2049』(2017年)に継承された、人工的な存在の人権問題とも連動しているといえよう。

 それは現実にも存在する、決まりきったシステムのなかで使い捨てにされがちな大多数の人々、とりわけ若者たちの苦しい現状を映し出しているようにも感じられる。将棋やチェスで、どうしても負けるしかない状況に追い込まれたことを意味する用語を利用して、「人生詰んだ」という表現が象徴するように、世の中はがんじがらめでどうしようもない、決まりきったものなんだと思っている人は少なくない。

 そのようなムードのなかで、“前世以前の運命”という、神話の権威を利用した一種のルールによって恋人が結ばれる『君の名は。』が支持されたというのは、現代を象徴する現象だったのかもしれない。対して、ルールや制約を暴力としてとらえ、その穴を見つけることによって大切な人を助けようとする本作は、ふたたびアニメーション映画が、人間の自主的な意志をシステムの上にまた置き直しているように感じられる。その意味で本作は、『君の名は。』の要素を使いながら真逆のメッセージを発しているといえるだろう。その主張こそが、本作が自身の存在意義を最も強めた点ではないだろうか。(小野寺系)

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