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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その十『唐茄子屋政談』

毎月連載

第36回

(イラストレーション:高松啓二)

炎天下の往来で途方にくれた若旦那ー真夏の人情噺と言えばこれ

人情噺の傑作と言えば、『子別れ』『文七元結』『芝浜』『百年目』『おせつ徳三郎』『柳田格之進』『唐茄子屋政談』などがすぐに思い浮かぶが、季節の舞台がはっきりしているのが、桜が満開の『百年目』、師走の『文七元結』、大晦日の『芝浜』で、真夏の人情噺と言えば『唐茄子屋政談』がまず第一に挙げられよう。

『唐茄子屋政談』では大店の若旦那徳三郎が、吉原通いが過ぎて、親から勘当になってしまう。「お天道様と米の飯はついて回る」と啖呵を切ったものの、金のないのは縁の切れ目で、吉原の花魁も幇間も、仲間たちもいつまでも面倒は見てくれない。

あてどのない徳三郎は、ついにはぼろぼろになって、吾妻橋の欄干から飛び降り、隅田川に身投げをしようとした際に、本所の叔父さんに助けられ、その晩は、すきっ腹に飯を詰め込んで、爆睡してしまう。

翌朝、叔父さんに起こされた徳三郎、朝飯を食べたなら、天秤棒を担いで、唐茄子売りに行って来いといわれる。

はじめは「みっともない」とぐずった若旦那、昨晩、叔父さんから言われたことは「なんでもする」と誓った以上、仕方なく半纏股引姿で、箸より重いものを持ったことのない若旦那が、唐茄子(かぼちゃ)を両側にのせた天秤棒をよろよろと担ぎながら、叔父さんの家を出てゆく。

真夏の炎天下の往来で、売り声もかけられない徳三郎、浅草の大通りの真ん中で倒れてしまう。そこへおせっかいな江戸っ子が通りかかり、ひとつも売れていない唐茄子を、通行人にほとんど売りさばいてみせるのだった。

徳三郎はわずかに残った唐茄子を売ろうと、裏長屋へ入ると、ひもじい母子に出会い、そこで唐茄子ばかりか売り上げたお金まで上げてしまう。帰って、叔父さんにその一部始終を話すが、叔父さんははじめはその話を信用しなかったが、しかし、すぐに長屋へ駆けつけ、自死寸前だった母子を助け、売上金を取り上げた無慈悲な家主をお白洲に訴え出て、貧しい親子を救うという長編の人情噺。

遊び呆けた若旦那が、勘当されたのち、金も友達もすべてを失った末、人生に絶望したときに、たまたま身内に助けられる。そして、唐茄子を売りに出て、人の情けを知り、今度は自分が人助けをして、労働の喜びを初めて味わう。『唐茄子屋政談』は優れた江戸の教育落語なのである。

登場人物が数えきれないほど多く、これらの人物を描き分けるのは一筋縄ではゆかない。しかも、酸いも甘いも噛み分けた叔父さんが、年輪を加えた落語家でないととても難しい。

この長編の人情噺の一番の聴きどころは、じつは前半にある。徳三郎が叔父さんに吾妻橋の上で助けられ、家に連れてゆかれ、翌朝、徳三郎が天秤棒を担いで、唐茄子を売りに出てゆくまでの場面である。

30年以上前、私が聴いた『唐茄子屋政談』では、三遊亭圓生と古今亭志ん朝の高座が強く印象に残っている。そして、この噺が好きになったのは、志ん朝の高座に接してからである。昭和51年(1976年)9月、千石にあった「三百人劇場」での「志ん朝の会」で『鰻の幇間』とともに高座にかけた『唐茄子屋政談』と昭和53年(1978年)8月30日の第212回の「東横落語会」での『唐茄子屋政談』。

どちらも、淀みのない噺の運びで、まったくスキのない、素晴らしい高座だった。そもそも『唐茄子屋政談』は物語の展開がドラマチックだから、各場面をそつなく丁寧に描いてゆけば、面白い噺に仕上がること請け合いである。志ん朝は人物の描き方はもちろん、季節感、各場面の情景描写は過不足なく、私は真夏の人情噺に聴き惚れたのだった。

COREDOだより 柳家権太楼の『唐茄子屋政談』

だが、7年前、それを超える高座に出合った。それが、再開された「東横落語会」第2回の柳家権太楼の『唐茄子屋政談』である。一言で言って、「叔父さん」の徳三郎に対する情が深いのである。志ん朝も圓生も、権太楼の「叔父さん」に比べると、年長者が若者を諭すことに終始して、徳三郎をなんとか更生させようという身内の情が足らないように思えるのだ。この場面での権太楼の「叔父さん」の徳三郎を見つめる眼の温かいこと、懐の深いこと。酢も甘いも噛分けた人生経験の豊かな人情がこの場面を包んでいる。

60代の半ばにして到達した権太楼の澄みわたった「芸」が成せる業ではなかろうか。「爆笑落語」で売ってきた権太楼を、すっかり見直した一席だった。以来、夏になると、必ず、どこかで権太楼の「唐茄子屋政談」が聴きたくなる。

私がプロデュースをして始めたCOREDO落語会でも、権太楼師匠に「唐茄子屋政談」を高座にかけていただく機会を狙っていた。それが実現したのが、2017年6月25日の第10回COREDO落語会だった。

その出来栄えは、先の「東横落語会」に勝るとも劣らない高座だった。来年2022年6月4日の第30回記念のCOREDO落語会で再演していただくことが決まっている。今まだ権太楼師匠の『唐茄子屋政談』をご存じない方、お聴き逃しなく!

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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