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太田和彦の 新・シネマ大吟醸

京マチ子映画祭追悼上映で観た『地獄門』と『鍵』

毎月連載

第15回

19/9/2(月)

『地獄門』 (C)KADOKAWA1953

『地獄門』
YEBISU GARDEN CINEMA
特集「京マチ子映画祭」(8/2~15)で上映。

1953(昭和28年)大映 88分
監督・脚本:衣笠貞之助 原作:菊池寛
撮影:杉山公平 音楽:芥川也寸志
美術:伊藤熹朔
出演:長谷川一夫/京マチ子/山形勲/千田是也/黒川彌太郎/清水将夫/田崎潤

太田ひとこと:平清盛の千田是也は楽しそうにやっている。

1950年、黒澤明監督が大映で作った『羅生門』が、思いがけずもヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞。勢い上がる大映社長・永田雅一は1953年、自ら陣頭指揮をとり、日本初の総天然色イーストマンカラーで撮影した『地獄門』は海外受けを狙った通り、第7回カンヌ映画祭グランプリ、第27回アカデミー賞名誉賞・衣裳デザイン賞、第20回ニューヨーク映画批評家協会賞などを受賞した。

映画史に残る作品を見なければと思っていたが、褪色したカラーでは真価はわからない。それがデジタルリマスターで復元されたので今ぞと観に行った。

サイズはスタンダード。そのファーストショットから鮮やかな発色に目を奪われた。大映初のカラー撮影に、画面は意識して色が配置され、室内の御簾の薄緑の紗を微風であおって、景色に色をかぶせ透かすなど工夫される。

今のデジタルカラー撮影は要するに見えたままの現実で、見ていても色など意識しない。フィルム撮影のカラーは一般に実際よりは濃くなるが、イーストマンカラーの本作はより濃厚なうえ、十二単衣の細かな柄まで赤、黄、青などの色分離がじつにきれいで、最も褪色しやすい緑、紫が冴えて鮮やかだ。ナイトシーンは長谷川一夫の鎧の青い縅が月光に照り映える。

平安時代の再現はセット。当時のカラー撮影は大光量を要するので、スタジオは蒸し風呂だっただろう。大セットのみならず、見渡す限りに居並ぶ平安貴族らの膨大な衣裳はいったいどれだけの費用と手間がかかったのか。この撮影で展開されたオリエンタリズムに世界が魅了されたのはさもあろう。

物語は、平清盛(千田是也)の厳島神社参拝中におきた謀反「平治の乱」の後日譚。乱で焼かれた御所から公家の美女・袈裟(京マチ子)を救った武将・盛遠(長谷川一夫)は、清盛から「望みの論功を申せ」と言われ「袈裟を嫁に」と申し出るが、袈裟はすでに身分高い公家(山形勲)の妻であり、「それは無理」と満座から嘲笑される。

京恒例の加茂川の競べ馬で、山形と長谷川は一騎打ちになり、僅差で長谷川が勝つ。しかしその祝宴席で「山形は最後の一鞭を入れず、勝ちを譲った」と言う口話が出て長谷川は激高。「ならばここで」と刀に手をかけ清盛に叱責される。

頭に血が上った長谷川は、「母が病気と偽って出よ」と夜陰に京を呼びだし、力づくで「俺の嫁になれ、さもなくば夫を斬る」と迫る。命の恩もある京は折れたように見せ、では今夜訪ねてと言い残して帰る。その手引きで寝所に忍び込んだ長谷川が、ものも言わず刀を刺したのは、山形と寝床を換えていた京だった。発見した山形は妻を殺した長谷川を斬り捨てるでもなく「一生後悔せよ、わしもじゃ」とつぶやく。終わり。

無茶苦茶な話だ。長谷川は強引に他人の妻を横取りしようとするが、相手の京は長谷川に気があるわけではなく、高潔な夫を尊敬しているのだから話が成立しない。公家の妻が夜道を供もなく一人で出て行き、帰るのも不自然。館に戻った京が夫に伝えて迎え撃てば一件落着のはずなのに、身代わりに死ぬ理由がない。寝所に忍び込み、声もかけずに刺すのも武将にもとる振舞いで長谷川の人格は決定的にバツ。見つけた山形が天をあおいで赦すのもアホらしい。

自分勝手、これ見よがしに大芝居を繰りかえす長谷川にはすっかりしらけ、最後は出家して、行脚に地獄門を出てゆくが、頭が悪いからまた同じことを繰りかえすだろう。

何の意味もない話だったが、撮影はすばらしかった。




初老男の性への妄執をシュールリアリズムで描く才気こそ市川崑の真骨頂

『鍵』(C)KADOKAWA1959

『鍵』
YEBISU GARDEN CINEMA
特集「京マチ子映画祭」(8/2~15)で上映。

1959(昭和34年)大映 107分
監督:市川崑 原作:谷崎潤一郎
脚本:長谷部慶治/和田夏十/市川崑
撮影:宮川一夫 音楽:芥川也寸志
美術:下河原友雄
出演:中村鴈治郎/京マチ子/仲代達矢/叶順子/北林谷栄

太田ひとこと:市川崑は尊敬するジャン・コクトーを訪ね、本作をほめられたと嬉しそうに語ったそうだ。(『市川崑の映画たち』市川崑/森遊机・ワイズ出版。名著です)

初老の男の性への妄執を書いた谷崎潤一郎のスキャンダラスな小説の映画化。

美術骨董家の中村鴈治郎は衰えゆく性欲を鼓舞すべく、医師・仲代達矢に通ってホルモン注射を続け、風呂で湯あたりした妻・京マチ子の裸体を写真に撮ったりしている。仲代は鴈治郎の娘・叶順子と結婚するつもりだが、狙いは財産だ。鴈治郎は仲代を家に招き、風呂場から裸の妻を運ぶのを手伝わせたりして仲代を妻に近づけ、その嫉妬を自らの刺激にする。叶は母と仲代の関係を知ったが知らん顔を続ける。やがて鴈治郎は死に、葬式後に京、仲代、叶の三人が集まり、さばさばした風の母の紅茶に叶は毒を入れるが効果が出ない。三人にあきれ果てた一家の老女中・北林谷栄は、用意したサラダに毒を盛る。

冒頭、白衣の仲代が「これから始るのはこういう話です」と観客に語りかけ、そのままワンカットで奥に歩き、診察室で腕を出す鴈治郎の前に座る。つまり「これはただのお話ですよ」という監督メッセージだ。

鴈治郎は他のことに気の回らない妄執のみ、仲代は感情のない無表情、京の狐のような能面メイク、叶の狸のような野暮メイク。第三者はほとんど登場しない閉ざされた世界は寒々しく、全員が本心とはちがう会話を、互いにそれを知りつつ繰りかえす。人が口に出すことなど信用できないという定義は、仲代の本音が、毒を盛られたと知ったつぶやき「なんで俺も死ななきゃならないの」であったり、最後に女中が刑事に「私が殺ったんですよ」と言っても無視されることで現れる。

そういう世界を描く撮影はまことに美的で、密室の横長画面はつねに水平よりもほんの少し左倒れしているのは、どこか一本狂っている一家を描くゆえか。挿入されるストップモーションや、砂漠や機関車の連結など判りやすいアナロジーは、つねに「これはリアリズムじゃないですよ」と気づかせる。

ベタに写したら身もふたもない初老男の性への妄執を、シュールリアリズムで描く才気こそ市川崑の真骨頂で、これこそ文芸映画。映画はここまで知的に批評的に、そしておもしろく作れるのかと感嘆する。

映画題材に『鍵』は人気らしくその後三本作られたが、官能狙いだったらあまり観たくない。


上映情報

「デビュー70周年企画 京マチ子映画祭」のポスター

「デビュー70周年企画〈追悼上映〉京マチ子映画祭」

YEBISU GARDEN CINEMAにて8/2(金)~15(木)で上映。
横浜シネマリンにて8/17(土)~9/6(金)で上映。



プロフィール

太田 和彦(おおた・かずひこ)

1946年北京生まれ。作家、グラフィックデザイナー、居酒屋探訪家。大学卒業後、資生堂のアートディレクターに。その後独立し、「アマゾンデザイン」を設立。資生堂在籍時より居酒屋巡りに目覚め、居酒屋関連の著書を多数手掛ける。



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