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ビリー・アイリッシュは、なぜカート・コバーンを彷彿とさせるのか 両者に共通する社会への視点

リアルサウンド

19/9/12(木) 15:00

「ビリー・アイリッシュの公演では、1991年のニルヴァーナと同じことが起こっていた」

(関連:ビリー・アイリッシュ、カリード、ヨルシカ、神山羊‥‥2010年代最後のライジングスター6選

 Foo Fightersのボーカル兼ギター、デイヴ・グロールのこの言葉は話題を博した。デイヴはあのNirvanaでドラマーを務めていた人物だ。つまり、2001年生まれのシンガー、ビリー・アイリッシュは、伝説的グランジロックバンドの一員から“お墨つき”をもらったこととなる。これにはファンである彼女も喜んだようだ。さて、本人の投稿(https://www.instagram.com/p/Bt3rYIXhhxY/?igshid=kofe3pmepfd6)によると、デイヴの一節には続きがある。

「彼女の音楽をなんて呼べばいいのかわからないけど、すごくオーセンティックだ。俺はロックンロールと呼びたい」

 デイヴのコメント通り、ビリー・アイリッシュは「ジャンル殺しのZ世代」代表格とされるミュージシャンだ。21世紀生まれとして初のBillboard HOT100首位を獲得し、ファッションアイコンとしても名高いのだから、一応ポップスターということになるだろうが、悲愴で憂鬱な楽曲自体はジャンル越境的で既存のラベルにおさまらない。しかしながら、アメリカの評論でもっとも注目される要素はヒップホップだろう。ヒップホップがナンバーワンジャンルとなった2010年代、アリアナ・グランデなどの既存ポップスターはラップ要素を強めるサウンド変化を遂げた。対して、ビリーはデビューアルバムの時から「ヒップホップを大前提とするサウンド」を武器とする新しい存在、というわけだ(参照:https://www.nytimes.com/2019/06/21/arts/music/ariana-grande-billie-eilish-review.html)。元々SoundCloud等でキャリアを成長させていったビリーは、若手ラッパーとの距離も近い。「ラップしないSoundCloudラッパー」と呼ばれるくらいだ。というか、ビリー・アイリッシュは、2010年代に繁栄したSoundCloudラップをうまくポップ化してみせたポップスターと見ることもできる。

 ここで、カート・コバーンの登場だ。実は、2010年代の音楽シーンには、ビリーより先に「現代のカート・コバーン」として注目を浴びた若手アーティストが存在した。それこそ、SoundCloudラッパーである故リル・ピープ、そしてビリーの友人XXXテンタシオンである。カートよりも若くして逝去した2人は、ビリーと同じく暗鬱や希死念慮など精神の問題を音楽にしていた。さらに、カートへの敬意もひときわ高かった。2016年、ピープは「Cobain」にて「ビッチたちは俺をコバーンって呼ぶよ」とラップし、テンタシオンは「カートは俺をインスパイアする唯一の人物」と表明している。2010年代中盤、SoundCloudラップでは、パンクやインディーロックを組み込んだ実験的サウンドが人気を博していた。同コミュニティではMy Chemical RomanceやParamoreも人気があるが、内外でリファレンスされやすい存在はとにかくカート・コバーンである。その理由は、今、ビリーが方々から脚光を浴びる一因と似通っているかもしれない。どちらにも時代精神を表すアイコンとしてのわかりやすさがある。そして、完璧なタイミングでシーンに登場した。

 デイヴの件の発言の前半部を見てみよう。

「前に見に行ったビリー・アイリッシュはとんでもなかった。一緒に行った娘たちは彼女に魅了されてたよ。自分が娘くらいの年だった頃と同じ革命を目撃したんだ。娘たちは音楽を通して自己を見出していた──ビリーはオーディエンスと完璧につながっている。ウィルターン公演における観衆との一体感は、1991年Nirvanaが起こしたものと同じだ。観客の人々はすべての歌詞を知ってる……まるでそれは自分たちの小さな秘密かのように」

 デイヴがビリーとの共通項を「オーディエンスとの共振」としたように、1990年代、Nirvanaは「真に若者の精神を代弁するバンド」として音楽シーンを改革した。その威力は、当時影響力を強めていたヒップホップコミュニティからしても歴然だったようだ。今なおグレイテストラッパーであるジェイ・Zは『Pharrell: The Places and Spaces I’ve Been』において、当時の状況を以下のように振り返っている。

「ヘアバンドがエアプレイを支配していたとき、ロックはルックス重視になってた。実態的なものや、若者の反抗スピリットはおざなりになってたんだ。これこそ、Nirvanaの『Smells Like Teen Spirit』が爆発した理由だ。あれは、まさしくみんなの想いだった」

「奇妙だったよ。ヒップホップがかなり盛り上がってたところで、グランジがその勢いを止めてきた。こっちからすれば、ヘアバンドは簡単に潰せた。でも、カート・コバーンがあのステートメントで登場したときは……こんな感じだ。”俺たち、ちょっと待つ必要がある”」

 ヒップホップとグランジがライバル状態だった90年代から、アメリカの音楽シーンは大きく変わった。2010年代後半のポップミュージックがラップサウンドを意味する状態と化した一方、ロックは影を潜めていった。しかしながら、ロック性を志向するSoundCloudラッパーたちが(ある種ポップなラップへのオルタナティブとして)若者の心を掴んでいき、結果、同コミュニティと近い距離にあるポップスター、ビリー・アイリッシュが頂点に立ったのである。Nirvanaおよびカート・コバーンの存在は、約30年の時を経ても「若者の反抗と憂鬱を表すアイコン」として生き続けている。

 ビリー・アイリッシュとカート・コバーンをつなげる一要素として、社会への視点も挙げられるかもしれない。じつは、カート・コバーンはかなりのフェミニストだった。たとえば生前、ラップへのリスペクトを明かしつつ「大半がミソジニー(女性嫌悪)なところは受け入れられない」と語っている(参照:https://genius.com/a/kurt-cobain-said-white-people-shouldnt-make-rap-music)。彼のこうした目線は当然ロックミュージックにも向けられており、AerosmithやLed Zeppelinのセクシズムを指摘するのみならず、ツアー同行を拒否したGuns N’ Roses/とのビーフでアクセル・ローズのことを「クソ性差別、人種差別、同性愛差別主義者」と呼んだことすらある(参照:https://www.rollingstone.de/guns-n-roses-vs-nirvana-1005139/)。ジャンルの未来に関しては、1993年、SPINマガジン(https://www.spin.com/2013/09/nirvana-cover-story-1993-smashing-their-heads-on-the-punk-rock/)に以下のように語っている。

「『In Utero』はロックを革命する。女性たちをインスパイアするだろう。彼女たちは、ギターを始め、バンドを組んでいく。それはロックンロールの唯一の未来だ」

「ロックンロールは使い果たされたけど、それはつねに男たちのものだった。ここ数年は沢山のガールグループがいる(中略)ようやく大衆がそういった女性を受け入れ始めたんだ」

 カートの言葉には先見性があった。25年経った今、男性優位な音楽産業への問題意識は盛んになっている。そんな時に若者とつながってみせたカリスマこそビリー・アイリッシュだ。前回の記事(https://realsound.jp/2019/03/post-339716.html)で紹介したように、彼女はそのファッションスタイルからジェンダーや抑圧の問題を表現に組み込むアーティストである。このたびドロップされた「all good girls go to hell」のMVにしても環境問題を描写している。カートもビリーも、人々や社会への繊細な目線があるからこそ、トップスターでありながらリスナーとの「密接な共振」を生む革命を起こせたのではないか。デイヴ・グロールは、先の声明をこう終わらせている。

「ビリー・アイリッシュのような存在を見るとこう思うんだ……ロックンロールは死んでなんていないってね」(辰巳JUNK)

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