Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

秋吉久美子 秋吉の成分

そんなにいちいち怒る必要はないと世界が教えてくれる

全10回

第9回

20/11/13(金)

波乱の旅路は「自分で決めるレッスン」

私がそうやってプロペラ機や白タクを乗り継いでやっとダラムサラに着き、さらに何日も地元のアクセサリー店に通って情報を探って(笑)、ようやくの思いで知った高僧の居場所はどこだったか……というと、なんとそれはホテルの、私が泊まっている部屋の真上のペントハウスだったんです(笑)! 高僧は私の部屋の上に匿われていたんですね。

そして上の階に行ってみたらその高僧とおぼしき方がお弟子さんと一緒にいらしたので、お話しを伺ってみました。それはそんなにびっくりするようなお話でもなんでもない(笑)、普通にありがたいお話だったと思います。そんな時間を過ごした後、アシスタントのお坊さんに「いかほどお布施させて頂けば宜しいでしょうか」とお尋ねすると、微笑んで”As you like”お好きなように、ということでした。ここでケチッてはいけないと思い(笑)それ相当の額をお包みしたら、「これ、僕がもらってもいいかな」ってニッコリしておっしゃる(笑)。私も"as you like"お好きなように、とニッコリ答えました。禅問答でもあり、ジョークでもあり、お互いの心を照らし合うということを、お弟子さんから学びました。

ユーモアと言えば、ブッダガヤの大菩提寺で、たくさんの人が膝にプロテクションを付けてヨガのポーズみたいな体勢で仏舎利の周りを匍匐前進しながらお祈りするのを見て、私もやってみようと思って参加しました。でもいざやってみるとこれがけっこう大変なアクションで、私はたった一回でハァー疲れた、もういいや、とやめちゃったんです。そしたらすぐ後ろのお坊さんが笑い出して「せめてもう一回」(笑)。僧侶の方々は本当に厳しい修行を積んでおられると思いますが、こんなふうにその物腰は軽やかで洒落ているんです。こんな方々の態度にふれると、忖度の中で、お互いを見張り合い、弱者を挫き、なじりあっている今の日本の姿は、窮屈ですね。ダサすぎです。

鷹揚さの経験と言えば、インドで白タクに乗るとなぜか助手が乗っていて、その人のぶんまで料金を請求されることがあった。でも、たとえばガイドブックにはこう書いてあるぞ、みたいに本を指差して、応酬すると、反論するでもなく笑って「はいはい」と頷いている(笑)。へとへとになってホテルに着いて、今日はバスタブにつかりたいと楽しみにしていたら「ホットバス付きの部屋」と表示されているのに水しか出ない。覚悟して、フロントに行って一生懸命クレーム付けたら、眠そうなフロント係が「あ、そう。はい。ではこの部屋で」とあっさり別の部屋の鍵をくれた(笑)。

同じようなことがタイの二流ホテルでもあって、スーツケースがわずかに閉まっていなかったから、中にあったお菓子のビニールがネズミにかじられてボロボロになっていた。もう凄い剣幕でフロントに行って“mouse!mouse!”と叫んだら、やはり眠そうなフロント係が“mouse?”と言ったきり何をするでもない(爆笑)。あ、マウスなのか、と観念してそのまま普通にチェックアウトまで過ごしました。でも、こういう経験をしていると、こんなことにいちいち憤慨している自分がだんだん子どもみたいに思えてきたんです。

日本だとこんな細かいことにいちいち腹を立てるけど、世界に出てみたら、こういう些末なことでわざわざ戦う必要はないんだな、だいたいのことは怒る必要もないんだと気づかされる。そして、ご挨拶のようにインチキを言ってくる人も多いから「この宝石は日本だと一千万くらいするぞ」なんて吹かすオヤジも普通にいるんですが、そんなのにいちいちめくじら立てることもない。だってそれを決めるのも判断するのもなんでも自分であるわけで、こんな海外の国に出かけることは「自分で決めるレッスン」ですね。

『秋吉久美子 調書』より

安楽な鈍感さよりも冒険のロマンを

パキスタンと砂漠を挟んだ西の果てのお寺だらけの町で、数日過ごしたこともあります。砂漠を隔てた地続きのところにはパキスタンがあって、そこは昔からインドと緊張関係にある、という感覚がとても不思議に思われてきます。この先にはパキスタン、と西陽が落ちていくのを眺めました。日本を飛び出してみると、そういう別の思考の枠組みを体感できるんです。

そんなことを言いながら、インドの夜行列車の移動で個室がとれなくて、なんと三段ベッドが車輌の左右だけでなく真ん中の通路にもある(!)というカオスな寝台車に乗るはめになったら、まるで人間が「とらや」の一口羊羹の詰め合わせみたいにぎゅうぎゅうで隙間なく寝ていて「これはえらいことになったな」と焦ったりもするわけですが(笑)、それだけじゃない。実際、その段々ベッドは板で、インドの夜はとても寒い。板の上で寝袋に入って震えていました。私にとっての旅はただ安楽なレジャーではなくて、そんな自己拡張のトライなんです。

人生もひとつの長い旅だから、同じようにただ満たされたら貧しい人生になるような気がします。私は時々ドラマなどで貴族を演じたりしますが、華麗な十二単を着ても自由に動くのは顔だけで、スノッブな暮らしと引き換えにお姫さまたちはこれを毎日毎日、いや一生続けるのかと思うと言葉を失うわけです。ヨーロッパの貴族だってきついコルセットして重たい生地のドレスを着て、とんでもなく不自由。だから、こんなところに生まれてしまった人は誰だって鈍感になってしまうと思う。今でも金満の人がたとえば大枚はたいて高級料理店で食事をしても、味はわからなくて、この店のなんとかシェフの料理を食べた、ということに過ぎない、ということはありますよね。逆に細やかで優しい感性のひとはなかなかお金持ちになれないということもありますが(笑)、たとえ富や権力があってもそのポジションに疑問なく居続けるにはある種の鈍感さが強いられる。そしてそれは豊かではあるけれど、はたして幸せかどうかはわからない。

かつて大英帝国は七つの海を制覇しました。あれも狭い領土で、長きに渡り鈍感さを誇る伝統にあきあきした人たちが、夢を見たくてわざわざ苦難の多い海に漕ぎ出したのではないでしょうか。仕事の場合は目的の地で何をするか、が最優先なので、旅は疲れないことが大事です。でも、旅を目的とする"旅"の場合は、プロセスこそ大事なのです。そこには喜びがあり、学びがあり、気づきがあり、生きる感動があります。旅の過程の全てが、色彩あふれる人生の輝きなのです。

秋吉久美子 成分 DATA

『秋吉久美子 調書』(筑摩書房刊/2,200円+税)
著者:秋吉久美子/樋口尚文

取材・構成=樋口尚文 撮影=南信司

当連載は毎週金曜更新。次回は11月20日アップ予定です。

プロフィール

秋吉久美子(あきよし・くみこ)

女優・詩人・歌手。1972年、松竹『旅の重さ』で映画初出演、その後、1973年製作の『十六歳の戦争』で初主演を果たし、1974年公開の藤田敏八監督『赤ちょうん』『妹』『バージンブルース』の主演三部作で一躍注目を浴びる。以後は『八甲田山』『不毛地帯』のような大作から『さらば夏の光よ』『あにいもうと』のようなプログラム・ピクチャーまで幅広く活躍、『異人たちとの夏』『深い河』などの文芸作での主演で数々の女優賞を獲得。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。

樋口尚文(ひぐち・なおふみ)

映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』ほか多数。共著に『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『女優水野久美』『万華鏡の女女優ひし美ゆり子』『「昭和」の子役もうひとつの日本映画史』など。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。早稲田大学政治経済学部卒。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む