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坂本龍一、ノイズを取り入れた実験的なライブパフォーマンス 自然が生み出す“予測できない音”への好奇心

リアルサウンド

20/5/14(木) 12:00

「ノイズが入りやすい環境だけれど、それも音楽の一部だと考えて楽しんでやりたい」

 先日行われた無観客ライブ『Ryuichi Sakamoto: PTP04022020 with Hidejiro Honjoh』にて、坂本龍一は言った。現在不要不急の外出自粛を強いられる中、坂本はステイホームする人々を元気づけるべく過去のライブ映像や生ライブを配信している。

(関連:坂本龍一、“予測できない音”への好奇心

 近年の坂本のライブパフォーマンスといえば、ピアノの鍵盤を弾くことよりも大小さまざまな物体同士を触れ合わせては衝撃音や摩擦音を断続的に繰り返す時間の方が圧倒的に長い。音楽を演奏しているというよりも、アートパフォーマンスを見ている感覚に近しい時さえある。昨年出演した『NO NUKES 2019』では、共演者である大友良英と互いのイマジネーションから導くままに即興で音を鳴らし続けた結果、坂本が鍵盤に触れた時間は5分程度。「戦場のメリークリスマス」をはじめとしたポップミュージックを奏でる坂本を強く連想する人にとっては、かなりの衝撃だったに違いない。そこにあるのは音階になぞられた美しいピアノの旋律とは異なり、 重たく場内を埋め尽くす不協和音とノイズサウンドのオンパレード。テクノポップを提唱するYMO時代、 そしてピアノコンサートをはじめとしたこれまでのソロ活動を経て、なぜ彼は今、実験的なライブパフォーマンスに目覚めたのだろうか。昨今のライブ映像を観ることができる今、改めて坂本龍一のライブパフォーマンスから伺える現在の音楽性について注目してみたいと思う。

 そもそも坂本と現代音楽の出会いは、彼が10歳の頃に遡る。ピアニスト・高橋悠治のコンサートにて坂本が目にしたのは、ピアノの中に野球ボールや目覚まし時計が放り込まれる光景だった。鍵盤から促される旋律とはほど遠く、あらゆる木から鳴る無骨な響きは、坂本にとって新しい音楽に聴こえた。さらに坂本の音楽性に大きな影響を与えたジョン・ケージは、ピアノを打楽器に細工したり、あらゆる音をつぎはぎして音楽として形成するなど、偶然と偶然を繋ぎ合わせた実験音楽を追求する音楽家だった。これらの既存の音楽の系譜から大きく外れた未知の音楽は、坂本の中に築かれつつあった音楽の在り方を、大きく揺さぶったのだ。

 その後坂本は偶然の産物や、人の手が施されていないものへ興味を深めていった。2009年にリリースした『out of noise』では北極圏へ足を運び、厚い氷の下に流れる純粋な水音や氷の洞穴で反響するベルの音など、自然が形成した偶然の産物から音を採取して音楽に持ち込んだ。そして坂本自身に大きな衝撃を与えた2011年の東日本大震災。大きな津波を被ったピアノに出会った坂本は、調律が狂い切ったその音に心底魅了されたという。それは人が成しえない、自然が調律した音であり、自然に還る姿だった。

 以降は自然が発するあらゆる音を取り入れるようになり、ライブパフォーマンスでは1つの楽曲を演奏するよりも、偶然から生まれる即興音楽に深く焦点を当てるようになった。ピアノ線がギリギリと擦れ、木や陶器の上を石がカランコロンと転がる。背中がぞわりとするような不穏さを孕む不協和音を、1つずつじっくりと味わいながら奏でる坂本の姿は、純粋と狂気が混在するようにも見えた。広大な景色を目の当たりにしたとき、美しさと共に怖さを感じるように、人の手に追えないものにほど美と恐怖が共生する。坂本の織りなす不穏なサウンドスケープにも、自然と同じ美と恐怖が常に潜んでいる。10歳の頃に出会った“音楽の自由”と、“自然”という人の手が及ばないものへの憧憬が、現在の坂本のライブパフォーマンスに繋がっているのだ。

 ライブパフォーマンスでは、ピアノの傍らにギターが置かれている。 他の誰でもない、坂本がエフェクターを用いながらギターを弾くのだ。とはいえメロディアスなソロギターを弾くわけではなく、ギターの弦を弓で弾く“ボウイング奏法”を電子的に再現できるE-BOWを用いて演奏する。時にタッピングをするように弦に当てつけたり、ペグを回しては緩んだ弦から鈍いノイズを響かせる。歪みの些細な変化を味わいながら変化をつけるその姿は、ノイズロックを世界へ提唱したSonic Youthのサーストン・ムーアを彷彿とさせた。 一見遠い2人のようにも思えるが、音楽の伝統的な側面、テクニック、ハーモニーを理解した上で、即興性とポピュラリズムを共存させたり、実験的な要素を取り入れるという点では強く共鳴している。ノイズとは、人の思惑を破壊した音である。“無知であること”に喜びを感じるあくなき探求心を持つ2人が、非同期的である“ノイズ”という存在に魅了されるのは大いに頷ける。

 また、坂本龍一にとってノイズとは、禅や瞑想に近い存在でもあるのだと思う。耳を澄ませて聴けば聴くほど、余計な情報から遮断され、その深淵な魅力が不思議とふわりと浮いてくるような感覚がする。主旋律に付加する飾りではなく、ノイズそのものに秘められた、人の意を介さない音像。この美学は、同様のノイズを巧みに自身の音楽性に取り入れるクリスチャン・フェネスやアルヴァ・ノトといった同じ美学を持つアーティストとの共演により、より深く根付いていったのだろう。

 テクノロジーの進化とともに人と自然が分離されてゆく中で、坂本は“自分も自然の一部”として共存することで、調律が敵わない音楽やライブパフォーマンスに辿り着いた。とはいえ、実のところは人工的に調律された音楽にはもう飽きてしまって、自然が生む予測ができない音楽に惹かれているという、ごく単純な理由なのかもしれない。ステージで1つ1つ丁寧に音を生み出す時、不意に生まれるノイズに耳を傾ける時、彼はどこか幸せそうな顔をしている。音楽に初めて触れた幼少期の頃から変わらない、好奇心がそこにはある。坂本は今も“音楽の自由”を追い求め続けているのだ。(宮谷行美)

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