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ツユの楽曲が共感の連鎖を生む理由 アルバム『やっぱり雨は降るんだね』歌詞やメロディから考察

リアルサウンド

20/4/21(火) 12:00

 2019年6月12日、YouTubeに「やっぱり雨は降るんだね」のミュージックビデオを公開してから、ユニットの結成を告知したツユ。結成から1年足らずで凄まじいスピードで成長を遂げた5人組ユニットだ。メンバーは、作詞作曲・編曲・ギター・Mix&Mastering担当のぷす、ボーカル担当の礼衣、イラスト担当のおむたつ、動画、CDデザイン担当のAzyuN、今年2月28日に追加メンバーとして加入したピアノ担当のmiro。公開されたミュージックビデオ8本のうち、5本は、すでに100万回再生を突破し、なかでも最も再生回数の多い「くらべられっ子」は、現在860万回再生(4月14日現在)を超えている。しかし、それ以上に目に留まるのは、同曲を中心としたミュージックビデオのコメント欄には、歌詞に重なる一人ひとりの経験や悩みについてのコメントが投稿されていること。つまるところ、ツユの楽曲は、共感ポイントが並外れて高い。2月19日には、タワレコ、アニメイト限定でリリースした1stフルアルバム『やっぱり雨は降るんだね』が、オリコンの週間インディーズアルバムランキング(3月2日付)で2位にランクイン、3月1日には、初のワンマンライブ『やっぱり雨は降るんだね』を成功させた。

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 楽曲制作からCD制作、イベントの発案までの全てを担うぷすは、2012年よりボカロPとして活動を開始し、これまで歌い手としても、様々なボカロ曲をカバーしてきた。2018年9月からは、歌い手3人組ユニット・しゃけぷすたんのメンバーとしても活躍していたが、翌年、自身の誕生日の5月23日には、オリジナル曲「下克上」のミュージックビデオの発表をもって、歌い手としてのぷすを引退。同時に、Twitterで「【7年間活動をしてきた上で現在最もやりたい事】に集中していこうと思います」とツイートし結成したのが、ツユだった。

 彼らが10代、20代を中心とした若年層リスナーから共感を呼んでいる理由はどこにあるのだろうか。そのひとつは、紛れもなく、誰しもが持つ劣等感を抱いた歌詞にある。3月31日に『やっぱり雨は降るんだね』収録のラスト11曲目「ナミカレ」のミュージックビデオを投稿したところで、完結した第1章『やっぱり雨は降るんだね』。その第1章に含まれる楽曲のストーリーには、何でも卒なくこなすことのできる優等生に憧れ、それとは正反対の自身に劣等感を抱いた人物が登場する。10曲目の「ロックな君とはお別れだ」では、状況が一転。憧れていた優等生を形から模倣するのを止めて、自分らしく生きていくことを決意したうえで、〈君が居たから僕は此処に立っている/僕は此処に立っている〉と感謝の言葉も述べる。そこから、急展開を迎えるのが、初めて優等生が主人公へと回る「ナミカレ」。実は、その優等生も、劣等生に憧れていたのだーー。劣等感の奥に宿るのは、はち切れそうな悔しさ。ツユの楽曲は、誰しもが、それぞれに異なる劣等感を抱えながら生きていることを描く。

 歌詞のほか、コードやメロディなどでも“比較”を象徴したテクニックが隠れていた。「くらべられっ子」のサビにある〈くらべられっ子/くらべられっ子〉にあたるコード進行は、それぞれ、メジャーコードの〈A♭〉/マイナーコードの〈A♭m〉。恐らく、この対のコード進行が演出しているのは、優等生/劣等生といった他人との“比較”。ギターリフ、ピアノリフが小味をきかす「やっぱり雨は降るんだね」の2拍ごとのコードチェンジに沿ってギターの音色も4段階に下がっていくモチーフ〈声に出すのは簡単で/でも伝えるのは難しくて〉では、音色の明暗に合わせながら、“簡単=ポジティブワード”/“難しくて=ネガティブワード”を取り入れ、“比較”を表現している。

 さらに、ツユの楽曲が共感の連鎖を生んでいるのは、“比較”を表した歌詞に寂しさを増幅させるテクニックを用いているから。例えば、「やっぱり雨は降るんだね」は、サビ冒頭に相反を意味する〈だけど〉を盛り込み、続くネガティブワード〈やっぱり雨は降るんだね〉をたびたび繰り返すことで、今回も報われない、という失望感を一層強固にする。そして、クライマックスとなるアウトロで奏でられる滑らかなギターの音色、「ナミカレ」であれば、ピアノの音色が、溜まった寂しい感情を洗い流していくような役割を果たす。

 また、楽曲展開が前衛的なのも見逃せない。例えば、「風薫る空の下」は、冒頭〈初夏の日差しに縋っても〉から始まるストリングスの眩しいバラード風のAメロで、ぼかしや光彩の効果が被せられてから思い出へと帰っていくシーンを回想させ、ギターによるポップなメロディラインのBメロ〈熱されて溶けた道ばたのアイスだって〉で、足元を思い浮かばせ、4つ打ち→8ビート→2ビート→4つ打ちと刻むドラムパターンが強烈な〈せいぜい/手とか繋いではしゃいだって〉のサビで、最も自身に近い身体の一部をイメージさせる。このように、ブロックごとのサウンドの変化と脳裏に浮かぶ映像のズーム効果が、何度も上下を繰り返すジェットコースターに乗っているかのようなインパクトをもたらしている。

 楽曲に詰め込まれたいくつものテクニックを超えて煌めくのは、言うまでもなく、ボーカル・礼衣の細かな感情の起伏を反映できる強度の高い歌声。おむたつの描く沈んだ表情を浮かべる少女のイラストとの相性が抜群で、ツユの世界観を揺るぎないものにしている。万華鏡のように様々な側面から劣等感を繊細に描き出していくツユ。第二章でも、予想だにしない楽曲群を送り出してくれることだろう。(小町碧音)

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