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『樹海村』は『犬鳴村』からどうアップデートされたか ほぼ同じプロットの中に感じる革新

リアルサウンド

21/3/10(水) 10:00

 日本には、行ってはいけない場所があるーー。Jホラーの巨匠・清水崇による新たな映画プロジェクト、「実録!恐怖の村シリーズ」。2020年には第1弾となる『犬鳴村』が公開され、2021年の2月には第2弾『樹海村』が公開されたばかりだ。1年に1作のハイペースで世に放たれる本シリーズは、2作目にしてすでにその“パターン”が確立されたかのように思う。言ってしまえば、『犬鳴村』と『樹海村』は異なる怪談モデルを扱いながらも、ほぼ同じプロットの作品なのだ。しかし、『樹海村』は前作に比べ数段アップデートされた恐怖と物語、何より演出が光り、海外でも支持されそうな映画となっていた。ではこの2作品、何が同じで何が違うのか。

※本稿には『犬鳴村』と『樹海村』のネタバレが記載されています。

実在する心霊スポットと怪談をベースに、兄弟の絆で恐怖に打ち勝つ

 90年代の終わり、インターネット黎明期にブームとなった「怪村」の都市伝説。1作目の『犬鳴村』も、そのうちの一つとして恐れられたものだ。福岡県に位置する犬鳴隧道(いぬなきずいどう)こと旧犬鳴トンネルから、実際にダム建設により水没した犬鳴谷村にまつわる噂話を軸に、主人公の森田奏(三吉彩花)と兄の悠真(坂東龍汰)、末っ子の康太(海津陽)の経験する恐怖体験を描いた。最終的に、奏は行方不明になってしまった兄弟を探しに旧犬鳴トンネルへと向かうのだが、「富士の富士・青木ヶ原樹海に自殺目的で入ったが死にきれなかった者たちがそこで集落を作っている」という都市伝説を基にした『樹海村』も同じで、終盤には樹海に飲み込まれてしまった姉・天沢鳴(山口まゆ)のことを妹・天沢響(山田杏奈)が助けに行く。

 そんな大筋以外にも、周囲の若者がサブ的な怪異(『犬鳴村』では電話ボックス、『樹海村』だとコトリバコ。どちらも村人の呪い)によってバタバタと死んでいく過程、主人公の過去が明かされる過程、彼女が魔王ガノンを倒しにピラミッドに単身乗り込み、そこできょうだいのどちらかが犠牲を払って、ラストは若干後味悪め。こんな風に「実録!恐怖の村シリーズ」はプロットのテンプレが完成されている。しかし、この“家族の絆”という点だけをとっても『樹海村』は圧倒的にレベルアップしているのだ。

 そもそも『犬鳴村』は兄妹の絆というより、家族、そして流れている“血”の問題を扱ったはずだった。もともと村人の血が流れる祖母に持つ奏。そして犬の血を引き継いだ母親と、彼女が嫁いだ父・森田家の祖先が村を葬ったという因縁。かなり複雑な家庭環境であったのに、そこの血の繋がりというより映画はトンネルの向こうの異空間に囚われた兄と弟を助けに行く場面に盛り上がりの重きを置いている。しかし、そもそも作品の中でこの兄妹が特別仲良かったシーンもなく、絆がしっかりと描き切れていなかったからこそ、感動のようなものが薄れてしまった。お互いを、命をかけて救い合う動機のようなものが薄いのだ。それが「家族だから」の一言で済むかもしれない。しかし、最後に兄が自己犠牲を払うシーンは、妹の奏と康太を生かせるというより、村から赤ん坊を出させてあげるためだったように思えてしまう。なぜなら、呪いによって自殺した悠真の彼女が実は孕(みごも)っていたという事実が明かされたことで、なんとなく彼がこの赤子は生かしておきたい、という動機の方がしっかりしてしまったからだ。

 しかし、そんな風に『犬鳴村』が色々なところに手を伸ばしたことで描ききれなかったきょうだいの絆というものを、『樹海村』はしっかり描き切った。というのも、あの映画はオープニングシーンからラストまで、ずっとあの姉妹についての物語だったからだ。幼少期にともに森から生還し、その後祖母の家で暮らしている二人。実は仲が悪い。しかし、この仲の悪さこそ姉妹の“絆”でもある。『犬鳴村』の兄弟は、すごく仲が言い訳でも、喧嘩をしているわけでもなく、無だった。それに比べ、『樹海村』は映画を通して姉妹の関係性の変化が物語に大きな影響を与えている。ともに母を森で失った時から、二人はお互いのために存在し続けていた。妹が引きこもりになっても、小言を言いつつ見捨てずに、自分の仲間内に一緒に入れてあげていた姉。その姉に対して素直になれず、しかしラストに彼女を救うために全てを投げうった妹。この説得力のある二人の絆が、クライマックスのカタルシスを生んだのだ。

 そして、この「説得力」こそ『樹海村』が『犬鳴村』からアップデートされたものである。

よりロジカルなキャラクター、名俳優らによる演技の説得力

 実はプロットの類似点は、冒頭のシーンからすでにある。心霊スポット潜入動画撮影だ。『犬鳴村』は1組のカップルが犬鳴トンネルに入り込み、ビデオデープを回すところから始まる。彼女の方が心霊現象をカメラに収めようとし、結果怪異に襲われ気が触れてしまい、自殺する。ここで疑問に思うのが、なぜ彼女はiPhoneで時間を確認するほどのスマホ世代であるにも関わらず、ハンディのビデオカメラで撮影しようとしたのか。のちに彼女が悠真と同棲している部屋が映るが、そこには自撮り用のLEDライトが置いてあった。普段から動画撮影をし、アップロードしている気配がするが別に本格的な機材はない。だからこそ、その程度の撮影なら簡単なスマホですればいいのに、わざわざ旧式のビデオカメラを用いているのだ。

 それに比べ、『樹海村』はYouTuberのアッキーナ(大谷凜香)が樹海でスマホを使って生配信をするという、説得力しかない自然な撮影の流れだった。手振れ上等、コメント欄のコメントもリアリティのあるものばかりで、臨場感を強く感じる。普段、心霊スポット突撃実況動画を観ている方が、その後の展開にしっかりと青ざめる演出だ。それだけでなく、それにコメントをする妹・響の部屋の様子も彼女の性格をしっかり表すように細部までディテールにこだわりを見せた。

 そしてこの響には『犬鳴村』の奏と同じ、幼い頃から幽霊の類が見える設定がある。しかし、二人が幽霊を観た時の反応は異なる。子供の頃からずっと見えているのであれば、それが怖いとしてもある程度の“慣れ”があるはず。響のようにハッと驚きながらも口をつぐんでジッとしている素振りの方が、奏のような毎回オーバーなリアクションを取るよりもそういった意味で説得力があるのだ。「ああ、まただ……」という具合に。しかも、奏は病院に勤務しているので、“そういう”出来事はむしろ日常茶飯事でもありそうなので、この点でも少しキャラクターと行動が乖離している。

 このキャラならこれを使うだろう、こういう部屋にいるだろう、こういう行動を取るだろう。登場人物がどれだけロジカルに動くか、ということが全てではないが、それでもそれが物語に圧倒的な説得力を持たせることは確かである。

 しかし、どれだけロジカルなキャラクターだとしても、そういう風に体現できるかは役者の腕にかかってくる。『樹海村』はその点でも、主演だけでなく脇まで演技派揃いであった。主演を務め、現在引っ張りだこの山田杏奈はこれまでに見せたことのない顔を見せ、『ラビット・ホラー3D』の撮影にエキストラで参加していた山口まゆは、10年ぶりに清水崇監督作にて女優としての成長を発揮した。神尾楓珠はじめ、他キャストも皆すばらしい演技を披露していたが、やはり國村隼の存在感が作品全体に大きな説得力を持たせた。映画の冒頭から、樹海について様々なことを知っている謎の男として登場し、随所随所に再び現れる強者の趣。あれには怨霊も立ち向かえまい。

 そして登場人物に関してもう一つ特筆するとすれば、「友達」の機能だ。『犬鳴村』では悠真の友人が彼に連れられてトンネルに向かい(特に何もせず)、電話ボックスで溺死した。彼らが活躍するのは死後で、正直単純な幽霊要員でしかなかった。それに対して、『樹海村』に登場する友達は凄い。ただ死ぬために引き摺り出されただけではなく、しっかり姉妹と長い付き合いがあること、その関係性の中で『あいのり』よろしく様々な矢印が飛び交っていることなど含め、ちゃんと各々のキャラクターの背景、特に主役の姉妹の人物描写を担っているのだ。このように、『樹海村』は登場人物を余すことなく生かした作品であった点が、『犬鳴村』との大きな違いだと思う。

恐怖演出、VFXで魅せるホラーの美しさ

 もちろん、恐怖描写も随分と変わった。『犬鳴村』の魅力は霊の描き方のレパートリーの豊富さだったと言える。1作品の中に、ありとあらゆるパターンの幽霊を登場させたのは素晴らしかったが、それが怖かったかと言うとどうだろう。病院での“もう一人のお母さん”もそうだが、幽霊の登場シーンの多くが音楽によって盛り上げられ、画面の注目度を高めていた。BGMから幽霊が来るのがわかっていて、その時点ですでに心構えができてしまう。そのせいで、改めてクロースアップされる彼らの姿に恐怖心を抱きにくい構図になっていた。清水崇監督の代表作『呪怨』も伽椰子という怨霊にフォーカスを当てて撮られた作品であるので、幽霊に注目を向けさせるのは彼の作風とも言えるかもしれない。

 ところが、『樹海村』はこの辺がとても陰湿になっていて、来るとわかっていても“どんな風にくるのか”分からない。神社のお祓いシーンはその場にたくさんの悪霊が集まってくる様子のインパクトがあるだけでなく、そういう“曰く付きの物”を祓う時も実際はこんな風になっているのではないのか、という説得力さえある。ネット上で知り合った者同士の樹海探索組がアッキーナに遭遇した場面もまた、実際死に行った人が先に逝った人に“その道”を導かれるようなことはありそうでゾッとする。

 そして、あのコトリバコ。実際、撮影時にあの箱を映すシーンだけ“必ず”不可解なノイズが発生したという、プロップなのにもはや曰く付きという恐ろしい箱の無機質な存在感。振り返ればそこにありそうだが、その先どうなってしまうのか、その予測不可能さに慄いてしまう。コトリバコ単体の都市伝説そのものの恐怖が、樹海村の成り立ちとストーリー上うまく噛み合っていたことも素敵だった。

 それでも私は、『樹海村』の一番いいところはラストにかけてのクライマックスシーンだと思う。ホラー映画とは(少なくとも、良いホラー映画とは)決して「怖さ」だけではない。その恐怖の根源には、大切な誰かを失うかもしれないという「愛」があるからだ。そこに、このジャンルの美しさがある。その人のためなら自分の命を投げ打ってもいい、そんなヒューマンドラマが描ききれていない場合、この「愛」を意識することは難しい。本作では樹海村の悪霊に囚われてしまった姉・鳴を、まずは霊となった母親が救う。そして、精神疾患を疑われて病院に監禁状態だった妹の響は、その不思議な力で姉の危機を察知する。自分のことを蝕もうとする樹海の呪いが病室に蔓延る中、一種のアストラル体になって遠く離れた姉を救おうとする妹。

 誰からも理解されず気味悪がられていた少女がパワーに目覚めるという、スティーヴン・キングを彷彿とさせる超能力要素。対して、彼女が立ち向かう悪霊は、森に飲み込まれた人々の姿形をしていて、ギレルモ・デル・トロの世界観から抜け出してきたかのような幻想的なヴィジュアルとそれを表現するVFX技術にひたすら胸を打たれる。人は、生物は死ねば、土に還る。ここでもやはりその説得力が、シーン全体に生かされている。その自然な“死”の状態は、昔の着物を着て両手を前に垂らしながら近づく怨霊よりも、根本的なものなのだ。

 ラストで響は鳴を逃がすために自ら樹海に取り込まれることを選び、鳴は木となった響を登って地上に出る。このシーンの意味合いも深い。「Family Tree(ファミリー・ツリー)」という単語が「家系」という意を成しているように、家族は「木」に例えられることがある。大きくなるにつれて、枝分かれしていくもの。つまり、本来はどちらも死んで途絶えるはずだった天沢家だったのに、響がその木を支える役目を担う幹となったおかげで、響がその先に枝を伸ばすことができたのだ。全ての映画の全てのシーンに意味があるべきだとは思わない。しかし『樹海村』はその点が前作と比べてアップデートされていた。

 それに、樹海という題材は海外からの注目も浴びやすい。同時期に公開された西川美和監督作『すばらしき世界』がワールドクラスで評価されるべき映画であるように、『樹海村』のVFXと物語のメッセージ性もまた、世界で通用するものではないだろうか。

■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードなミックス。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆する。ふざけて心霊スポットに絶対行かないタイプ。InstagramTwitter

■公開情報
『樹海村』
全国公開中
出演:山田杏奈、山口まゆ、神尾楓珠、倉悠貴、工藤遥、大谷凜香
監督:清水崇
脚本:保坂大輔、清水崇
企画プロデュース:紀伊宗之
配給:東映
(c)2021『樹海村』製作委員会

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