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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その八『百年目』

毎月連載

第34回

(イラストレーション:高松啓二)

『百年目』ー 堅物番頭が酔って花見で大旦那と鉢合わせ「ここであったが…」

日本列島の桜前線が北上し始めると、聴きたくなる噺の一つが『百年目』である。

この噺が極めて印象に残ったのは、昭和の50年代、上方の桂小文枝(後の五代目桂文枝で、六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春団治と並んで、昭和の「上方落語四天王」と呼ばれた)の高座だった。少し鼻にかかった声でおっとりした口調ながら、はんなりとした色気があり、『百年目』はそんな小文枝にうってつけの演目だった。大阪、船場が舞台で、満開の桜は、桜ノ宮だった。

さる大店の番頭次兵衛は、丁稚からの叩き上げで、親旦那の信頼厚く、いまでは店の全てを任されている。店では謹厳実直そのもので、毎日、隙がない厳しい仕事ぶりを見せるのだった。

今日も丁稚から手代まで一人一人を掴まえては小言をみっちりと言い、得意先回りをすると言って出かける。ところが、一歩外へ出ると、幇間が待ち受けており、少し離れた駄菓子屋の2階に借りている部屋で身なりをすっかり整えると、芸者連中とお花見に出かけた。

はじめは、顔を見られてはまずいと、屋形船の障子を閉めていたが、酒の酔いが回るうちに、船から下りて土堤まで上がることになった。満開の桜の下、次第に大胆になり、番頭の次兵衛は忠臣蔵七段目の由良之助よろしく、扇で顔を覆って鬼ごっこを始めた。

一方、親旦那も御出入りのお幇間医者に誘われて、土堤までやってきた。そこで、二人がばったりと鉢合わせしてしまう。番頭はとっさに「ながながご無沙汰をいたしまして申し訳がござりません」と妙な挨拶をしたが、顔色は真っ青。すぐに店に帰り、寝込んでしまうが、一睡もできない。

翌朝、親旦那に呼び出された番頭、てっきりお暇が出るものと観念していると、親旦那が「天竺に育つ、栴檀の木とその下に生える南縁草」の話の例えを引き、旦那のあるのは番頭のおかげ、番頭のあるのは店の者のおかげと説く。

最後に、前日の話となり「それにしても昨日はびっくりしたで。よう酔うてたな、なんや、妙なこと言うたで、久しゅうお目にかかりまへんがご機嫌よろしゅうとか、なんや、えろう長いこと逢わんような挨拶をしてやったが。毎日、顔を合わしてるやないか」と聞くと、番頭次兵衛が「ところが向こうで顔を見られたときは、しもた、ここであったが百年目やと思いました」。

「百年目」とは、「運が尽きる」「寿命の限界」「観念する」と言った意味合いである。

昭和44年刊の佐竹昭広・三田純一編「上方落語」上巻(筑摩書房版)によれば、

「原話は並木正三作『手代の当惑』(宝暦十二年『軽口東方朔』)であるが、それを直接に改作したのではなく、これを焼き直した『うろたえも機転』(明和五年『新版軽口片頬笑』)から、さらに改作したという(前田勇編『上方演芸辞典』)。

東京の『百年目』は、文化年間のネタ帳『滑稽集』に載っているのが、いまのところ、いちばん古いもののようであるが、大阪からの移植か、偶然の一致か、確実な決め手はない(延広真治「資料紹介『滑稽集』」-『川柳しなの』昭和四十三年三月号)。というように記されている。

上方の小文枝と東京の圓生、違いは

東京の『百年目』といえば、六代目の三遊亭圓生となろうか。満開の桜は隅田川の墨堤となる。

大店の番頭次兵衛がどれほど粋人であるかを、圓生は駄菓子屋の2階で着替える件で、こんなふうに描写する。

「せまい梯子をぎしぎし、上がっていく。三畳の座敷があってここィ箪笥が預けてありまして、今まで着ているものを脱いで、下からそっくり召物を変えました。織目の詰んだ天竺木綿の下襦袢、その上へ長襦袢、、、は鼠色へちょっと藤色がかっております、これへ京都の西陣で別染めにさしたという大津絵『釣鐘弁慶』だとか『座頭』『藤娘』『鬼の念』、、、なんというものが染め抜いてございますが、結城縮の対服に、帯なぞは綴織の結構なもので、紙入、、、雪駄なぞは香取屋ィ別あつらいという、、、実にどうも五分も隙がないという、何処からみても大家の旦那という服装で、柳橋へくる」(『圓生全集』第二巻/昭和42年青蛙房刊)

これが伏線となって、土堤に上がって鬼ごっこをするシーンで「自慢の長襦袢」を脱いで肌を見せることとなる。

上方の小文枝と東京の圓生の『百年目』を比べると、一番の違いは「親旦那(大旦那)」だろうか?

小文枝のみならず上方の演者は親旦那が番頭次兵衛を「次兵衛どん」とか「番頭はん」と呼ぶ。ところが、圓生は「栴檀と南縁草」の話のところでは「おまい」「お前さん」と言いつける。「次兵衛どん」「番頭はん」には親旦那の慈愛が感じられるのだが、「おまい」は、やはり、大旦那の上から目線の呼び方に聞こえてしまう。

2018年3月の「第13回 COREDO落語会」での柳家権太楼の『百年目』では、大旦那は番頭次兵衛を「番頭さん」と呼んでいる。

翌日、大旦那に呼ばれた次兵衛は、解雇されるのを承知での平身低頭。そこへ大旦那が言う。

「いつもは帳面など見ないが、さすがに昨晩は見させてもらいました。ところが、どこにも穴がない。自分の金で遊ぶ、大したもんだ」と誉め上げた。旦那の器量と番頭の度量が、信頼の絆で結ばれる名場面。

権太楼の次兵衛が実によかった。高座のあとで伺ったところ、やはり小文枝師匠の親旦那と番頭をお手本にしているとのことだった。七十歳にして、ようやく無理なく演じられる名代の大番頭。これに旦那の風格が備わったら、鬼に金棒。今後の権太楼の『百年目』がとても楽しみになった名高座だった。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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