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川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

『ユリシーズ』の文豪ジェイムズ・ジョイスが出てくる映画。『第三の男』のジョセフ・コットン、『若き獅子たち』『ガープの世界』…田中絹代の作品にも。

隔週連載

第60回

20/9/29(火)

 追手に追われた主人公が逃げ込んだ場所は講演会場。そこで主人公はやむなく講演をする破目になる。
 ヒッチコックの『三十九夜』(1935年)のリメイク、ラルフ・トーマス監督の(タイナ・エルグが美しかった!)『三十九階段』(1959年)では、某国のスパイに追われたケネス・モアが女学校に逃げ込み、講演することになる。とっさのユーモアで女学生たちを大いに笑わせ、喝采を浴びるが、逆に大失敗となるのが、キャロル・リード監督『第三の男』(1949年)のジョセフ・コットン。
 ウィーンで親友(オーソン・ウェルズ)の謎の死を追求するうちに、あやしげな連中に追われ、いきなりタクシーに乗せられる。拉致されたのかと思うと、そうではなかった。
 着いたところはイギリスの文化センターの講演会場。文化局の人間(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)に講演を頼まれていたことを忘れていた(ここは観客も忘れていたため予期せぬ驚きになる)。
 やむなく講演することになるのだが、これが散々の結果になる。というのもジョセフ・コットン演じる主人公は大衆向けの西部小説のマイナーな作家。ところが会場に集まってきているのは純文学の読者。演題が現代文学だから仕方がない。
 話すこともなく会場からは質問を受ける。
 「ジェイムズ・ジョイスをどう評価するか」「意識の流れをどう思うか」と聞かれ、何のことか分からずに立往生してしまう。聴衆は失望し、次々に席を立ってゆく。頭をかかえる主催者のウィルフリッド・ハイド=ホワイトが可笑しい。この傍役はキャロル・リードの『文化果つるところ』(1951年)やジョージ・キューカーの『マイ・フェア・レディ』(1964年)などで知られる。

 グレアム・グリーンの原作(ちなみに映画の企画が先にあって、脚本、小説はその企画に沿って書かれた)はもっと皮肉で、西部小説の作家が自信たっぷりに「ジェイムズ・ジョイス? そんな名前は聞いたことがありません」と答えるので聴衆は、もしかしたらこの西部小説作家は凄い作家かもしれないと大いに驚く。
 二十世紀の終わり、1998年にアメリカの名門文芸出版社、ランダムハウスが「二十世紀の英語文学ベスト100」を発表した。1位に選ばれたのは、ジョイスの『ユリシーズ』だった。
 ジョイスの本が出てくる映画の早い例に、1958年のアメリカの戦争映画、アーウィン・ショウ原作、エドワード・ドミトリク監督の『若き獅子たち』がある。
 第二次世界大戦に従軍することになったユダヤ人の青年、モンゴメリー・クリフトが、『ユリシーズ』を持っていて兵舎のなかで読もうとする。それを鬼軍曹に見つかり「こんなワイセツな本を読むとは何事だ」と怒鳴られる。
 『ユリシーズ』は1921年にアメリカの裁判所でワイセツ本に指定され、しばらく出版出来なかったから仕方がないかもしれない。
 『若き獅子たち』のモンゴメリー・クリフトはニューヨークのメイシー百貨店の店員。それが『ユリシーズ』を読むのだからインテリだ。
 時代は変わる。ジョン・アーヴィング原作、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『ガープの世界』(1982年)では、文学好きの女子大生、メアリー・ベス・ハートがキャンパスで、いまや堂々と『ユリシーズ』を読んでいる。学校の教材になっているのかもしれない。

 意外なことに日本映画にもジョイスが登場する。それもアメリカ映画の『若き獅子たち』より早いから驚く。
 小津安二郎、斎藤良輔が脚本を書き、田中絹代が監督した、1955年の作品『月は上りぬ』。奈良を舞台にした家族映画。
 一家の三女、北原三枝が愛している青年、安井昌二(デビュー作。役名から芸名を取った)は、目下、失業中。奈良の寺に下宿し、翻訳などしてなんとか暮している。
 目下訳している本がある。しかし、友人(増田順二)が自分より経済状況が苦しいのを知ると、その翻訳の仕事を譲ってしまう。気がいい。
 この本が“Essential James Joyce”。
 ジョイスを訳せるとは、二人の英語の実力は相当なものがあるだろう。『ユリシーズ』は、日本では戦前、伊藤整が訳しているが、相当、苦労したのでないだろうか。
 丸谷才一訳が知られる。何度か挑戦するのだが、いまだによく理解出来ていない。恥しい限り。
 『ユリシーズ』は1967年にイギリスで映画化された。ジョセフ・ストリック監督。意識の流れを映像にするのはさすがに無理で、残念ながらあまり話題にならなかった。

 

イラストレーション:高松啓二

紹介された映画


『三十九夜』
1935年 アメリカ
監督:アルフレッド・ヒッチコック 原作:ジョン・バカン
脚本:チャールズ・ベネット
出演:ロバート・ドーナット/ルツィー・マンハイム/マデリーン・キャロル/ペギー・アシュクロフト/マイルズ・メイルソン
DVD:IVC



『三十九階段』
1959年 イギリス
監督:ラルフ・トーマス 原作:ジョン・バカン
脚本:フランク・ハーヴェイ
出演:ケネス・モア/タイナ・エルグ/ブレンダ・デ・バンジー/バリー・ジョーンズ/レジナルド・ベックウィズ
DVD:ハピネット・ピクチャーズ



『第三の男』
1949年 アメリカ
監督:キャロル・リード 原作:グレアム・グリーン
脚本:キャロル・リード/グレアム・グリーン/マビー・プール
出演:ジョセフ・コットン/オーソン・ウェルズ/アリダ・ヴァリ/トレヴァー・ハワード/バーナード・リー/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
DVD&Blu-ray:KADOKAWA



『文化果つるところ』
1951年 イギリス
監督:キャロル・リード 原作:ジョゼフ・コンラッド
脚本:ウィリアム・E・C・フェアチャイルド
出演:ラルフ・リチャードソン/トレヴァー・ハワード/ロバート・モーレイ/ウェンディ・ヒラー/ケリマ/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
DVD:ジュネス企画



『マイ・フェア・レディ』
1964年 アメリカ
監督:ジョージ・キューカー 原作:ジョージ・バーナード・ショー
脚本:アラン・J・ラーナー
出演:レックス・ハリスン/オードリー・ヘプバーン/スタンリー・ハロウェイ
DVD&Blu-ray:パラマウント



『若き獅子たち』
1958年 アメリカ
監督:エドワード・ドミトリク 原作:アーウィン・ショウ
脚本:エドワード・アンハルト
出演:マーロン・ブランド/モンゴメリー・クリフト/ホープ・ラング/ディーン・マーティン/バーバラ・ラッシュ/メイ・ブリット
DVD:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



『ガープの世界』
1982年 アメリカ
監督:ジョージ・ロイ・ヒル 原作:ジョン・アーヴィング
脚本:スティーヴ・テシック
出演:ロビン・ウィリアムズ/メアリー・ベス・ハート/グレン・クローズ/ジョン・リスゴー/アマンダ・プラマー
DVD:ワーナー・ホーム・ビデオ



『月は上りぬ』
1955年 日活
監督:田中絹代 脚本:斎藤良輔/小津安二郎
出演:笠智衆/佐野周二/山根寿子/杉葉子/北原三枝/安井昌二/増田順二



プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう)

1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、97年『荷風と東京』で読売文学賞、2003年『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。近著は『あの映画に、この鉄道』(キネマ旬報社)。

出版:キネマ旬報社 2,700円(2,500円+税)

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