Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

大森望が語る、『三体』世界的ヒットの背景と中国SFの発展 「中国では『三体』が歴史を動かした」

リアルサウンド

19/9/29(日) 10:00

 劉慈欣『三体』(早川書房)が、書店で目立つ位置で平積みになっている。中国のSF小説が日本でここまでヒットするのは異例のこと。知識人が弾圧された文化大革命から幕を開けた物語は、ナノテク研究者が主人公となる現代パートへと移り、「ゴースト・カウントダウン」という怪現象や3つの太陽を持つ星が舞台のVRゲーム「三体」などが描かれていく。本作を第一部とする三部作のテーマは、異星文明の侵略。この作品がヒットした理由と背景を訳者の1人である大森望氏に聞いた。(円堂都司昭)

「英語圏のSF読者にって、中国はまったく未知の大陸だった」

――中国で『三体』が刊行されたのは2008年で、2014年にアメリカで英訳版が出ました。

大森:訳者がケン・リュウということでアメリカのSFファンがまず話題にし、2015年にヒューゴー賞を受賞して爆発的な人気になりました。

――ファン投票によるヒューゴー賞はSF界で歴史的権威のある賞で、中国系アメリカ人のケン・リュウは2012年に短編「紙の動物園」で受賞していますね。

大森:「紙の動物園」はネビュラ賞と世界幻想文学大賞もあわせて史上初の三冠に輝き、ケン・リュウは一躍、アメリカSF界の大スターになりました。そのケン・リュウがみずから同時代のSF短編を翻訳しはじめて、長編として最初に手がけたのが『三体』でした。中国SFが英訳されたこと自体、これが初めてで、訳者も版元も売れるとは全然思っていなかった。初版は数千部だと思いますね。ところがすごく売れて、あれよあれよという間にヒューゴー賞まで獲ってしまった。アジアの作品ではもちろん、翻訳された作品がヒューゴー賞長編部門を受賞すること自体、これが初めてでした。中国で本格的に三部作が売れはじめたのは、これがきっかけですね。それまでも売れてはいましたが、たぶん合計100万部ぐらいだったのが、一気に2000万部を超えた。英訳も、三部作累計で150万部だそうですから、翻訳SFとしては空前の大ヒットじゃないでしょうか。

 そういう評判が入っていたこともあって、日本でも、昨年、『折りたたみ北京』(ケン・リュウ編)という中国SFアンソロジーが翻訳されると、意外なくらい注目されました。『SFが読みたい!』で日本SF、海外SFの1位を決める投票を毎年行っていますが、『折りたたみ北京』は翻訳部門1位になった(2019年版)。この本はケン・リュウが作品を選び、自分で英訳して中国圏のSFを英語圏にプレゼンテーションしたもの。『折りたたみ北京』によって日本でも中国SFへの関心が高まったし、同書には『三体』の一部を改作した短編「円」も収録されていました。そんな下地ができたところでついに満を持して『三体』日本語版が刊行されたわけです。

――大森さんはいつ頃から『三体』に関心を持ったんですか。

大森:ケン・リュウの英訳が出る前後で、タイトルだけは知ってました。もっとも、中国SFは専門外なので、注目したのは英訳版がヒューゴー賞候補になってからですね。『三体』が受賞した2015年のヒューゴー賞は、「パピーゲート事件」と呼ばれる組織票問題が起きて、大騒動だったんです。女性や非白人の受賞者が増えていることが気に入らない保守派の白人男性グループによるバックラッシュですね。「ヒューゴーを”正しいSF”の手にとりかえそう」的な運動を展開して推薦作リストをネット上に発表、組織票を募って、最終候補に多数の作品を送り込んだ。これにリベラル側が猛反発したり、勝手に候補にされた作家がノミネートを辞退したり。それで受賞作なしの部門も多かったんですが、長編部門の候補には中国SFの翻訳である『三体』が入っていたので、リベラル票を集めて受賞した。ヒューゴー賞の発表は全世界にネット中継されるんですが、このときは盛り上がりましたね。僕もリアルタイムで見てました。そのときは、まさか自分で翻訳することになるとは夢にも思わなかったけど。

 アジア系のSF作家は、それ以前から注目されてたんですよ。そもそも、テッド・チャン(『あなたの人生の物語』。表題作は映画『メッセージ』の原作)はアメリカ生まれだけど、両親は中国からの移民。前述のケン・リュウ(『紙の動物園』など)は中国生まれです。あと、『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』が日本でブレイクしたピーター・トライアスは韓国系アメリカ人。翻訳SFの中でもアジア系の作家の人気は高い。ただ、彼らはみんな、ルーツや生まれがアジアでも、アメリカで育ち、英語圏のSFの影響を受けて、英語で書いています。

 アメリカでは、ケン・リュウが英訳を始めるまで、中国のSFはまったく知られていなかった。ケン・リュウ自身、自分の作品が中国語に訳されたことをきっかけに同時代の中国SFを読みはじめ、その面白さを発見して、英語圏に紹介しなければという使命感にかられたわけですからね。その意味では、英語圏のSF読者にって、中国はまったく未知の大陸だった。そこから『三体』がドーンと来たから、ものすごくインパクトが大きかったわけです。

 最初はSFファンが騒いでいるだけだったけど、アメリカで、中国に対する関心は高まっていた。受賞当時、米中貿易戦争は今ほど激化していませんでしたが、すでに中国脅威論が話題になっていたし、中国のことを知りたいという欲求が広がってたんでしょうね。そこへ持ってきて、中国SFの英訳が初めてヒューゴー賞を獲ったというので、SF界を越えて注目が広がった。SFを読まない人までが手にとったし、オバマ前大統領やFacebook創始者のザッカーバーグも読んだという効果も大きかった。日本でのヒットも、それと同じようなコースですね。最初にSFファンが飛びつき、一般読者に広がっている。

「いま読まれるSFとして違和感がないものに」

――一方、日本語版の翻訳は特殊な体制ですね。訳は大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、立原透耶監修となっています。英語が専門の大森さんが中国語? と思いましたが(笑)、最終的な文章の調整を担当された。大森さんは日本語版ができる前に早川書房の山口晶氏と『三体』の翻訳がどうあるべきか話したそうですね。

大森:評論家の北上次郎さんを囲む忘年会が毎年新宿であって、各社の編集者や書評家が集まるんですが、その席で早川書房の人から『三体』の翻訳権がとれたという話を聞いたんです。中国語ができる人が訳した試訳みたいな原稿はあるんだけど、ふだん小説を訳したことがない人らしくて、そのまま出すのはむずかしい、と。で、SFの翻訳の場合、SFを読んでない人が翻訳すると失敗するケースが多いんですよ。まあ、ミステリでもそうですけど、ジャンルのお約束とか、勘所をはずしてしまうことがある。だから、SFがわかる人が全面的にリライトしないとダメだって言ったんですよ。そのときは自分でやるなんてまったく考えてなかったんですが、年が明けてから電話が来て。「実は、お願いしたい仕事があるんですが。ちょっと長いんですけど……」と(笑)。

 で、とにかく日本語訳の原稿を見せてもらって、それからケン・リュウの英訳を読んで。この英訳を参照しながらリライトすれば、ヒューゴー賞受賞作の邦訳として恥ずかしくないものにできるんじゃないか、と。ケン・リュウの英訳が原文に忠実でありながら非常に明解でわかりやすかったのが大きかったですね。これを目標にして、同じぐらいのレベルの日本語訳をめざそうと。中国語ができないのに訳者としてクレジットされるのもどうかと思ったんですが、よくある「監訳」とかだと、えらい先生がちょこちょこ手を入れたとか名前だけ貸したみたいなイメージなので、そういうんじゃなくて、訳文に関しては全面的に責任を持つという意味で訳者に名を連ねました。中国語のチェックに関しては立原透耶さんに監修をお願いするというのも、当初からの座組みです。まあ、実際は、まるまる1冊、最初から訳すのと変わらないくらいの時間と労力がかかったんですけど。中国語版の原文を参照するのもたいへんだし、ネットがなかったら不可能でしたね。

――訳文で最も直したのはどんなところですか。

大森:直しはじめると結局自分の文章になってしまうので、むしろ残せるところを選択的に残したという感じですね。方言とか日常描写とか。SF設定とか科学的な説明に関してはものすごく変わってます。当初は翻訳SFの読者が読むだろうと思っていましたから、僕がふだん英語圏の現代SFを訳しているのと同じような感覚で、今のSFとして読んでもらえるような文章を心がけました。

 ハクスリー『すばらしい新世界』の新訳(2017年)を担当した時も同じでしたけど、今、日本の作家がこのテーマで書いたとしたらどうか。そういうものに近づける。中国だからとか、ハクスリーならばディストピア小説の古典だからではなく、いま読まれるSFとして違和感がないものにしましょうということです。

――私が『ディストピア・フィクション論』で『すばらしい新世界』を論じた部分は、最初、旧訳を引用して原稿を書いていましたが、その後に出た大森さんの新訳にさしかえました。言葉の選びかたがキャッチ―で、字面からポップなんですよね。

大森:過去に何種類も立派な翻訳があるのに、新訳を選んでもらうためにはそういうところで勝負しないと。あとはやっぱりSFらしさですね。字面が古典ぽくならないように、意図的にカタカナを増やしたり。その点は『三体』も同じで、もとが中国語ですから、人物名も漢字だし、放っておくとどうしても漢字が多くなる。見た目が真っ黒になってしまうので、そこは苦労しました。

 ただ、過去パートは、文化大革命から始まるし、舞台が軍事基地だったりするので、カタい雰囲気になるのもある程度はしかたがない。逆に現代パートは、ケン・リュウがジャパニーズ・スリラーみたいに読めるといっていて、たぶん鈴木光司の『リング』あたりが念頭にあるのでしょうが、「ゴースト・カウントダウン」のあたりはまさにそういう雰囲気。現代サスペンスとしてのリーダビリティの高さをできるかぎり再現しようとしました。過去パートとはっきり差をつけて、現代パートはどんどんカタカナを使う。中国らしさは、べつだん意識しなくても人名だけでじゅうぶん出るので、それ以外はアメリカSFの翻訳と変わらないようにしようと。中国のものだということを忘れるくらいにしたい。人物名が漢字だから忘れられないけど(笑)。ただ、名前が漢字だから読みにくいという人がいるのは意外でした。ふだん、「外国の小説は登場人物がカタカナだから覚えられない」としょっちゅういわれてるので、これなら大丈夫だろうと思ったのに(笑)

――「葉文潔」に「イエ・ウェンジエ」とか名前にルビがあっても読みを覚えられない(笑)。

大森:「ようぶんけつ」と読めばいいのにと思いますけどね。翻訳中は「ようぶんけつ」で変換してましたよ。「汪淼」も、「ワンミャオ」ではなく「おうびょう」で辞書登録してるし。ルビの通りに読みたいのに覚えられないという人がけっこうたくさんいたけど、四声の発音ができる人ならいざ知らず、カタカナ表記に合わせて読んでも原音とは全然違うのに。全部にルビをつけろっていう人と、漢字は読みにくいから人物名はカタカナにしろっていう人と、ルビは邪魔だから要らないっていう人がいて、もうどうすればいいのか(笑)。編集部の判断ではさみこんだ、栞がわりの登場人物表はすごく重宝されたみたいですが。

「SFは道具じゃなくて目的」

――中国らしさには政治体制も含まれます。翻訳は文革のパートから始まりますが、原書では違う構成。劉慈欣は現実社会を批判するつもりはないといいますが、実際はどうでしょう。

大森:そうした問題は『指輪物語』の昔からあって、”一つの指輪”は原爆のメタファーだと言われても、著者のトールキン自身は、あれは指輪であって原爆じゃないといいつづけていた。『三体』に関しては、たぶん両面あるでしょうね。劉慈欣は子どもの頃から本当にSFが好きで、異星人の侵略の物語が書きたいから異星人の侵略の物語を書いている。SFは道具じゃなくて目的なんだというのは、SFファンにはすんなり理解されるところだと思います。実際、VRゲーム「三体」の描写や、三体世界における秘密兵器の実験場面とかは、SFマインドがあふれすぎるぐらいにあふれてて、好きで書いているとしか思えない(笑)。

 ただ、いま『三体』を読めば、中国とアメリカの関係を書いているようにも見えるし、三体世界に託して体制を批判しているようにも見える。ただ、もしそういう意図があったとしても、「はいそうです」と認めてもいいことはひとつもない(笑)。いまの劉慈欣は国宝扱いだから、なにを書いても大丈夫かもしれませんが、中国の出版界全体では、習金平体制になってからどんどん締めつけが厳しくなっているみたいですね。『三体』のヒューゴー賞受賞がなかったとして、もし無名の作家が同じものを書いたら、今出せるかかどうかギリギリかもしれない。劉慈欣は、中国SF全体の発展も考えて、大人の対応をしているような気がします。

 政治の風向きを読むのがいかに大事かっていう話は『三体』作中にも出てきますよね。文革当時、赤い太陽は共産党の象徴だから、黒点を黒点といってはいけないとか、太陽に向けてレーダー照射するなどもってのほかだとか。その種の政治的配慮は、小説の中だけではなく、『三体』を出版するときにもあって、それが章の順番を入れ替えて、文革の場面を小説の冒頭ではなく真ん中あたりに移動させるという選択になった。

 だからといって、『三体』がSFを隠れ蓑にしてた小説じゃないことは、読めば明らかです。例えば、中国で出せないからといって日本の藤原書店から最近翻訳が出た王力雄『セレモニー』なんかは、オーウェル『一九八四年』的な監視社会をインターネット時代に再現した体制批判のディストピアSFです。『三体』はそういうタイプの小説とはまったく違いますが、それでも政治的・社会的なメッセージは読もうと思えばいくらでも読みとれる。三体世界が地球文明の発展を遅らせるために科学研究を妨害する構図は、アメリカが5G戦争で負けないようにファーウェイを締め出そうとするのと重なって見える。あるいは、日本と韓国の関係を書いた小説のようにも読めるかもしれない。物語を文革から始めて現在の中国を舞台にしている以上、そういう読み方をされるのも当然ですが、たぶんそれを書くことが目的ではない。劉慈欣は、主人公が人類に絶望する体験として選んだのが文革だったと語っています。

――「SFマガジン」8月号の『三体』特集で中国のミステリー作家・陸秋槎が、文革の経験を描いたジャンルとして「傷痕文学」があることを書いていました。

大森:『三体』にも「傷痕文学」の要素はあって、主人公・葉文潔の動機づけの核になっています。紅衛兵と再会する後半のシーンでは、彼らは延々と恨み言をいい、自分たちがいかに辛酸を舐めたかと語るばかりで、謝ろうとしない。強烈なシーンですが、SFとしてはそこまで書く必要はない。しかし、同作全体が「傷痕文学」かというと、それも違う。そういう要素がある一方で、智子(ソフォン。人工知能搭載陽子)を作るための実験のパート、それこそ戦隊もので悪の首領が地球侵略のために新兵器を作るけれどことごとく失敗するみたいな(笑)バカバカしいシーンが同じ小説の中に同居している。そこが中国SF的なおおらかさ、ふところの深さだと思いますね。

 日本やアメリカのようにSFの長い伝統があると、編集者もSFの教科書に則って、これはいくらなんでもダメ、削りましょうとなる。どんどん角をとった結果、優等生的だけど引っかかりのないものになってしまう。中国でも『三体』はエンタメに寄りすぎで、ちょっとやりすぎじゃないか、もっと真面目にやれと批判があるらしい。でも、たとえ炎上しようが面白いものを書く。

 日本でも『三体』批判はあります。今、読書メーターで3,000件くらい登録されてて、600件くらい感想が上がってる。普通は登録の1割くらいしか感想が上がらないのに『三体』は2割以上。すごい勢いで感想が書かれています。ここが変、あそこがおかしいなどというツッコミも含めて、とにかくなにかいいたい人がいっぱいいる。もちろん、いいといわれるところも多い。例えば、葉文潔が山奥の村の子どもたちに勉強を教えたら村の人たちに気に入られ、電気も通っていない家で赤ん坊を育てながらその家に住む教養のない若い母親に宇宙の話を聞かせる。作者本人の幼少期の思い出が投影されてエモーショナルで美しい場面になっています。そういう場面と、パナマ運河のめちゃくちゃな作戦行動とかが一緒になっている。そのありえなさが魅力ですね。

「中国ではまだ発展が続いていて、それが中国SFを支えている」

――劉慈欣は1963年生まれ、大森さんは1961年生まれで同世代です。

大森:だから、SF方面で著者が何を読んできたか、どういうものが書きたいかはよくわかります。でも、幼少期のエピソードとか読むと、劉慈欣は、同世代の日本人には信じられないような体験もしてきている。僕らの世代の日本人に強烈な原体験はなくて、せいぜい1970年の大阪万博くらい。一方、中国では、幼少期の文革から始まって体制の変化で生活がふり回される体験をしています。

 『三体』には、環境問題を訴えたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出てきますが、日本でも1970年代には公害が大きな問題になり、思えば万博の頃が明るい未来のビジョンのピークでした。そこからはノストラダムスの大予言ブームとか『日本沈没』の終末論になり、科学に対する夢や信頼が急速に失われていく。でも、中国では、文革のあいだ科学技術が抑圧されていたから、文革が終わったあと、科学に対する夢が一気に花開いたようなところがあった。その意味では、中国ではまだ発展が続いていて、それが中国SFを支えていると言えるかもしれない。三部作完結編の『死神永生』でも、科学の未来が開く夢のようなビジョンが描かれるくだりがあります。たぶん、日本SFにはあれは書けないんじゃないか。

――劉慈欣は中国では様々な役職について一流の文化人になっていますね。大阪万博のプロジェクトに携わった小松左京みたいなイメージですか。

大森:それ以上みたいですね。超VIP待遇らしい。ただ、作家のタイプとしては小松さんに近い。1973年に出た小松左京の『日本沈没』は400万部近い超ベストセラーになりましたが、『三体』はそれに近い。SF専門誌に連載された本格SFという意味では、小松さんが「SFマガジン」に連載した『果しなき流れの果に』とも重なります。『日本沈没』はダイジェストされて英訳されてますが、それがアメリカでベストセラーになったり賞を獲ったりしていれば、日本SFの歴史も大きく変わっていたかもしれない。中国では、まさに『三体』が歴史を動かしたわけです。

――中国から日本へのSF翻訳は今後増えますか。

大森:増えるでしょう。『折りたたみ北京』以前だと、20年以上前に、『中国科学幻想小説事始』という中国SFアンソロジーが出てるんですが、掲載作家はほぼ戦前生まれで、若くても1940年代生まれでした。それを読むとやはり、古いアメリカSFのエピゴーネンというイメージが強かったんです。それと比べると、『折りたたみ北京』は、収録作家が一気に40年くらい若返った。80年代生まれの作家が多くて女性作家も多い。この本で中国SFのイメージが更新されて、興味を持ったSFファンが多い。劉慈欣に限らず中国の作家を読みたがっていますね。現状だと白水社が『折りたたみ北京』の表題作を書いた作家の『郝景芳短篇集』のほか、台湾の伊格言『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』という原発ものの近未来サスペンスを出しています。『三体』の早川書房としても、この流れで中国の本格SFをもっと出したい、と。ネックは、出せる玉も、訳せる人も少ないことですね。長期的には、中国SFの翻訳は、日本でもマーケットとして定着すると思います。さしあたっては、来年1月くらいに出るスタンリー・チェンの『荒潮』に注目ですね。

――『三体』の第二部『黒暗森林』の翻訳はいつぐらいになりそうですか。

大森:中国語からの翻訳に関しては、前作とは別のチームが担当していて、いまはその完成を待っている状態です。来年の夏までには出したいというのが版元の希望ですが、まだはっきりしたスケジュールは出ていません。僕のほうは今、そのあいだに、テッド・チャンの第二短編集を訳しています。テッド・チャンに関しては、中国SFの影響とか一切ないんですが、こうなってしまうと、書店やメディアでは、『三体』と同じ中国系SFの話題作っていう括りになりそうですね。

――英語で書いている日系イギリス人のカズオ・イシグロを長崎出身だからと日本人作家扱いした以上の倒錯した状況ですね。

大森:でも、たぶん、中国SFの読者層を広げるにはそのほうがいい。テッド・チャンがいて、ケン・リュウがいて、そこに劉慈欣が登場したっていうほうが盛り上がる。いや、今は『三体』が爆発的に売れてしまったから、「『三体』を翻訳したケン・リュウですよ」とか、「その先輩格のテッド・チャンの新刊が出ます」とかいうふうに立場が逆転するかもしれないけど(笑)。

 ケン・リュウは、中国やアジアを意識した短編を以前から書いていました。漢字をモチーフにした短編もあるし、項羽と劉邦の楚漢戦争の話を下敷きにしたファンタジーを書くくらい、中国押しでキャラを立てている(笑)。それに対して、テッド・チャンの作風は、現代SFの最先端みたいな方向で、中国感はゼロ。今度の本は、『あなたの人生の物語』以来、約20年ぶりに出る2冊目の短編集です。たぶん『息吹』という邦題で、12月にハードカバーで出る予定です。SF読者にとっては待望ひさしい本ですが、世間的には、テッド・チャンは、もはや映画『メッセージ』の原作者というより、なんか中国SFの偉い人(笑)みたいなイメージで受けとめられるかも。

 早川書房としては『三体』の二作目『黒暗森林』が出るまで、中国SFに対する世間の興味をつなぎとめたいというのがあって、10月には著者の劉慈欣が来日、12月にテッド・チャンの『息吹』、1月にケン・リュウの英訳からの翻訳で、陳楸帆(チェン チウファン/スタンリー・チェン)の『荒潮』が出る。『折りたたみ北京』の文庫化も10月ですね。来春にはケン・リュウ編の第二アンソロジー(『Broken Stars』)の邦訳が出るし、毎月のように中国SF関連(?)の本が予定されています。

――『三体』三部作は、第二部『暗黒森林』、第三部『死神永生』と続きますが、今後の読みどころは。

大森:エンタメ的には二作目の『暗黒森林』が一番面白いかも。基本は『デスノート』みたいな頭脳戦ですね。圧倒的に不利な立場にある地球文明が、いかにして生き延びるか。すべての情報が筒抜けになる状態で、どうやって対抗策を練り、それを実現するか。第一部『三体』とはタイプが全然違う話なので、お楽しみに。

(取材・文=円堂都司昭)

■書籍情報
『三体』
劉 慈欣 (著), 立原 透耶 (監修), 大森 望 (翻訳), 光吉 さくら (翻訳), ワン チャイ(翻訳)
価格:本体1900円+税
頁数:447頁
ハヤカワオンライン:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014259/

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む