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『騙し絵の牙』が描く出版業界はリアルなのか? 業界人が小説版と映画版を検証

リアルサウンド

21/3/31(水) 17:00

 塩田武士原作、大泉洋主演の映画『騙し絵の牙』が2021年3月26日に公開された。

 出版業界ネタの作品だが、どのくらい業界描写がリアルなのか、どこが現実の出版業界とは異なるのか、小説版と映画版ともに見ていきたい。

小説版…2010年代中盤の状況としては相当リアル

 『騙し絵の牙』の原作小説は、大手出版社勤務で文芸に思い入れがあるが現在はカルチャー誌の編集長である主人公が「1年以内に黒字転換しなければ休刊だ」と会社上層部から突きつけられ、社内の派閥争いに巻き込まれながらも奮闘していくさまを描いている。

 単行本は2017年刊行で、もともとは「ダ・ヴィンチ」に連載されたものということで2021年現在読むと、古くなっているところがいくつかある。

 たとえば作中では文芸業界の大御所作家が80年代に書いた忍者アクション小説をパチンコメーカーが遊戯機化の許諾をもらう代わりに新作のスパイ小説の海外取材資金1000万円と雑誌に毎号広告を入れる、という描写がある。

 パチンコメーカーが広告代理店やアニメ業界、出版業界から人を引き抜きまくって自前コンテンツづくりに積極的に乗り出し、破格の羽振りの良さを見せていた時期はたしかにあったが、現実ではすでに終わっている印象がある(それと「小説原作でパチンコ台になった例はない」と作中では書かれているのだが、ラノベ原作を入れれば当時すでにあったはずだ)。

 また、紙の雑誌休刊――作中では「廃刊」という単語が用いられているが、雑誌コードの取得は容易ではないため完全になくす「廃刊」ではなく体裁上「休刊」にすることが大半である――後の施策としての「ウェブに移行する」の位置づけが、「完全消滅への足がかり」「人員削減間違いなし」というものになっている点も、今では状況が異なるように思う。現実では、文春オンラインや現代ビジネスなど成功しているウェブ媒体は人員削減どころか規模は拡大し、花形部署扱いになっている。

 さらに、多くの書き手が電子図書館に否定的で、その切り崩しを主人公が会社上層部から依頼されるのだが、これもどうだろうか。一部の人気作家を除けば、電子図書館に対して否定的な物書きは今ではそれほど多くないように思う。電子図書館に納入する際には紙の本の2~3倍の値付けがされるのが現在の相場で、目下はコロナ対策予算が各自治体に付いていて電子図書館本バブルの様相を呈していることもあって、中小出版社や新人~中堅の物書きにとっては電子図書館はむしろ収益源のひとつと目されているはずだ。

 ……とまあ、わずか数年とはいえ時間が下ったことに伴う違和感はあるが、逆に言えば2010年代半ばの出版業界の空気はかなりリアルに表現されている。

映画版…出版社や作家のマスメディア上での扱いが現実以上に過大に

 映画版は原作小説とはストーリーがほぼまったく別物になっており、宣伝でも「騙し合い」がウリになっている。原作は「自分は何のために生きるのか」と問う編集者の姿がテーマだったので、作品の力点も異なる。

 映画としてのわかりやすさ、ケレンの強さ優先になっていて、それゆえのおもしろさはある半面「ありえない」度合いは原作よりも増している。

 出版業界人的に気になるところはたとえば以下だ。

・小説雑誌「小説薫風」の関係者が口を開けば「文学」「文学」と言っている。一般的に出版業界で「小説〇〇」と冠された雑誌は大衆文学、中間小説、エンタメ小説の雑誌であって純文学の雑誌ではない。だからそこに載る小説が直木賞を獲ることはあっても芥川賞は獲れない。だが作中では編集者が新人作家に「芥川賞を獲らせてやる」と発言したというシーンがある。

・「文学」「文学」と言ってる作家の代表作のひとつが忍者アクションもの。村上龍や吉田修一のように芥川賞獲ったあとでアクション小説書いている作家もいるから「絶対ありえない」とは言えないが……。

・ド新人の作家が雑誌に小説連載が決まっただけで記者会見が開かれる。ないと思う。

・音楽雑誌の編集長が、広告が入っていた大物アーティストの新譜をけなしてクビになったことが武勇伝的に語られる。そういう人間はそもそも編集長になれないと思う。

・文芸評論家が全国区のテレビのニュース番組にスタジオ出演して出版社経営陣の後継争いのゴシップを紹介。いや、『5時に夢中!』みたいなバラエティに出演とかならまだわかるんですがね……。

・文芸評論家が未発表の小説を新聞の文芸時評でとりあげる。

・出版社がAmazonと提携して作品の独占販売契約を結ぶ。ただこれに関しては中国のECプラットフォームと出版社とでは当たり前にやっていることなので「ありえない」とは言い切れないものの。

 全体的に出版社や作家が、現実でそうである以上に、社会的に影響力が大きいように描かれている。ありがたいと言えばありがたいのだが……。

 『騙し絵の牙』を「出版業界もの」だから読むという人はおそらく少なく、タイトル通りどんでん返しを期待して読む人が大半だと思うが、業界人目線で述べれば以上になる。

 個人的に一番ツボったのは、映画では小説版にはない「横浜にある広大な敷地を使って出版の新しい生産・物流拠点を作る」という構想が語られ、その計画が頓挫する点である。これはどう考えてもKADOKAWAがやっている「ところざわサクラタウン」がモデルだろう。自前で企画から印刷・製本・物流まで担うことで経営効率を上げて少部数出版・重版も可能にする、というやつだ。それをくさすなんて、原作、角川文庫から出てるのに攻めすぎでは???

 観ながらKADOKAWAの人たちがどう思うのか、その感想が気になってしまった。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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