Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

『鬼滅の刃』鬼舞辻無惨はジャンプ史に残るボスキャラだ DIO、カーズ、シックスに連なる“悪の系譜”を読む

リアルサウンド

20/4/5(日) 16:26

■悪鬼殺し(Demon Slayer)の物語

 人類史上、最大のキャラクターが「キリスト」だとすれば、それに続くナンバー2のキャラクターは「悪魔」である……。漫画原作者、小池一夫はそんなことを語っている。(『大阪芸術大学 大学漫画』vol.1「小池一夫の誌上キャラクター原論」第1回)敵対者が邪悪で強大であるほど、それに打ち勝つヒーローの存在は輝くだろう。だから物語のヒーロー(主人公)は、個性的で、強く記憶に残る「ボスキャラ」を必要とする。

関連:英語版『鬼滅の刃』の表紙

 『鬼滅の刃』という物語も例外ではない。「鬼舞辻無惨」というボスキャラは、ジャンプ史に残るレベルの魅力で読者を惹き付け……、主人公たちからの「敵意」を徹底して引き寄せている。また、こうも言えるだろう。私たちは、「勧善懲悪」「正義の味方」といった言葉を聞くと、無邪気すぎると感じて、まず疑ってしまう時代に生きている。

 だが『鬼滅の刃』は「デーモンスレイヤー」(悪魔を殺す者・兵器)という、ダイレクトすぎる英語版タイトルにも表れているように、「鬼を滅ぼす」ことが主題で、「無惨以外にも通用する正義」を語らない。正義はなくとも、「この世に存在してはいけない悪」は『鬼滅の刃』に存在する!

 無惨はすべての「元凶」であり、彼がいなければ鬼殺隊が存続する意味もなくなる。「同情の余地のない悪」であり、彼が悪を行う理由は「千年以上生きてもまだ長生きしたい」ことと、「昼間に行動が制限されることが屈辱」だという、肥大したエゴイズムにすぎない。

 彼には、共感できる仲間もいない。読者がよく「ブラック企業の社長」「ネットにいる話の通じない人」に例えてネタ扱いするが、悪事の大きさ、強さに比べてその本性は「小物」「クズ」と呼んでも足りないほどで、自分以外に対して常に腹を立てている。同胞である他の鬼たちも悪事を行うが、ほとんど無惨のために歪められた「犠牲者」と言うこともできて、『鬼滅の刃』の「悪」は、無惨ただ一人に集約されていくのだ。

 そして主人公である竈門炭治郎は、「鬼を必ず滅ぼす」という敵意と、「鬼も可哀想な人間だ」という慈愛を両立させたヒーローとして鬼と戦い続けてきた。鬼の多くは、どれだけ残忍であっても同情を誘う過去の記憶を隠している。彼らが炭治郎から慈愛を向けられることで、無惨の徹底した「同情のできなさ」も強調されるのだ。

■「悪」を模索してきたジャンプ作家の系譜

 作者の吾峠呼世晴は、好きな漫画の筆頭に『ジョジョの奇妙な冒険』を挙げるジョジョ好きとしても知られている。実際、鬼舞辻無惨の自己中心ぶりには、ジョジョシリーズをまたぐボスキャラである「DIO(ディオ)」や、第二部のボスキャラ「カーズ」を連想する人も多いだろう。(関連記事:https://realsound.jp/book/2020/01/post-476587.html)

 ジョジョの歴代ボスを罵倒するセリフは、なかなか激しくて記憶に残りやすい。「ゲロ以下のにおいがプンプンする悪(ワル)」「この世のどんな悪よりもドス黒い性格」「吐き気をもよおす邪悪」などなど、かなりの言われ放題だ。その生みの親である荒木飛呂彦は、DIOほど残酷で自分を優先するボスキャラを「当時珍しい存在だったかもしれない」と振り返っている(『kotoba』2020年春号)。DIOが登場したのは80年代後半だが、実は鳥山明が『DRAGON BALL』で「ピッコロ大魔王」を描くよりも少し早かった。

 歴史上、「DIOほどの悪」がどう珍しいのかは、よく分からない。ただ、魅力的な敵対者には「対等な宿敵やライバル」、「壮大な目的のある理想主義者」などもいて、「倒すことが正義」と言い切れないのは確かだ。すると、「容赦なく命を奪うことが許されるのか?」という疑問も生まれてしまう。 

 また、和月伸宏は『るろうに剣心』の連載後期、「読者が心の底からぶっ倒したいと思う、救いようのない敵」を描こうとしたが、自分としては上手くいかなかったと振り返っていた(『剣心華伝』和月伸宏インタビュー)。逆に得意な作家として、鳥山明と、『ONE PIECE』の尾田栄一郎を挙げるのだが、その尾田が「敵の倒し方」をどう考えていたかも注目したい。

 (『るろうに剣心』後期に出版されていた)『ONE PIECE』4巻で、「ルフィが敵を殺さない理由」を読者に説明している。そこで「ルフィは敵の信念を砕いている」のであり、それは海賊にとって死の痛みに等しく、「殺す殺さないは二の次」だと言うのだ。それは同じ海賊として対等な「信念と信念のぶつかり合い」であり、言ってみれば「ガキ大将同士の誇りを懸けたケンカ」のように捉えていることが分かる。

 つまり、信念のない敵に「魅力的な個性」を与えるのは難しく、ただ不快でカッコよくもない悪党を強大な敵に据えても、ヒーローの魅力は引き立てられない。このバランスの難しさに、ジャンプ作家は向き合ってきたと言える。

 象徴的なのは、松井優征が『魔人探偵脳噛ネウロ』のラスボス「シックス」に名付けた「絶対悪」という強い概念だろう。相対的にぶつかり合う信念でもない、「絶対に肯定できない悪」は漫画で表現できるのか? という作者の挑戦がそこにはあった。

 DIO、カーズ、シックスらに連なって生まれた鬼舞辻無惨。無惨は「すべての元凶でお前が一番悪い」という言い逃れようのない罪状に加え、「同情しようのない小物」という読者を惹き付ける性格が合わさることで、強大かつ魅力的な、それでいて誰しもが滅びを望むようなボスキャラとして成立している。本人のセリフを借りて問うならば、「殆どの人間が千年も生きずに死んでいく。何故お前はそうしない?」……なのだ。

 本性の器が小さいからといって、なぜかザコ敵のような格の低さに繋がることもなく、作中の存在感だけは圧倒的に高い。卑劣な戦いの手段を好むDIOやカーズと違って、意外と悪知恵をあまり使っていないのも「無惨らしい」個性だろうか。それは「悪のカリスマ」と呼ばれてきたような、狡猾さと絶対的な器の大きさを追求するタイプの「悪」とも異なっていて、「ジャンプ漫画の悪の系譜」に対する、見事なアンサーのようでもある。

(文=泉信行)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む