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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

戦争に翻弄された俳優・歌手中村哲の評伝『占領下のエンタテイナー』

毎月連載

第35回

寺島優『占領下のエンタテイナー ―― 日系カナダ人俳優&歌手・中村哲が生きた時代』草思社 2750円(税込)

「日系カナダ人俳優&歌手・中村哲が生きた時代」とある。寺島優著『占領下のエンタテイナー』(草思社)のサブタイトルである。哲はさとしと読む。通称サリー。1908年バンクーバー生まれ、40年来日、92年清瀬市で没した。戦中戦後、芸能界各分野で華々しい活躍を見せたが、今ではその存在を知る人はごく少ないのではないか。

中村はもともとバリトン歌手で、来日の翌年、藤原歌劇団『カルメン』で闘牛士エスカミーリョを演じ大好評を得ている。カルメン役は斎田愛子。間もなく太平洋戦争が始まる。西洋音楽は敵性音楽と見做され演奏どころではない。カナダでは家族が収容所に入れられる事態となった。幸い中村は東宝映画から『ハワイ・マレー沖海戦』『阿片戦争』など脇役出演の話が持ち込まれる。カナダ育ちの特異な風貌が重宝がられたのか。

『阿片戦争』撮影中、砧の東宝撮影所で大部屋女優寺島サチを見染める。階段でのすれ違いざま、エキゾチックな容貌に惹かれた。寺島のほうも、170センチ以上ある大柄でおしゃれな中村に一目惚れだった。44年1月9日、大東亜会館(現東京會舘)で挙式。戦争中なのに料理もたっぷり振る舞われた。

戦時下の中村は映画出演のほかもうひとつ大きな仕事に携わった。対連合軍プロパガンダ・ラジオ放送「ゼロ・アワー」の制作である。英語が母国語の彼に英語の歌を選曲し英語のナレーションを付ける仕事が楽しくなかったはずがない。その時の同僚に米軍兵士の間で人気の高かったアナウンサー、東京ローズこと戸栗郁子がいる。ローズは日系アメリカ人二世、のちに戦時中の対日協力の罪でサンフランシスコ連邦裁判所により有罪判決(禁固10年、罰金1万ドル)を受けている。日系カナダ人二世の中村がお咎めなしだったのは僥倖だった。

やがて日本敗戦。映画産業が復興の兆しを見せ、中村は東宝の仕事が忙しくなる。併行して進駐軍クラブからの出演依頼も絶えることがなかった。オペラ歌手を志していた彼がジャズやポピュラー・ソングを粋にこなしたとは思えないが、クラシック、セミクラシックならお手のものだ。兵・下士官クラブはいざ知らず、気どった雰囲気の将校クラブでは大いに受けたろう。この仕事でも流暢な英語が力強い武器になったはずだ。

それにしても中村の人生は、きのうは日本軍のプロパガンダ放送、きょうはアメリカ進駐軍クラブでの慰問出演となんとめまぐるしく揺れ動いたことか。荒海の小舟のように時代の波に翻弄されたかに見える。

終戦から7年たった52年、私は、有楽町・日劇のステージに登場した中村哲を見て記憶している。このラテン・ダンス・ショウといった趣の『リオの黒薔薇』(52年4/30~5/13)は越路吹雪主演、中村が演じたのは越路の“旅の女”と男たちのいざこざをさばく脇筋のガウチョ(南米のカウボーイ)だった。

越路作品といえば、『占領下のエンタテイナー』に付けられた「出演作品リスト」では、帝劇第1回コミックオペラ『モルガンお雪』(51年2/6~3/26)にも出演したことになっている。私はこの舞台を二度見ているが、中村についての記憶はあいまいである。パンフレットをチェックしたところ記載がない。ちなみに『モルガンお雪』は日本ミュージカルの出発点となるきわめて重要な作品である。祇園の芸妓お雪(越路)とアメリカの大財閥の御曹子G・D・モルガン(古川ロッパ)の実話に基づく国際色豊かな舞台であった。

56年、中村は、藤原義江に懇願され、客演歌手兼通訳として藤原歌劇団第3次アメリカ公演に参加する。第2次渡米公演の際、現地プロデューサーと契約上のことで揉めごとが生じたので、藤原としてはオペラがわかり英語が話せる中村を絶対必要としたのだろう。一行は『蝶々夫人』『ミカド』を引っ下げ、37都市、66回公演をこなした。中村の故郷バンクーバーでもおこなわれた。オペラはおおむね好評だったが、収支はかならずしもよくなかったらしい。結局、中村が手にしたのは支度金10万円だけだった。

実は中村にこの藤原歌劇団渡米公演と同時期にとても魅力的なオファーがあった。デイヴィッド・リーン監督作品『戦場にかける橋』の英国兵捕虜収容所々長の役である。ロケ先のセイロン島に飛んできてもらいたいという監督じきじきの依頼だった。結局、中村は飛んでいけなかった。この映画が翌年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など7部門の栄誉を手にしたのはご存知の通り。中村に白羽の矢が立った役は早川雪洲が務めた。早川は受賞には至らなかったが、助演賞にノミネートされた。中村がもしリーン監督の演出を受けていたら………?

この本の著者寺島優氏の本名は中村修、本業漫画原作者、TVアニメ脚本家、伝記の主人公の長男に当たる。ただし父が42歳のときの子で、「父の全盛期のことはまったく知らない」そうだ。取材・執筆に25年の歳月を費やした。頁のそこここに父への愛が滲み出ていて微笑ましい。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。

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