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『悪の偶像』は韓国ノワールの進化型!? ポン・ジュノに続く才能を持つイ・スジン監督の手腕

リアルサウンド

20/6/24(水) 12:00

 カンヌ国際映画祭最高賞、アカデミー賞作品賞などに輝き、世界中でヒットを達成した空前の韓国映画、『パラサイト 半地下の家族』。ポン・ジュノ監督が、この成功を収める以前から、韓国の作品は世界的に注目を集めていた。なかでも評価されているのが、社会の問題や、人間の奥底にある感情を容赦なく描くという姿勢である。

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 そんな“韓国ノワール”とも呼ばれるタイプの韓国映画そのものを象徴し、さらに進化型と呼べるような映画が現れた。新しい才能イ・スジン監督が生み出した、サスペンス映画『悪の偶像』である。ここでは、そんな本作の描いた正義と悪の葛藤のテーマと、その問題が行き着く、真におそるべきテーマについて考えていきたい。

 ポン・ジュノ監督の過去作を振り返ってみると、そのどれにも過激な描写があるように、とくに海外で高く評価されてきた韓国映画の作り手たちは、いずれも心をえぐるような部分を持つ作品を撮り続けている。パク・チャヌク監督(『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』)、キム・ジウン監督(『悪魔を見た』)、ナ・ホンジン監督(『チェイサー』、『哭声 コクソン』)……。

 その流れに、少し遅れてやってきたのが、ナ・ホンジン監督と同年代の、イ・スジン監督である。彼は、2014年公開の初長編『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』で、いきなり国内外の複数の賞を獲得して話題となり、巨匠マーティン・スコセッシ監督からも賞賛された。

 『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』は、女子中学生が43人の男子高校生の集団に暴行されたという、あまりにも陰惨な、実際の事件からインスピレーションを受けた作品だ。事件はそれだけでは終わらず、その後も加害者の親族たちが生活圏に現れて示談を迫ってくるなどの嫌がらせを受けたり、警察、病院、学校などでも酷薄な対応を受けるなど、被害者の側が追いつめられていくという理不尽な状況が描かれていく。

 リアリティある演出によって、事件のショッキングな描写はもちろん、孤立していく少女の切迫感が、見る者に強く伝わってくる。その過酷さは、監督自身の社会に対する怒りの告発のようにも感じられるのだ。

 本作『悪の偶像』でも、脚本と監督をイ・スジンが兼任して、またしても深刻な物語が描かれる。それは、あるエリート政治家の人生と、ある貧しい労働者の人生が、一つの事件によって交錯し、新たな事件が生まれていくという内容だ。

 対照的な2人の主人公を演じるのは、韓国映画を代表する演技派俳優、ハン・ソッキュ(『シュリ』、『ベルリン・ファイル』)とソル・ギョング(『オアシス』、『名もなき野良犬の輪舞』)だ。その役柄は正反対に見えて、じつは近しい面を持っていることが、彼らの見事な熱演によって、次第に明かされていく。

 市議会議員のク・ミョンフェ(ハン・ソッキュ)は、クリーンなイメージを持つ政治家。ある夜、彼が帰宅すると、車のガレージに男の死体があることに気づき仰天する。息子が飲酒運転をして人をはねてしまい、死体を家に運んできてしまったというのだ。ミョンフェは困惑しつつも、政治生命が危機に瀕することを覚悟して、息子に自首をさせるという決断をする。だが、死体を運び込んで事件を隠蔽しようとした行為が明るみになれば、息子は重罪になり、自身の議員辞職は不可避となるだろう。ミョンフェは、自首させる前に死体を事故現場の側溝にこっそりと戻すという工作に手を染めてしまう。

 一方、小さな工具店を営んでいる、被害者の父親ユ・ジュンシク(ソル・ギョング)は、事件の発覚後、ミョンフェとその息子に怒りをつのらせる一方で、ひき逃げ事件に不自然な点があることに気づき始める。そして事件以降、不法滞在が発覚するのをおそれ姿を消していた、息子の新婚の妻リョナを探し始める。彼女は事件を目撃しているかもしれないのだ。リョナを捜索する過程で、じつはリョナが息子の子を妊娠していることも、ジュンシクは突き止める。その子を守るために、ジュンシクは、死んだ息子を裏切るような行動に出てしまう……。

 この二人の罪は、一体何を示しているのだろうか。鍵となるのは、冒頭でジュンシクが告白する、ある出来事である。息子が成長期のとき、自慰行為を知らないために性器が痛みを発しているところを、ジュンシクが手伝って射精にまで導いてあげたというのだ。他人が聞いたら眉をしかめるような気まずい行為かもしれないが、ジュンシクはそれを正しいことだったと考えている。

 自分の身内を助けなければならないという感情は、多くの人が理解できるものだ。しかし、その行為が社会全体から見れば“悪”だととらえられる場合もある。ミョンフェが死体を秘密裏に運んだ行為もまた、自らの保身以外に、息子の身を案じた部分もあるはずなのだ。自分の愛する人が許されぬ罪を犯したとき、または自分の愛する人を救うために、人間はあえて間違った方を選び、進んで罪人になる場合もある。そんな究極的な葛藤の構図が、本作ではいくつも見られる。そのような人間を悪へと進ませる感情は、一種の“呪い”と呼んでもよいのかもしれない。

 また、本作の重要な要素として登場するのが、韓国の国際的な売春組織の闇。良識的な市民ならば、そこで行われる人身売買に等しい状況に異を唱えるはずである。だが、そういったビジネスは、それが間違いであるという認識が社会に共有されているにも関わらず、現実的には一向になくならないのも確かなのだ。これは、社会そのものもまた、公然と悪の面を持っていることを表している。

 だが、本作が真におそろしい面を見せるは、さらにその先である。劇中で描いてきた、正義か悪かという問題。ここでは、さらにそれを覆い隠してしまう、ナショナリズムという要素も表れてくるのだ。国家という大きな価値のなかでは、真実はねじ曲げられ、悪すらも正義として許容されかねないところがある。その悪が、人の声を通して人々に媒介され、市民自体も悪や罪を共有していく場面は、圧巻であるといえよう。

 自分がその立場に陥ったら、果たしてどうするか。本作は、そんな問いを投げかけてくるだけでなく、あるいはもうすでに、自分がある種の“悪”に手を染めているのではないのかという疑問すら植え付けられるところがある。しかし、それは我々観客にとって重要な問いかけなのかもしれない。

 本作は、韓国だけの問題にとどまらない普遍性を持ち、あらゆるスケールの悪への葛藤を描いている。それを可能にしたのは、明晰で倫理的な社会観を持ったイ・スジン監督の能力にあるのは間違いない。彼は、残酷な描写や極限的な内容を、一つの共感できる論理のなかで的確に機能させることで、一種の社会学のような領域にまで作品を到達させているように感じられるのだ。それが、本作を韓国ノワール映画の進化型だとする理由である。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

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