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ZOC 巫まろ、イノセントでなくてもアイドルになれることを証明したメンバーに 大森靖子に共鳴する“因子”とは?

リアルサウンド

20/6/14(日) 10:00

 巫まろはおそらく天性のアイドルである。彼女の以前の活動――本名である「福田花音」として過ごしてきた時間――をまったく感知していなかったZOCファンでも一見して出で立ちから醸し出される、月並みな言葉で表現するならオーラのようなものを視た者も多いだろう。彼女はただ者ではない。アイドルの中のアイドルとして思い浮かべられることも多いであろうハロー!プロジェクトに約10年にわたって在籍し、アイドル道のなんたるかを骨身に染み込ませて過ごしてきた。故に、ZOCという「アイドル界の異端児」のなかではかえって異質な存在として映る。少年院に入所した過去を持つ戦慄かなのや堂々と煙草を喫んでいる姿を見せる香椎かてぃをはじめ、一般的なアイドル像から逸脱したメンバーが大きな特徴のひとつとなっているこのグループでは、身を置く上である種の屈折が鍵となってくる。一方で巫まろはデビューシングルでのレコード大賞新人賞の受賞から武道館での煌びやかな卒業コンサートまで、覇道をいき、王道を背骨に通し、「誰にも言えない人生」なんて背中に隠していないし、後ろ暗い過去なんてどこにも置いてきていない……ように見える。だが、本当にそうだろうか?

(関連:巫まろ「ZOC Member interview 私がZOCになるまで- episode3」

 周囲からは「ZOCへの加入が意外な行動に映った」との声が聞こえてきたが、正直私にはそうは思えなかった。なぜなら彼女が大森靖子その人に共鳴する「因子」を持っていることはすでに証明済みだったからだ。例えば高校時代から大森靖子の音楽を好んで聴いていたこと、以前から公言していた神聖かまってちゃんやアカシック、銀杏BOYZなどの生きることの息苦しさや痛さを生々しく歌うバンドへの愛。彼らは過激なワードを歌詞に織り交ぜることでも知られている。過激な音楽に共鳴出来ることを表明していただけでも彼女が敷かれたレールからなんとしてでも自らのトロッコに飛び移ろうという意志を握りしめていたことがわかる。彼女は彼女なりに、一足早く純粋無垢=イノセントでなくてもアイドルで在れるということを証明したかったのかもしれない。

 「因子」は他にもある――巫の持つ屈折だ。例えば「シンデレラの生まれ変わり」を自称し続けていることや、初作詞曲「わたし」で歌う肩書きを懐疑的に見る姿勢などが挙げられるのだが、ファンの間で印象深いのはインタビュー動画で本人の口からも語られている、自身の容姿に対する劣等感ではないだろうか。

 これは巫が歌いだしを務める「ヒアルロンリーガール」の〈お姫様何人?待って 比べちゃってきりがない〉というフレーズに集約されている。以前の活動の中でも度々口にされてきたこのしこりは、どちらかといえば気丈なキャラクターの彼女をひどく脆く映らせる。それでも時に涙し、時にいじらしいナルシシズムに昇華しながらアイドルを戦い抜いてきた。そんな彼女にとって“女の子はみんながかわいい生き物である”という大森靖子のポリシーは一歩を踏み出すための命綱であり、嵐の夜をともに乗り切る毛布のようなものだったのだろうと思える。多くの女の子にとってそうであるように。一度ふつうの女の子に戻った巫まろは、彼女たちにより寄り添える視点を獲得してステージに戻ってきた。願わくは、このお姫様があたたかなピンクのなかで微睡んでいられますように。彼女の行方に全員刮目だ。(清家咲乃)

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