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【立川志らくインタビュー 後編】10回目となった語り納めの独演会で「芝浜」を

ぴあ

20/12/4(金) 7:00

立川志らく/写真:産経新聞社提供

今やすっかり全国区の顔になった落語家・立川志らく。月曜日から金曜日まで全国放送されている朝の情報番組のメインMC、そして続く番組のコメンテーターとして、落語界を見渡しても、これだけの露出がある演者は、まず見当たらない。1年数ヵ月は、激忙にして激動の月日だっただろう。

この落語家が、これまで10年間にわたって、「その年の自分の落語の語り納めの場」と決めてきた特別な会が、12月のよみうりホール公演である。

落語家と落語ファンにとって、12月は「芝浜」の月とも言えるが、意外なことに、立川志らくにとって、長い間、「芝浜」は、愛着のある噺ではなかったと話す。

「もともとはあまり好きな噺ではなかったです。うちの師匠、立川談志が演じているのを聴いていても、他に、もっと面白い噺があるのにな、って思っていた。「芝浜」は、自分の中では、最近やっと好きになってきた噺なんです」

それはまたなぜですか、と、誰でも当然問いたくなる。

「あまりにも美談だから。美談は恥ずかしいもんだ、落語で美談をやるべきではない、っていう洗脳教育を談志から受けてきたから。ところが、談志はそれを高座でやっていた。その矛盾が自分の中ではわからなかった」

あるまじき美談の「芝浜」は、されど「芝浜」だった。落語家は、自分がこの噺を演じる価値を、ついに発見する。

「わたしの中では、一番遊べる落語なんです、「芝浜」は。どういうことかと言うと、その場でアドリブができるということ。登場人物が、基本ふたりっきゃいないから、そのときの気分で、アドリブが本当にやりやすい。高座に上がったそのときの気分と、観客席の雰囲気と、自分が思っていることとが、ピタッと合ったとき、いいものになる。アドリブの「芝浜」をやり続けることで、自分の変化や進化もわかる。今年なんか特に、1年間、これだけ自分がいろんなものを仕入れたわけだから、こんな「芝浜」になりました、という、自分のバロメーターにもなる。そう気づいたことで、「芝浜」が好きになっていった。師匠が亡くなってから後のことです」

コロナ禍は世界的には悲劇だけれども落語家の人生としては自分を見直すいい機会

立川志らく/撮影:山田雅子

少し質問の回り道をして、この演者が、現下のコロナ禍をどうとらえているのかを訊こう。

「コロナの影響で、ノリの落語会がやりづらくなってきているな、という肌感覚はあります。ソーシャルディスタンスがあるから、会場によっては、席数の制限いかんにかかわらず、満席での上演はむずかしいと判断するケースもある。みんなマスクをしているし、ご年配の方は客席に座っていても不安を感じている。そういう状態がスタンダードになっているのが現状。(柳家)喬太郎が、「どうも何か、(観客席の)ノリが悪いんだよね」って言っているのを小耳にはさんだことがある。彼の場合、マクラでも落語の本編でも、あれこれ脱線してみせながら、お客の雰囲気をみて演じ方を変えていったりすることが多いでしょう。そういった意味からすると、ディスタンス、マスク、不安の三拍子でどうしても客席のノリが悪くなっている中、ノリの部分で勝負する落語はやりづらい。だから、今はあえて、ちゃんとした作品を演じるときだ、という意識に変わっています」

だからこそ、演者は配信に目が向くのかもしれない。落語界は今、若手を中心に、演者がこぞって配信に挑戦している状況。

「無観客の配信は、わたしも5席やった。それはまさに、作品を残そうというのが狙い。このコロナ禍で、自分の落語をずっと残すためにやろう、ノリの落語は止めよう、という意識できっちり。ジャズの演奏家であるわたしが、クラシックをやるみたいなもの。普段は、クラシックの落語家とジャズの落語家がいるとしたら、クラシック側の落語家は、きっちりやったらジャズの落語家に負けるわけがないと思うだろうし、ジャズ側の落語家は、こっちは楽譜なんかはずれちゃって、そのときのノリでやっているんだから、こっちのほうが楽しいんだよと思っている。ジャズの「ノリ」を封じられたコロナ禍の今、こちらがクラシックの演じ方でやってみて、ジャズの人もきっちりできるんだなと、クラシックの人は脅威に思うはず」

先ほどの「「芝浜」はアドリブが生きる噺」という分析と、ここでの「今は、ジャズではなくクラシックできっちり作品を見せる時期」という分析は、表面上は、矛盾しているように見えなくもない。

しかし、その矛盾を、高座の上で融合し、あっけらかんと止揚してしまうことこそが、落語家の腕のみせどころだ。夫婦ふたりの人物像が、ジャズのアドリブさながらの会話術で活き活きと浮かび上がってくる。と同時に、クラシックの古典落語らしい人情噺の余韻が、後味として、きっちりと豊かに残る。

目指すところは、そういう「芝浜」とみた。

「若いころ、談志に言われました。「志らく、お前、巧い落語なんていつでもできると思っているだろう。でも、どっかで意識しておかないと、巧い落語ができなくなっちゃうぞ」と。今はまさに、その時期なんだと思います。コロナじゃなかったら、TVのわたしだけを観ている人から「志らくさんって落語できるの?」なんて言われてカチンときて、じゃあ、笑いの多いネタをやってやろう、ワーッとやっちゃうぞ、となっていたかもしれない。そうではなくて、逆に今、きっちり作品を演じる方向性でやろうという気持ちになることができている。極端な話、「笑わなくてもいいよ」くらいの気持ちでやる意識が生まれている」

立川志らくと立川談志。師弟の会話は、師の死後も、作品を仲立ちとして、続いているのだ。

「コロナ禍は世界的には悲劇だけれども、落語家の人生としては、悲劇と思っていない。自分を見直す、非常にいい機会だと思っています」

*「2020 今年最後の立川志らく独演会」(第10回)
12月17日(木)18:00 開演 (17:15 開場)
会場:有楽町よみうりホール (東京都)
全席指定4500円(税込)

*【動画配信】今年最後の立川志らく独演会(第10回)
【ライブ配信】12月17日(木)18:00開演(17:30開場)
【アーカイブ配信期間】公演終了後~12月31日(木)18:00
視聴券1500円(税込)

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