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アーティストの音楽履歴書 第14回 山中拓也(THE ORAL CIGARETTES)のルーツをたどる

ナタリー

20/2/19(水) 12:00

アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は2月14日に新曲「Tonight the silence kills me with your fire」を配信リリースしたばかりのTHE ORAL CIGARETTESより、山中拓也(Vo, G)に話を聞いた。

小学4年生のときに兄貴が勝手にベースを

うちの家族はみんな音楽が好きで、小さい頃から家で有線が流れていました。日本のJ-POP、歌謡曲をずっと聴いていて、その中でも僕は安全地帯がお気に入りでしたね。子供ながらに「この声とメロディ、すごくいいなあ」と思っていた記憶があります。小学生の頃は歌うことが大好きで、テレビにつないだらカラオケができるおもちゃを誕生日に買ってもらいました。僕、声変わりするまで自分が世界で一番歌がうまいと思っていたんですよ(笑)。

小学生高学年の頃は、L'Arc-en-Cielにどっぷりとハマっていました。ラルクが好きな兄貴の薦めで「虹」を聴いて、なんてカッコいいんだと思って。そのときの感情は言葉ではうまく説明できないんですが、「これがロックバンドなんだ!」と衝撃を受けましたね。ライブビデオを買って、兄貴と一緒にグッズもたくさん集めました。

話は前後しますが、小学4年生のとき、兄貴が僕のお年玉を勝手に使ってベースを買ってきたんです。自分がいつか欲しいものを買うために小さい頃からずっとお年玉を貯めていて、タンスに隠していたのに……5つ上の兄貴はギターをやっていて、高校の友達と一緒にバンドを組み始めた頃だったので、たぶん家でもセッションしたいという気持ちがあったんだと思います。それでベースを練習することになったのですが、まずはASIAN KUNG-FU GENERATIONの楽譜を買って練習しました。慣れてきた頃にはラルクの曲も弾けるようになって、「Blurry Eyes」とかを兄貴とセッションしていました。でも、楽器を弾く楽しさはまだあんまりわかっていなかったかな。おもちゃみたいな感覚というか……LEGO、ベースみたいな、そういう位置でした(笑)。バンドをやってみたいとか、本気で楽器をやろうとはまだ思っていなかったです。

エミネムに衝撃を受けた中学時代

中学生になると、ヒップホップにのめり込んで。僕の中学校ではいわゆるB系のファッションが流行っていて、僕もそういった格好にハマっていたんです。それで仲のいい先輩が西大寺にあるB系ファッションの専門店を紹介してくれて、遊びに行ったらヒップホップアーティストのポスターがいっぱい貼ってあったんですよ。そのポスターの中で「この人誰? めっちゃカッコいい!」と思ったのがエミネムでした。店長が「エミネムっていうアーティストでね」ってその場でレコードを聴かせてくれたんですが、カッコよすぎて衝撃を受けて。「これ持って帰る!」ってそのポスターを剥がして、自室の壁に貼ったのをすごく覚えています(笑)。

エミネムにはルックスとマインドにやられましたね。「白人ナメんな」って中指を立てる精神というか。エミネムが出ている海外雑誌を買い漁って、オカンに英語を教えてもらいながら読み込みました。彼の格好を真似して「Lose Yourself」を聴きながら登校するだけで、エミネムになれているような気がして気持ちよかったです(笑)。エミネムをきっかけに、1990年代の海外のヒップホップアーティストはひと通り聴いていましたね。エミネムの次に出会ったのは2パック。それからドクター・ドレー、ディー・エム・エックス、50セント、オービー・トライス、ノトーリアス・B.I.G.……レコードショップに行ってレコードを漁りまくっていました。音楽を知らないのにB系の格好をしているのって、ダサいなと思っていたんです。

中学3年間はヒップホップにずぶずぶハマっていて日本のロックバンドはあまり聴いていなかったんですが、ラルクだけはがっつりと追っていました。2004年にリリースされた「瞳の住人」は特に好きな曲です。tetsuyaさんがテレビや雑誌で「夢の中で曲を書いた」とおっしゃっていて、「天才かよ!」って衝撃を受けた記憶があります。周りにもラルクを聴いている子が多かったですね。この頃、僕の友達にドラムをやっている子がいて、「forbidden lover」でyukihiroさんがやっているドラムロールのすごさを3時間くらい語られたこともありました(笑)。それでたくさん聴いたので、「forbidden lover」も思い入れのある曲の1つです。

そういうわけで中学1、2年生の頃はあまりベースを弾いていなかったんですが、中学3年生になって初めてバンドを結成しました。同じマンションに住んでいたロック大好きな幼なじみの女の子から「バンドを組みたいんだけど、楽器やってるやつなんてなかなかおらへんから、なんとか一緒にやってくれへんかな」と相談されて。じゃあとりあえず文化祭に向けてバンドをやろうという話になって、学校の音楽室を借りて練習してましたね。文化祭でのステージではめちゃめちゃチヤホヤされた記憶があります(笑)。目の前で同級生たちが盛り上がってくれているのがうれしくて、自分の居場所を見つけたような感じがしました。今でもライブをしているときのフロアの景色に、文化祭の記憶が被る瞬間があります。あのステージをきっかけに、初めて楽器をちゃんとやろうと思いました。中学3年生の頃は大学生になった兄貴のバンドメンバーが家に遊びに来たり、兄貴の友達がやっているライブを観に行っていたのもあって、バンドに対するテンションが高くなっていた時期だったと思います。

高校時代は複数バンドを掛け持ち

高校に入ってからも、兄貴の影響は大きかったです。その頃、兄貴は就職活動もあってギターを辞めてしまっていたんですけど、すごく音楽に詳しくて、RADWIMPS、DOPING PANDA、ACIDMAN、the band apartといったバンドを早いタイミングから追っていたんです。高校1年生のときに軽音部の仲間とACIDMANのコピバンを組んだんですけど、それも兄貴の影響でしたね。ACIDMANのコピバン以外に3つくらいバンドを掛け持ちしていました。「俺は小4から楽器を弾いてるから、みんなと一緒にせんといて」みたいな変なプライドがあったんだと思います(笑)。幼なじみで別の高校に入ったシゲ(鈴木重伸 / G)ともJanne Da Arcのコピバンを組んでいましたね。

ACIDMANのコピバンではオリジナル曲も少しやっていて、その頃に作詞作曲を始めました。曲を作るようになったきっかけは……当時大阪のライブハウスに呼ばれたときに、対バン相手にとんでもなくカッコいいバンドがいたんですよ。楽屋に入ったら女の子を両脇にはべらせて、「ここ、俺の楽屋だから入ってこないで」と言ってくるようなバンドマンだったんですけど(笑)。心斎橋CLUB QUATTROに立てるくらい人気のバンドで、ライブがめちゃめちゃよくて。オリジナルってカッコいいな、俺も作ってみたいなと思って、それで曲を作り始めました。その出会いがなかったら、たぶん僕は曲を作っていなかったんじゃないかな。

(あきらかに)あきら(B)とは軽音部で出会って、Higher GroundというRed Hot Chili Peppersのコピバンを組みました。これがTHE ORAL CIGARETTESの前身バンドになりますね。その頃はすでにACIDMANのコピバンのメンバーとオリジナル曲を作って、奈良で活動しているバンドの輪に飛び込んでいっていた時期だったんですけど、全然いいって言ってもらえなくて、友達もできなくて。それで1回、Higher Groundでもオリジナル曲を作って試してみようと思って、ライブで披露したらみんなが「すごくいい! ヤバい!」って言ってくれたんです。そうやって奈良のバンドシーンに入れてうれしかったのが、バンドマンとしてやっていこうと思い始めたきっかけだったかもしれないです。Higher Groundではベースをやっていたんですけど、途中でギタリストが辞めてしまって。ベーシストなら心当たりがあるけど、ギタリストがいないという状況になって、「じゃあ俺がやるわ」とギターに転向しました。

高校2年生の頃にHigher Groundは奈良のライブハウスの高校生選手権に優勝して、自分たちの予想を超えるくらいお客さんが集まるバンドになっていました。奈良のライブハウスだったら、チケットがソールドアウトするくらいでしたね。大学受験があったので、高校3年生の夏頃に活動休止することになったんですが、最後のライブのときにお客さんがみんな泣いてくれて。これは絶対に復活しようって、大学生になってもバンドを続けることを決めました。

人生の儚さを実感した大学時代

それから半年後、大学に進学して「よっしゃ! 再始動するか」とHigher Groundは活動を再開したんですが……ひさしぶりにやったライブの集客が3人だったんです。最初はメンバーと「なんかの間違いやろ」と言っていたんですけど、何度ライブをしても来てくれるのは多くて5人くらい。あんなにお客さんみんな「待ってるー!」って泣いてくれていたのに。そこで人生の儚さ、人の残酷さを知りました(笑)。これはヤバいからちゃんと立て直そうと思って、がんばって大阪ツアーを回ったりもしたんですが、全然芽が出なくて。ストレスが溜まっていたせいか、挙句の果てには僕とドラマーが大喧嘩して「もう辞める!」みたいな感じでバンドは解散しました。最悪の終わり方でしたよ。

バンド活動を辞めても音楽をディグるのは好きで、そのときにどういうバンドが人気なのか、ずっと調べていました。そしてその情報はなぜかあきらに「このバンド、カッコいいで」って共有していたんですよね。中でもavengers in sci-fiは「なんやこのバンド! スリーピースでどこから音出してんねん!」とすごく驚きました。そういえば、あきらとTHE ORAL CIGARETTESを結成することになったのも、avengers in sci-fiのライブ映像を一緒に観ていたときだったと思います。「2人でもやれるかな?」「もう1回やってみようか」という話になって。俺がボーカルになって……今思えばそれがTHE ORAL CIGARETTES誕生の瞬間でしたね。

インディーズ時代に作っていた曲は、アルカラの影響を強く受けていたと思います。京都のイベントでアルカラのライブを観た兄貴が「あのバンド、ヤバかったぞ」と言っていて。「そうなん? じゃあ次のライブに行ってみよう」って観に行ったら、もう鬼カッコよかったんですよ! その頃はアルカラとは接点がなかったんですけど、しばらくして1人でアルカラのライブを観に行ったときに、がんばって(稲村)太佑さんに話しかけてみようと思ったんです。大きなアンプを持ちながらしんどそうに階段を降りている太佑さんに、勇気を出して「太佑さん! 僕も神戸のART HOUSEでライブしてるんです!」って声をかけて(笑)。「お前誰やー!」みたいな感じになったのが、太佑さんとの最初のコンタクトだったな。

当時はアルカラの真似をしていて、MCでは面白いことを言わなきゃいけないとか、曲もちょっとひょうきんな感じにしたほうがいいと思っていました。でも、俺たちのイベントにアルカラやKEYTALKを呼んで対バンしたことがあって、そのときにこのまま真似しててもずっと勝てないような気がしたんです。すごく悔しくなって、周りのバンドのボーカリストにないものを自分の中に見つけるしか勝ち目がないんじゃないかなと思いました。じゃあ自分のルーツはなんなんだろう? 自分の性格はどうなんだろう?と考えたり、ボーカリストの友達に話を聞いてもらったりしているうちに、「別に笑い取らんでもいいんやな。俺は暗くていいんや」と開き直れた瞬間があったんですよね。

憧れのHYDEからもらった言葉で号泣

アルカラのほかに影響を受けたアーティストというと……やっぱり自分の人生において、L'Arc-en-Cielの存在はすごく大きいと思います。実際にHYDEさんと初めてお会いしたのは、2016年に「J-Rock Live to the World2016 ~J-MELO 500 Anniversary~」でVAMPSと共演したときでした。緊張しまくっていたので、正直そのときのことはあまり覚えていないんですよ。でも、手を震わせながら「家族全員がファンで……!」と言った記憶があります(笑)。「僕、絶対HYDEさんと一緒にライブやれるようにがんばるので!」ということも言いましたね。

それから時間が経って、2018年に「LUNATIC FEST.」に出演させていただき、LUNA SEAやGLAYといった先輩方ともお話できるようになって。そういった流れもあって、HYDEさんの「HALLOWEEN PARTY」にゲストとして呼んでもらえたんです。実際にお話しして、やっぱりHYDEさんは人間性もすごくカッコいい人だなと思いました。HYDEさんは僕らがVAMPSと共演したときのことを覚えてくださっていたみたいで、「『一緒にやれるようにがんばります』と言ってくれるアーティストはたくさんいるけど、実際にこうやって夢を実現させるところまでバンドの状況を持ってきている君たちは本当にすごいと思う」と言ってくれたんですよ。しかもHYDEさんのライブを観に行かせていただいたときに打ち上げに誘ってくれて、そこで「君らの曲、本当にいいと思うよ」と言ってくれたんです。「君らみたいなバンドが物事をどんどん起こしていくことが重要になってくると思う。俺は拓也がしんどいとき、助けを求めたいときは絶対力になるよ」って……もう、号泣しましたね。

去年の秋に開催した対バンツアー「COUPLING TOUR『BKW!! STRIKES BACK 2019』」では、本当に好きな先輩アーティストの方々を誘わせてもらいました。もちろんHYDEさんには絶対出てほしいと思って連絡したら、ご相談していた日のスケジュールが合わなかったんです。でも、HYDEさんは「ほかの日程だとどう? 力を貸すから」と言ってくださって……打ち上げのときの話を覚えてくれていたんだと思います。めちゃめちゃ男気がある人だなと思いましたね。

今もとにかくいろんなジャンルの音楽を聴いていますね。よく聴いているのはジョージ(大阪府出身のオーストラリア系日本人シンガー)。あと、The 1975のマティー(マシュー・ヒーリー)の人間性をすごくリスペクトしています。彼は社会問題に関して、賛否両論あるのはわかっていても、思っていることをはっきり言う。自分が被害を被ってでも、ちゃんと弱者に手を差し伸べるんです。人間として本当に素晴らしいロックスターだなと思っています。こうして自分の音楽履歴を振り返ってみると、ラルクを好きになったのも楽器を始めたのも、やっぱり兄貴の影響が大きいですね。本人も「お前が今音楽をやれているのは、俺のおかげなんだからな!」と言っています(笑)。

THE ORAL CIGARETTES(オーラルシガレッツ)

2010年に奈良で結成された4人組ロックバンド。メンバーは山中拓也(Vo, G)、鈴木重伸(G)、あきらかにあきら(B, Cho)、中西雅哉(Dr)。緻密に構築されたアグレッシブなサウンドでファンを増やしていき、2012年にオーディション「MASH FIGHT!」にて初代グランプリを獲得する。2014年7月にメジャー1stシングル「起死回生STORY」、同年11月にアルバム「The BKW Show!!」を発表。2017年6月には初の東京・日本武道館、2018年2月には大阪城ホールでのワンマンライブを成功させる。2019年8月に初のベストアルバム「Before It's Too Late」を発表し、9月に野外主催イベント「PARASITE DEJAVU ~2DAYS OPEN AIR SHOW~」を大阪・泉大津フェニックスで2日間にわたって開催。11月より対バンツアー「COUPLING TOUR 『BKW!! STRIKES BACK 2019』」を行った。2020年2月に新曲「Tonight the silence kills me with your fire」を配信し、全国対バンツアー「COUPLING TOUR『Tonight the silence kills me with your fire』」を実施。4月29日にニューアルバム「SUCK MY WORLD」の発売を予定しており、この作品を携えて5月より「JAPAN ARENA TOUR 2020『SUCK MY WORLD』」を開催する。

取材・文 / 中川麻梨花

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