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『Red』三島有紀子監督が語る、夏帆×妻夫木聡との共闘 「感情を“共有”した先にみえるもの」

リアルサウンド

20/9/27(日) 12:00

 直木賞作家・島本理生の同名小説を実写化した映画『Red』。平凡な結婚、可愛い娘、“何も問題のない生活”を過ごしていた、はずだった村主塔子は、10年ぶりに、かつて愛した男・鞍田秋彦に再会する。鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを少しずつほどいていく。現在と過去が交錯しながら向かう先の、原作とは別の結末が描かれる。

 塔子を演じた夏帆、鞍田を演じた妻夫木聡を中心としたキャストはもちろん、スタッフたち全体の“熱”がほとばしる一作となった。本作の監督を務めた三島有紀子は『Red』をいかにして作り、そして未曾有の事態に直面した今、作り手として何を思うのか。Blu-ray&DVDの発売を前に、じっくりと話を聞いた。(編集部)

自分の内側に「尺度」を持てているか

――2020年2月に公開された本作ですが、実際に映画を観た人たちの感想などを受けて、監督自身はどんなことを感じましたか?

三島有紀子(以下、三島):私たち作り手の覚悟として、この映画の最後のシーン――主人公「塔子」が、ある選択をしたあとの、あのシーンについては、それを力強く観客のみなさんに提示しようという思いがあって。それを快と感じるのか不快と感じるのかを素直に受け止めていただいて、その上で自分だったらどうするのか考えていただけたらいいなと。そこは十分に伝わっているなっていう実感は、すごくありました。そういう意味では受け取り手の立ち位置が見えてくる映画だったのかなと感じています。

――割とショッキングな終わり方……とりわけ、原作小説を読んでいる方にとっては、ちょっと驚くような終わり方でした。

三島:原作と映画ってやはり別物だなと感じます。だから、映画の全体的な流れで観ていただけたらと思うのですが……。小説を映画化するということは、小説をそのままトレースすることではないのかなと、私は思っています。すぐれた小説というのは、完全と言いますか、『Red』も小説の段階で作品として完成されていますから。なので、それをそのまま映画化することは、あまり意味があることだとは思えないんです。だとしたら、映画にする意味って、どこになるんだろう。そう思ったときに、小説を読んで、どのエッセンスに反応して、どこを膨らませたいと思っているのか、どこを捨てていくのか、どこから見たいのか、映像的な変換をするには? そんなことが大切になってくるのかなと思うんですよね。

――ちなみに、今回の『Red』で言うと、どのあたりになるのでしょう?

三島:「塔子」も、その相手である「鞍田」も、家庭だったり会社だったり、まわりにいつも人がいるけれど、どこかひとりで生きているような2人ですよね。その2人が、雪の中、車に乗って一夜のドライブをする。――そのシーンが、やっぱりいちばん私に届いたエッセンスだったんです。だから、その一夜で彼女は自分の人生の選択を迫られる夜明けまでの話になれば映像的で面白いんじゃないかなと。あとは、原作にあった「鞍田」が「塔子」に言った「君自身の人生を納得いくように戦ってください」という台詞。これこそがテーマだと思ったので、それを台詞ではなく、映画全体で描きたいと思ったんです。そして、「今まで一度も自分が夫からの電話を無視したことがなかったことに気付いた」という文章があり、それは塔子の性格や夫との関係性が如実に表れていると思ったんです。それで、それを「知ってる? 私、あなたの電話無視した事一度もないの」という台詞にしました。そういう原作のいくつかのエッセンスを広げていって、みんなで2人のキャラクターを作っていったんです。そして、そんな2人が生きていった先に、果たして何があるんだろうって想像してみたら、こういう形になった。だから、この映画の終わり方というのは、私の中ではとても自然なことだったんですよね。でも、キャラクター、人物が本当に生まれる瞬間って、役者さんが現場で生んでくれた時だと思います。役者さんがそこに立って動いた時に初めて生まれた、と感じるんです。

――本作の公開時は、その内容から、いわゆる「不倫」について、焦点が当たることが多かったように思いますが、それについてはいかがですか?

三島:実際、日本のお客さんは、その結末部分も含めて「塔子」の行動の是非を問う感想も、多かったですね。海外のお客さん――ありがたいことに本作は、海外の映画祭などで上映していただける機会が結構あったのですが、そこで観ていただいた方々は、「彼女の決断を良いとも悪いとも言わない見せ方が、逆に良かった」と言ってくださることが多かったです。塔子の生き方を、道徳や倫理観で語る感覚ではなかったように感じました。そもそも自分自身も、「不倫」について何か物を申したいと思って、この映画を撮ったわけではないんです。

――というと?

三島:そもそも、私がこの映画を撮ろうと思ったいちばん大きな理由は、若い子たちを含めて、まわりにいる人間を見ていて、自分の内側に「尺度」を持てていない人が、本当に多いような気がしたんです。それは男女問わず。何となくこれがいいと言われているからいい……と言ったような。例えば何かに対して感想を求められたり考えを聞かれたときに、ネットで調べたり、まわりの反応を見ながら意見や感想を言う人が、本当に多いなあと思っていて。

――SNSなどを見ていても、それは思いますよね。

三島:ある意味とても怖いことだと感じます。自分の意見をじっくり見つめた上で、まわりの意見を聞いたり見たりするのは大事だともちろん思うんですが、自分がどう感じているのかっていうことを見つめないまま、自分の尺度を持たないまま、アウトプットをしてしまっているとしたらそれはとても怖いです。だから、そうではなく、一度まわりの意見を取り払って、自分の中にある本質的なものを見つめ直すこと――この映画の場合だったら、自分の尺度を押し込んでいた塔子が、自分は「誰と何を見ながら生きていきたいのか」っていうことを、きちんと自分の中で掘り下げていって、いろんなことを捨てることになっても、そこから自分の足で一歩を踏み出していくような、そんな人間を描きたいと思ったんですよね。それならば、2020年に投げ掛ける意味があるというか、それこそ男女問わず観ていただいて、何か引っ掛かる作品になるのではないかと。それが、私がこの映画を撮ろうと思った、いちばん大きな理由だったんです。だからこそ、結末も力強く提示する必要がありました。

――なるほど。

三島:イプセンの『人形の家』の現代版なんだなと思いながら撮っていたのですが、現代で言うとむしろ「女性だから」とか「男性だから」ではなく「女性であるひとりの人間」として、私はどう生きたいのか?ということをやりたいなと。どこにでもあるようなどうしようもない男女の恋愛を通じて、自分って?本当は何を求めているのか?といったことを突き付けられ、自分が生きていく指針みたいなものをつかんでいくっていう、そういうお話のつもりで撮っていった映画です。

――つまり、「不倫」の是非……それが「正しい/正しくない」みたいなことは、この映画にとって、それほど重要なことではないという。

三島:そういうことですね。もちろん、こうありたいという正しい生き方を映画で見せることもあります。ですが、例えばそれこそ、今村昌平監督が撮られたような作品でも、それが正しいか正しくいないかと言うと、正しくない行動をしている人間が描かれている。けれど、人間ってこういうところもあるよねっていうどうしようもない「欲望」や「業」の探求をしているわけですから。映画全体が、正しいことを求めるものではないと、私は思います。あと、私は、「共感」っていうのも、実はあんまり映画の中に求めていないかもしれません。共感はあってもなくてもいい。あるひとりの人生だったり、2人の人生だったり、その人たちの感情を「共有」したいがために、映画を観ている気がいたします。「共有」には「尊重」があるように感じるんです。自分とは違っても認めると言ったような……。そうやって登場人物たちの感情を「共有」した先に、観る人それぞれの中で見えてくるものがあって。恐らくそれは、ひとりひとり違うと思うんですけど。私は、そういうふうに思っているんです。

役者に「演じてもらう」のではなく「感じてもらえる」ように

――僕が本作を観て思ったのは、「物語」の起承転結を描くというよりも、その瞬間瞬間の心の揺れ動きや細やかな変化を撮ることが、この映画の場合、非常に大事だったのかなと。

三島:おっしゃる通りです。ドラマティックな物語を順序立てて描くということよりも感情の流れが大事かなと感じるようになったのはあります。むしろ、どういうときに、どういう感情で、どういう表情をして、どういう吐息を漏らすのか。それがどう変っていくのか。それをつぶさに観察していきたい。そう、物語っていうのは、その瞬間その瞬間の連なりですしね。なので、とりわけ本作の場合は、順序立てた物語の面白さを追求するより、人生における「愛に生きた一瞬の季節」っていう人生の断片のようなものをどう切り取ることができるのかっていうことに、注力を傾けていったところはあると思います。

――「つぶさに観察していきたい」とおっしゃられましたが、そういう意味では、「役者の芝居」というものが、非常に大事になってくるのではないかと。

三島:そのあたりのことは、以前『幼な子われらに生まれ』を作るときに、改めていろいろと考えたことがあって。あの作品をやるときに「この映画は感情のリアリズムを焼き付けなければならない」と思ったんですね。それで、ワークショップじゃないですけど、たとえばこのシーンを撮るってなったときに、その前に何があったのかっていうことを、撮影の前に役者さんと(主に子役たちと)細かく話し合って、共有することにしたんです。あとは、その場で起きる化学反応――ある言葉をぶつけたとき、どういう表情が生まれるかっていうことを、つぶさに見ていくようにして。だから、役者さんに「演じてもらう」というよりも、とにかく「感じてもらえる」ような――そういう環境を作ることが、私の仕事なんだって思ったんですよね。それは美術とかに関しても同じで……実際の映像には映らないものであっても、美術部と話して用意することにしたんです。たとえ映らなくても、それが存在していることを役者さんが感じてもらえれば、自然と感情が生まれてくるんじゃないかって思って。そういう手法を始めたのが、『幼な子われらに生まれて』からだったんですね。

――なるほど。言葉による説明ではなく、役者のたたずまいによって、説得感を生み出すというか。本作にも、そういうシーンは、多々あったように思います。

三島:ああ、それは良かったです(笑)。なので、役者さんに求めるものも、やっぱり大きくて。今回の映画でも、そこに至るまでに何があったのか、その前に2人のあいだでどんな会話があったのか、もう一回考えてきてほしいみたいなことは、何回もやっていました。

――今回のパッケージに収録されているメイキング映像も拝見しましたが、主演の夏帆さんも、お芝居に関して、だいぶ悩まれたようですね。

三島:夏帆さんに関しては、これまでに何回もご一緒させてもらっていて、出演作も拝見させていただいていて、とてもうまい方だなと思っています。だから、大体OKなんですが、「もっといけるよね」とOKを出さなかったんです。実際現場でもそう言いました。いろんな内面が浮かび上がってこなければいけない難しい役でしたし、そういう意味では、夏帆さんはとても悩んでくれたし、苦労もしていました。主役って頭でわかったことだけをやっていてもダメなのかなと思っていて。なんか、わからなくなったけどこうしてしまったってところまで辿り着きたいなと。セリフがとても少ないのに、いろんな感情を表現しなきゃいけない訳ですからね。私は、男と女ってどこか、言葉は要らない……と感じるところもあり、どんどん台詞が減っていきました。台詞で説明しないでどれだけ描けるかっていうと、かなり難しいところがあると思うんですが、夏帆さんと妻夫木(聡)さん、そして柄本佑さん、間宮祥太朗さんとという4人であれば、それに挑めるだろうと。そういう話は、あらかじめ出演者のみなさんにも、お話しさせていただいたんですよね。だから、私の仕事としては、ひたすら「もっともっと」とリアルな感情が生まれる芝居をひたすら期待して、そんな環境を作り、粘り強く待つということだったと思います。

――「鞍田」役の妻夫木さんも、すごく良かったです。

三島:妻夫木さんも素晴らしかったですよね。妻夫木さんが、理想の家の窓から何を見たいか、ということを車中で語るシーンがあります。ないはずの水平線がまるで目に浮かんで波の音が聞こえたんですよね(だから録音部の浦田さんと音響効果の大塚さんが波の効果音をつけてくれる訳ですが……)。本当に伝わるものが大きくて、胸がしめつけられました。妻夫木さんはかなり綿密に準備をしてこられるのに、現場で0になって相手のお芝居に反応する事のすごさがありますね。そして、夏帆さんの今までにない表情を撮るためにも、やはり妻夫木さんが必要でした。妻夫木さんにある種の「共犯者」になっていただくことが、今回の映画では非常に大事だったんです。たとえば、車で迎えにきてくれた「鞍田」を見たときの「塔子」の表情――あのときの「鞍田」は、病状を考えると、生きているのかどうかわからない状態というか、来られるはずがない。もしかしたらすでに亡くなっていて、亡霊になって「塔子」に会いにきたのかもしれない訳です。そういう「鞍田」を見たときの、「塔子」の驚きや戸惑いの表情を撮りたかったので、妻夫木さんには、「生きているか死んでいるかわからない感じでただずんでいただけませんか?」ってお願いして……。

――すごいディレクションですね(笑)。

三島:そうですね(笑)。でも、そしたら、妻夫木さんが本当に魂だけがそこに立っているという感じでやってくださって。それによって夏帆さんから、「これは現実なのか」っていう、ある種確かめるような感じのお芝居が、生まれていったんだと思うんです。だから、妻夫木さんは、作品全体のことを一緒に考えてくれる「戦友」みたいなものだったなって思っていて。スタッフも含めて、他の誰よりもいちばんに、私がやりたいことを理解してくださったのが妻夫木さんでしたし、妻夫木さん経由で夏帆さんのお芝居を引き出していくというのが、今回の映画の連携プランとして、ひとつ大きかったです。おかげで、本番中、肉体の存在さえ忘れ、ふたりの間に、ただ、感情だけが流れている瞬間が生まれているのを目の当たりにできましたし、それが撮れて幸せでしたね。

――あと、そんな2人のあいだに入ってくる「小鷹」役の柄本佑さんも、非常に色気のあるお芝居をされていて。

三島:以前、深夜ドラマでご一緒したことがあって、そのときから色気のある人だなと思っていたんですけど、今回の映画の中で彼が演じている「小鷹」という男の色気は、妻夫木さん演じるストイックな「鞍田」の色気とはまた違っていて……とても難しく悩んだ役です。とても器用で観察眼があるのに、どこか達観した色気って言うんですかね。だからするりと心にすべり込んでくる。それは実際の佑さんとも、ちょっとシンクロしているようなところがあるというか、冷酷なまでの観察眼と物事を達観した目で見ている色気みたいなものがすごくあって、そこが面白いなって思ったんです。しかも、この「小鷹」という役には、「塔子」が「鞍田」のもとに走る第一段階として、彼女の心の扉を開いていくような役割もあったわけで……。

――「小鷹」の存在が、実は結構大事なんですよね。

三島:彼が「塔子」の奥に潜ませていた本質の部分、その心の扉を、ちょっと開いたところがあって。その勢いがあるからこそ、「塔子」は「鞍田」に向かっていけたというか。「小鷹」は「塔子」をくどいていたのに、結果的に「塔子」の背中を押してしまうんです(笑)。

――確かに(笑)。そんな3人の姿を見ていて、男女関わらず、人間の魅力って何だろうって、ちょっと考えてしまいました。それは行為の「正しさ」とは、必ずしもイコールではないというか。

三島:そうですね。この映画を作るときにまず、登場人物たちのやっていることは、ところどころズルかったり、ダメだったりしながらも、やはり全体としては、それを魅力的に思ってもらいたいなっていうのは、強く思っていたんですよね。まあ、それは今作に関わらず、映画を撮るときはいつも、その役者さんが持っている良さが見えてきて、それが魅力的に感じられたらいいなと思いながら撮っているんですけど。やっぱり、いつもと違うところが見えるっていうのは、ちょっと色気を感じますよね。こういうときに、こういう表情をするんだとか、こういう声を出すんだとか。その人の新たな一面を見てしまったり、何かほころびのようなものが見えた瞬間に、とても人間臭さを感じて魅力的に感じたりするのではないでしょうか。

――そういう意味でも、やっぱりこの映画は、「役者の映画」だったなと思いました。「物語」はもちろん大事ですけど、それ以上に「役者の芝居」を堪能するような映画だったというか。

三島:そこはスタッフとも撮影前から話していました。今回は、人間の表情をつぶさに追いかけていこうと。それで、手持ちカメラでほぼ全部撮っていただいたんです。手持ちって、役者の芝居をすごく見てないとやれないので、とても大変なんですよ。動きや表情のタイミングも含めて、芝居って毎回繊細な部分は変わるものかなと。やっぱり、相手があっての芝居だし、私も毎回同じことを求めているわけではないですし。そうなると、スタッフの負担も大きいというか、役者の繊細な芝居をものすごく繊細に見ていて、そこである種の決断をもってカメラを動かさなくてはならないわけです。たとえば、「塔子」の電話ボックスのシーンだったら、指輪を見て外すところから、どのタイミングで顔にいくのか、そこからまたどのタイミングで指にいくのかっていうのを、本当にものすごい注意力で見ながら、カメラを振っていくんですね。そういう意味では、スタッフの負担も、相当あったと思います。

――確かに、手持ちならではの緊張感が、本作にはあったように思います。

三島:カッティングの緊張感ではなく、じっと耐えながら緊張していただく感じって言うんですかね。芝居そのものに緊張感があるっていうのは、まず求めていることだし、それを撮っている我々の中にも緊張感があるということが、恐らくこの映画全体の緊張感を生んでいったんだと思います。そして、その緊張感がほどける瞬間がどこなのかみたいなことを、観てくれた方に体感してもらえたらいいなって。そう思いながら撮っていったんですよね。

“夢みたいなリアルな世界”に立ち向かうしかない

――先ほど「誰と何を見ながら生きていきたいのか」というお話がありましたけど、この映画の公開後、いわゆる「コロナ禍」に入って。その中で、本作が問い掛けるテーマというのは、よりいっそうリアルに感じられるようになった気もします。

三島:そうかもしれないですね。いつ、普段の生活が突然失くなってしまうかもしれない世界で、誰もが有限を感じたと思うんですよね。だからこそ、たとえばきれいな月を見たときに、それを誰と一緒に見上げたいのか……。一瞬一瞬を誰と過ごすのかっていうのはより考えるようになった気がします。そして、そうやって誰かと一緒に月を見上げている時間というのが、実は何よりも尊い時間だったし、自分自身の場合は、そんな瞬間がいつ失くなるかわからないから、やがて確実になくなるから、記録するというということが大事だな、と、この「コロナ禍」の中で、特にそう思いましたね。

――ちなみに監督は、この自粛期間中は、どんなことを考えながら過ごされていましたか。

三島:まだ完全には終わってないので、今もいろいろ見つめ続けているという感じなんですけど、やっぱり最初に思ったのは、今言ったように、人に会って一緒に何か見たり、一緒に何かを感じたり作ったり共有している時間っていうのは、ものすごく自分にエネルギーを与えていたんだなっていうことでした。あと、私、非常事態宣言が出されている期間に誕生日を迎えたんです。その日はなぜか眠れなくて、ずっと起きていたんですけど、朝の4時ぐらいに、どこからか、女性の泣き声が聞こえてきたんですね。

――何の話が始まるんでしょうか……。

三島:(笑)。普通に泣き声が聞こえてきて。で、どっから聞こえてくるんだろうと思ってベランダに出て、その泣き声をずっと聞いていたんですけど。もしかしたら、彼女の泣き声は、私の知り合いの叫びかもしれないし、友達の叫びかもしれない。私自身のものかもしれない。今この瞬間も、泣きたい感情を持っている人たちが、世界中にたくさんいて、これはそういう人たちの泣き声かもしれないっていう。人類みんなの泣き声にも感じました。で、そう思ったときに、何かこの泣き声の感情に寄り添いたいと思ったんです。それで、ベランダでずっと、その泣き声を聞いていたんですけど、そしたら背中をさすってあげているような感じで、それがだんだんおさまってきて……泣き止んだときに、空が白んでちょうど夜明けを迎えたんです。その瞬間に、自分のやりたいことっていうのは、感情に寄り添うことだったり、その感情を記録することなんだってあらためて思ったんです。私の場合、映像で残すということなんですけど。そういうふうに思ったっていうのが、個人的にはとても大きかったかもしれないです。

――その思いはいずれまた、映画という形で表れてくるのでしょうか?

三島:いずれ、別の形で劇映画に反映されるとおもうんですが……。実はその時始めたのは、ワークショップを受けに来てくれた約30人の俳優とリモートで話して、日常を撮影してもらう、ということでした。みんながこの時に何を感じていたのかを記録して、残そうと思ったんです。ただ、みんな役者なので、どんな感情が生まれているのかを聞いて、それが生まれる設定だけ決め、撮ってもらうことにしました。例えば、元気のなかったパートナーがコロナ渦でむしろ生き生きしているのを嬉しそうに語る役者さんの姿を見て、パートナーについてのビデオ日記みたいなものをつけてもらったり。ある俳優が、好きな人とリモートで会話していくうちに本当に話したい人が見えてきた……と言うので、好きな相手役を決めてその人とリモートで話している時にどんなことをしたくなるのかやってみてもらったり。共通のシチュエーションは、朝4時に女の人の泣き声がどこかから聞こえてくる。声は事前に録音してそれを実際に聞いてもらい、その時の感情の動きを記録してもらいました。音はバラバラだし、いろいろ技術的な問題はもちろんありますが、その時にしか撮れないものが撮れていて、その人の本質が見えて面白いなと思います。自主映画ですし、いつ完成させられるかわからないですが、いい形で発信したいと考えています。

――映画そのものは、今後どうなっていくと思いますか? 作り手はもちろん、受け手である我々の感覚も、いろいろと変化しているように思います。

三島:自分は、わからないことがわかっているという感じでしょうか。映画で描かれる物語はいつも、先が何も見えない所から始まっていますよね? 想像もしていなかったことが起こり、入ったことのない世界に迷い込む。映画は“リアルな夢”ですしね。だから、そんなとき、あの映画の主人公はどう生きたか、を見つめ直しています。そして、映画が作れない時代、かつての映画人はどうやって作っていたのか。その2つをもう一度辿り、この見えない世界を生きていきたいなと。その中で、改めてどんな物語を発信するのかを考えて脚本を書いています。映画はずっと我々の生きていく時間、生活、人生と共に存在していきますからね。受け手側も、いつどんなことが起こるかわからないというのが、よりリアルに感じることになるのかもしれませんね。人間愛を信じたい気分にもなっているのかもしれません。いずれにせよ、映画を作る人間としては、何も見えないこの世界の中で、ちゃんと思考して、目の前の“夢みたいなリアルな世界”に立ち向かうしかないのだろうなと、うすぼんやり考えています。

――なるほど。「コロナ禍」によって社会も大きく変容いたしました。改めて現在の状況を三島監督はどのように捉えていますでしょうか。

三島:「コロナ禍」というのは、まだ継続している話だから、自分は見続けていきたいですね。この世界がどうなるのか。自分の中に生まれるもの、皆さんの中に生まれるもの、すべて、逃さないように、そらさずに、見つめたいです。もちろん、自分の作品も撮影延期になりましたし、経済的なことを考えると厳しいこともあると思いますが、新しい形が生まれている感じがしますし、生んでいこうとも思います。より、ほんとに撮りたい人が撮っていける時代になったらいいなと考えますし、低予算枠も増えていくでしょうしね。いずれにしても、どんな場所、どんな世界であっても存在するであろう愛を見つけて、撮っていきたいと感じています。

■リリース情報
『Red』
10月2日(金)Blu-ray&DVD発売 ※同日DVDレンタル開始
Blu-ray:5,800円(税別)
DVD:3,800円(税別)
●Blu-ray映像特典
・メイキング映像
・イベント映像集(完成披露プレミア上映会/ 公開直前女性限定試写会/公開記念舞台挨拶)
・予告編集(60秒予告/30秒予告/15秒予告)
●封入特典
・リーフレット(16P予定)
●初回生産分限定仕様
・アウターケース

出演:夏帆、妻夫木聡、柄本佑、間宮祥太朗ほか
監督:三島有紀子
原作:島本理生『Red』(中公文庫)
脚本:池田千尋、三島有紀子
企画・製作幹事・配給:日活
制作プロダクション:オフィス・シロウズ
企画協力:フラミンゴ
発売・販売元:ポニーキャニオン
(c)2020『Red』製作委員会
公式サイト:https://redmovie.jp/

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