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遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

現代アートチーム「目[mé]」の 美術館における初の大規模個展を見る

月2回連載

第30回

19/11/15(金)

目[mé]のディレクター南川憲二さん(左前)、アーティスト荒神明香さん(右前)

鈴木 今回は、千葉市美術館で開催中の、現代アートチーム「目[mé]」の展覧会「目 非常にはっきりとわからない」(12月28日まで)に来ました。そして「目」のアーティストの荒神明香さんとディレクター南川憲二さんをゲストにお招きして、いろいろお話をうかがっていきたいと思うのですが……。ほぼネタバレ禁止だから、話していくのが難しい(笑)。

遠山 基本的に彼らの作品はネタバレ禁止(笑)。自分で行って、見て、体験しないとそのすごさ、面白さっていうのは得ることができない作品だからなあ。

鈴木 そうなんですよね。僕は今までの「目」の活動をほぼ追いかけている大ファンだけど、毎回驚きと発見と、やられた! っていう悔しさや、やられたあと、じわっとくる快感を覚えたり、彼らの意図を発見できなかったモヤモヤとか、いろんな感情を持って帰ってくる。
と、これだけ言っても、まだ「目」の作品をご覧になったことがない方は、何を言ってるんだろうって思うでしょうね(笑)。

遠山 私もそこそこ見てきているつもりですけど、何がどうだから、芳雄さんみたいに思うのかって、全部話したいけど話せない(笑)。説明してもその感覚は見てない人とは共有できないという。

鈴木 まず「目」について、千葉市美術館のホームページなどを引用しながら簡単に説明しておくと、空間を大規模に変容させる表現などで、現実世界の不確かさを人びとの実感に引き寄せる作品を展開し、国内外で注目を浴びている、今最も有名で大事な現代アートチームです。手法やジャンルにはこだわらず、展示空間や観客を含めた状況、導線を重視しています。今回ゲストで来ていただいた南川さん、荒神さんと、もう一人インストーラーの増井宏文さんが中心となって、その個々の特徴や技術を活かしたチーム・クリエイションに取り組み、発想、判断、実現における連携の精度や、精神的な創作意識の共有を高める関係を模索しながら活動している。

遠山 難しい(笑)。やっぱりわかるためには作品見ないとですね……。

鈴木 そうですね(笑)。まずは展覧会についてうかがっていきましょう。と言いたいところですが、やっぱり言えないことが多いからなあ(笑)。いろいろとお話しいただけることを聞いていきたいと思います。

「非常にはっきりとわからない」ってどういうこと?

ポスターヴィジュアル

遠山 私、展覧会のポスターを見て、すごいびっくりしました。まず一見して何がどうなってるのかな? って(笑)。横から見るの? そのまま正面から見るの? とも思った。

鈴木 テクスチャーが普通の写真じゃないように見える、とも遠山さん言ってましたよね。加工してるのかなって。

遠山 そうそう、超写実絵画の油彩に見えてしまって。これ、油彩じゃないんですよね?(笑)

南川 違います(笑)。今回、私たちからのたっての希望で、kontaktの川島拓人さんという編集者の方がポスターやグラフィックデザインを担当してくださったんですが、その川島さんがベルギーの写真家マックス・ピンカースさんという方に依頼して、撮影してくれたものなんです。だから写真ですね(笑)。

遠山 でもどうしても油彩に見えちゃう(笑)。
ポスターは購入させてもらったので、このまま中目黒のレストラン 「PAVILION( パビリオン)」に貼ろうかなと思っています。
それで、今回のこの「非常にはっきりとわからない」という展覧会タイトルについても教えてください。すごく不思議な言葉ですよね。

荒神 以前に自閉症の方を密着取材させていただいたんですが、自閉症の方って、時にちょっと不可解な動きをしたりしますよね。ある時、一人の子どものお母さんが、わからない行為をすることを受け入れた瞬間に、その行為がすごく愛おしくみえたっていう話をしていたんです。
普段の生活では、予定調和なこと、わかることのほうが多いじゃないですか。美術館に行っても、こういう絵がみられるだろうと期待していくと、その通りなるほどって理解できることが多いと思うんですが、この「わからない」っていうこと自体をそのまま受け入れて、わからない中に身を置くことをこの展覧会では大事にしたいと思いました。
「わからない」っていうことを大事にして、さらにそれを確かめたり、自発的にそういうことを確かめようとすることが、ずっと「目」が作ってきた作品の根底にもあるんです。今回、その「わからない」ものができたというか、確かめようがない、わかりようがないっていうことを、作品でありながら、突き詰めきれないところまで持って行けたかもしれないと思っています。
「わからない」ことに身を置く能力、ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)っていう言葉があるんですが、そういうことが今自分たちにとってはすごく大事なことなのかなって思っています。

南川 そのお子さんは、駅のホームの端っこで、ずっとジャンプをし続けるそうなんです。止めても止めても、やめない。それがどうしてなのかずっとわからなかったけれども、わからないことそのものを受け入れた時、すごくわかったって、そのお母さんがおっしゃっていたんです。「おそらく何か地球の運動とか自分たちの及ばないものに動かされてるんじゃないですか?」って言ったら、「そうなの!」って言ってくれて、たぶん宇宙からの信号でこの子は動いているって。
でも自分たちも実は変わらなくて、美術館にモノを運んできて、開梱して、置いて、またモノを箱に入れてどこかに置くという「運動」を永遠に繰り返しているじゃないですか。千葉市美術館だと25年間。それって、じゅうぶんおかしいことだと思うんです。ホームの端っこでジャンプする子供と同じように、実は説明しきれない「運動」であるということがわかったっていうか。

遠山 南川さんが前に、美術館に行くとどうしても「アートを見る」という行為の枠にハメられてしまうと、どこからが作品で、どこで作品が終わっているのかすらわからないものでありたいっていうことを言ってたんだけど、そういうことなのかな。

南川 自分たちの生活自体も、新しい視点で受け入れるということを考えると、受け手がその場にどういう風に居合わせられるかということも大事になります。

鈴木 戸惑いっていうか、ある種の痛快さを感じさせてくれるのが「目」の作品。

遠山 それに、フィクションとノンフィクションの転換がすごいグラデーションになっていて。

鈴木 遠山さんのグラデーションっていうので思ったんだけど、今回はすごい場をかき回されちゃった感じがしたのね。わざと混乱させる“ソフトウェア”が仕込まれてる気がして。何がっていうのが言えないのが辛いところだけど。

遠山 そうそう。しかも短時間いる人と、長時間いる人ではその混乱の度合いや要素も違ってくると思うんですよね。一人一個の気付きみたいのがあって、わかったような気になって帰る。で。あとで誰かと話すことがあった時に、また違った作品の醍醐味がそこで立ち現れて、「え? そうだったの? そんなことあったの?」ってお互いが知らなかったことを知る。そこで、実際には自分は一部分しか見ていなかったんだ、っていうことに気付く。

鈴木 僕なんか今回2回目だったけど、1回目もそれなりに見れた感があったんですよね。あ、これ、気付けってことだよな、とかって、自分だけわかったような優越感が生まれたりして(笑)。今日が2回目で、わかってる気がしてるけど、実はいろいろと圧倒的な見落としをしてるんだろうなっていうのが判明して、すごい落ち込んでます(笑)。

遠山 そうなんですよね(笑)。行った人によって、事実がかみ合わないことの面白さっていうか。だから見終わった後に、新たに作品が見た人の中で作り上げられるというか。会話することによって。

鈴木 かき回されてるということについては、「チバニアン」が関係してるのかな、とも思ったんですが。

南川 そうですね。

鈴木 この「チバニアン」っていうのは地層ですよね。

南川 はい、地球磁場逆転地層(チバニアン)と言われるものです。77年前に起きたという地磁気逆転(地球のN極とS極が入れ替わる)の見られる地層が、美術館から2時間弱のところにあるんです。それを聞いた時に、「まじか。地球が逆さだったんだ」って思ったんです。よく考えたら、地球が氷で覆われていたり、今の何百倍もある生物がいた時期もあったんですよね。そんな考えられないような天変地異がこの世界では実は当たり前で、それがまるでダイアリーのように地層に記されている。そしてその上にポンッと乗っかるように今の僕らの現実というものがあるわけで。そういう目線で、もう一度この地表の現実というか、さらにそこから美術館を見てみたいと思ったんですね。そのきっかけがチバニアンだったんです。
そのチバニアンの地層のある現場のキャプションには最後の方に、「この研究は定かではない」って意味のことが書いてあって、じゃあもうなんなんだって(笑)。それも衝撃で、そこからどんどん面白くなってきて。

荒神 これ本当なの? って面白くて(笑)。ものすごく地味な場所なんです。行くまでの道路も脇に立っている赤いノボリにカタカナでおおきく「チバニアン」と書かれていて、それも面白くて(笑)。

遠山 でもそれはアート作品じゃないんだよね?(笑)

《アクリルガス》2018年

南川 違うんですけど、まるでアート作品みたいではあります(笑)。
さっき、かき回すということをおっしゃっていただきましたが、今回の展示に関連した作品で、まさにそういうことをテーマにしている作品があります。
《アクリルガス》っていう作品で、絵具を融解している過程で固めたものです。何が起こるかわからない、偶然何ができてもおかしくないような作り方を実験しながら制作している作品ですが、ある意味「目」のシンボル的な作品です。

そもそも「みる」って何?

遠山 お二人は今回やりきった感がある?

南川 そうですね。今までの中で最も長時間準備に時間をかけた作品かもしれません。一年半くらい。やりきった感はありますね。それに、これまで重ねてきた作品の経験から気付いたことなんかをブラッシュアップして、今できる一番いい形で展覧会に持ってこれたかなと思っています。

荒神 先ほども言いましたが、「わかることよりも、わからないことのほうがはっきりしている」「わからないがある、ということがはっきりしている」ということを今回突き詰めたいと思っていました。

南川 これまでもそうなんですが、僕らはプランニングの段階やアトリエでの制作の段階ですでに作品の肝心なところをみてしまっています。だから僕らは初めて作品をみる鑑賞者にはなれないんです。作品というのは、もちろん自分たちがみたいから作るのですが、それと矛盾するように、僕らは初見で作品をみることはできないんです。僕らは作品をみる鑑賞者の反応を通してでしか、できあがった作品をみることはできないんです。
だからみてもらうしかない。で、作品をみてもらうと、いろんな反応が返ってくる。想定していたものや思いがけないものがあって。それを味わいたくて、僕たちは作品を作っているかもしれません。
だから鈴木さんと遠山さんが今回展示をみてくれて、でもお二人ともみるものが違ったり、気づいたことが違ったりと、みた後の情報がずいぶんと違っています。僕たちにとって、それを生で、同時に聞けることって本当に貴重なことなんです。そこでなんというか、泣きそうになるぐらい、僕たちは作品を作ったんだなっていうことがわかるんですよね。

遠山 でももっとわかってほしいのに、そこわかってないなとか、届いてないなっていうのもあるでしょ?

南川 でも、もともと圧倒的な見逃しとか、全部みる、とかが複雑にある状態、ということを前提で作っているので、それが実際に起きているということ自体が確かめられるというか。

鈴木 うわー、それ絶対いまの僕たちだよね(笑)。本当の本当のところは、作った人たちしかわからない。でも、それもすべて彼らにコントロールされてるかもって思ったら、こんなに面白いことはないよね。しかも、見に行った人たちで見えるものが違ったりする。

遠山 そこで互いに疑問を感じて、また確認しようってなる。

鈴木 これまでも驚きに満ちて、「なんで? どうして? ありえない!」っていう作品ばっかりじゃないですか。どういうことなんだろうって考えて、しばらくして腑に落ちるとか。「目」の作品って、そういう欲望というか、快感というか、苛立ちというか、悔しさというか、そういうものが美術に対してこんなにもあったんだっていうことを気づかせてくれる。そういうのって普通に生活してるとあまりないですよね。でも彼らはそれを次々と展開していってくれて、いつもワクワク感をくれる。

遠山 それにやっぱり、「見ること」ってどういうこと? みたいな。まさに「目」の作品であるっていうことですね。

南川 以前、生まれつき全盲の方で、めちゃくちゃオシャレな方に出会ったことがあるんです。本当にお世辞じゃなくてオシャレで、一人で服を買いに行かれるそうなんです。その人は店員さんのちょっとした気配とかをすごく感じて服を選んでるんですよね。普通に肉眼でみている人よりもみえているというか。
その人に「みるって何?」って聞いたら、「みるって何?」って聞き返されましたね。生まれつきみえないことが当たり前で、みえるという概念がないんです。でも普通に生活できる。その方にみるって何かって聞かれて、みえているはずの僕は何も答えられませんでした。

鈴木 見えることでわかった気になってるけど、実はわかってないことが、我々も多いのかもしれないですね。それは見えるとか見えないとか関係なく。
ただ、ともかく「目」の展覧会は、行ったほうがいい。後々まで語り継がれるから、絶対行くべき、ということは間違いないわけで。でもそれをどうほかの人に伝えるのかっていうのがまた難しいところ。

遠山 これがアートなの? っていう、アートってこうあるべきっていう固定概念を自分は持っていたなっていうことに気づかせてくれる展覧会ですよね。美術館って、一度でいいやとか、一度しかって思い込んでるけど、何度来ても新鮮なんだと思わされました。

鈴木 しかも今回は一度チケットを買うと、パスポート制になっているというお得さ。一度行った人は、初めての人をどんどん巻き込んで連れて来ることをオススメしますね。僕は今日、初めての人と一緒に行く、その楽しみを知ったから(笑)。そうだろ、そうだろって思う反面、そんなことが実はあったの!? って新たな気付きも与えてくれる。
今回はイベントも多数あるんですよね。そして12月28日はクロージングトークがあって、すべての謎が明かされるそうです。僕たちも行く予定です。やっぱり知らないことがあるのは悔しいですから(笑)。

遠山 やっぱり全部知りたいですからね(笑)。

アトリエにて、「目[mé]」の中心メンバーの三人左から、ディレクター南川憲二さん、アーティスト荒神明香さん、インストーラー増井宏文さん 撮影:鈴木芳雄

構成・文:糸瀬ふみ

プロフィール

目[mé]

果てしなく不確かな現実世界を、私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開している。手法やジャンルにはこだわらず、展示空間や観客を含めた状況、導線を重視。創作方法は、現在の中心メンバー(アーティスト荒神明香、ディレクター南川憲二、インストーラー増井宏文)の個々の特徴を活かしたチーム・クリエイションに取り組み、発想、判断、実現における連携の精度や、精神的な創作意識の共有を高める関係を模索しながら活動している。主な活動に、「たよりない現実この世界の在りか」(東京、資生堂ギャラリー、2014年)、「憶測の成立」(新潟、越後妻有トリエンナーレ、2015年)、「Elemental Detection」(さいたまトリエンナーレ、2016年)、「repetition window」/(石巻、Reborn-Art Festival、2017年)、「景体」(森美術館「六本木クロッシング」、2019年)などがある。第28回タカシマヤ文化基金、VOCA展2019佳作賞受賞。東京藝術大学非常勤講師。

遠山正道 

1962年東京都生まれ。株式会社スマイルズ代表取締役社長。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、コンテンポラリーフード&リカー「PAVILION」などを展開。近著に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)がある。


鈴木芳雄 

編集者/美術ジャーナリスト。雑誌ブルータス元・副編集長。明治学院大学非常勤講師。愛知県立芸術大学非常勤講師。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。『ブルータス』『婦人画報』ほかの雑誌やいくつかのウェブマガジンに寄稿。

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