Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

水曜日のカンパネラ、“日本・東京”テーマの新EPで迎えた転機 「5年で1周して初心に返った気持ち」

リアルサウンド

18/6/29(金) 18:00

 水曜日のカンパネラが6月27日に新EP『ガラパゴス』をリリースする。

 2017年2月にアルバム『SUPERMAN』を発表し、その後3月には初の武道館公演を開催。以降も全国ツアーや海外でのライブを行い、同時に配信シングルもリリースしてきた。それら楽曲も収録された新作のタイトルは『ガラパゴス』。コムアイがつけたというこのタイトルは、彼女が今日本や東京に対して抱く思いから、着想を得たという。

 本作の発売前に所属レコード会社ワーナーミュージック・ジャパンでは、メディア・関係者向けのプレゼンテーションを実施。リアルサウンドでは、このイベントの中から、コムアイとケンモチヒデフミにより語られた作品テーマや全曲解説の内容を、一部編集・再構成して掲載する。ケンモチが手がけるサウンドや、コムアイの歌に向かう意識の変化など、水曜日のカンパネラの今のモードが語られた。(編集部)

■日本や東京の比喩としての“ガラパゴス”

コムアイ:『ガラパゴス』というタイトルにしたのは、自分の育った環境や文化を表すのに一番適した言葉だと思ったからです。水曜日のカンパネラとして海外でライブすることも増えてきた中で、自分を育てたものや、今自分を取り囲んでいる状況をタイトルにしたいと思い、日本や東京の比喩として『ガラパゴス』というタイトルにしました。

 以前、Instagramに「この国の好きじゃないところはいっぱいあるけど、でもこの島がすごく好きだ(I don’t love my country but I love this island.)」と投稿したことがあり、このEPにはそういうことが詰まっていると思います。今回のアートワークでは、河野未彩さんと初めてご一緒したのですが、かなりシンプルなものになりました。今までは、どんどん情報量が増していって、いろんなものが詰まっているというのが、水曜日のカンパネラのビジョンだったと思うんですけど。この1年で自分の身体的・精神的変化があり、それが表れてるかなと。また、ガラパゴス文化の象徴として初期のプリクラを再現しました(笑)。アートワークのアイデアは、年始に夢の中で、透けてるピンクの真ん中にプリクラがあるという絵が浮かんで、それを未彩さんに話して進んでいきました。ちょっと80年代90年代っぽくなったかもしれません。

■“スピリチュアル”な方向にシフト

ケンモチ:水曜日カンパネラはこれまで『安眠豆腐』『トライアスロン』『UMA』という3枚のEPを出してきました。EPを作る時はいつも“今までと違うことをチャレンジしよう”というテーマを設けています。今回の『ガラパゴス』のテーマは、チルアウトであること、スピリチュアルであること、オーガニックサウンドであること。2016年に武道館でライブをやった時に、全テクノロジーをてんこ盛りにした演出をやってみたんです。それを1回やりきったところでツアーやフェスを周り、心の膿がパーっと流れて、少しスピリチュアルな方向にシフトしてもいいんじゃないかなと。ガンガン踊れるというよりも、少し落としめのBPMで聞けるようなものにしています。

 僕は、水曜日のカンパネラを立ち上げる前に、20代の頃ソロ名義でインストの活動をしていて、<Hydeout Productions>というレーベルからアルバムを出したりもしていたんですが、その頃からピアノやストリングスを使っていました。でもそのあとピアノの音は飽きて、『ジパング』(2015年)ではそれらを封印してフューチャーサウンドっぽくなっていったんです。でも、『SUPERMAN』(2017年)まで作ってそれをやりきった感があって、『ガラパゴス』ではまた、アコースティック系の楽器を多用するようになっています。

 エンジニアには、以前からやってくれている松橋(秀幸)と、今回はzAkさんも入ってくれました。先行で出てる「メロス」と「ピカソ」は松橋が、それ以外の曲をzAkさんがエンジニアをやっています。zAkさんのミックスの特徴として、ダブミックスというのがあって。作ったデータを全部渡したあとに、zAkさんがもともとなかったエフェクトをかけて仕上げていく。リミックスまではいかないですが、ダブによって楽曲の違う側面を見せていく手法が使われています。それによって、カンパネラの楽曲が今までと異なっているかと。そういう挑戦をしたEPです。

1.「かぐや姫」

ケンモチ:曲を作っている時は今回のアートワークについて、僕は把握していなくて。後日あらためてアートワークを知った時に、ぴったりだと思いました。というのは、このアートワークで作品を手に取り、「かぐや姫」の印象的なストリングスが鳴るイントロが流れてきたら完璧だなと。このスローテンポなBPMは、今までの水曜日のカンパネラにはなかったんですが、今回ようやくできてよかったと思っています。途中からオーケストラっぽくなっていて派手なんですけど、逆に歌の要素は少なくなっていく。もともとAメロの<青々と>という部分は、僕の中ではもう少し違ったものを考えていたんですけど、コムアイが「青しかない」と言うんです。

コムアイ:「かぐや姫」の歌詞を書く上で一番影響を受けているのが、市川崑監督の映画『竹取物語』です。竹に入る前、かぐや姫は一体どこからきたのかーーかぐや姫は宇宙人という設定で進んでいくSF映画で。そこからインスピレーションを受け、竹がまっすぐ青々と伸びるように、地球で色んな命が螺旋状にずっとずっと続いていってほしいと願うような気持ちで書きました。その先にあるのが人間だけじゃなくて、AIもその中に含まれても面白いんじゃないかと。人間が滅んでAIだけになるというSF的な世界があっても、私はその連鎖がずっと続いていると思っていて。「かぐや姫」は次くるAIみたいな気持ちで書きました。

2.南方熊楠

ケンモチ:南方熊楠は自然科学者で、曲はその“自然”にフォーカスし、トライバルハウスというか、スピリチュアルなハウスにしました。<和漢三才図会>(読み:わかんさんさいずえ)という日本語じゃないような響きの言葉があるんですけど。この<和漢三才図会>は江戸時代に書かれた全105巻ある百科事典なんですね。それを南方熊楠はすべて書き写して読んでというのを繰り返したと言われているんです。実は歌詞にはあまり意味がなくて、ただ単に<和漢三才図会>をやりたかったという。

コムアイ:「南方熊楠」はずっとやりたかったタイトルで、『ガラパゴス』というタイトルや、この島が好きだという気持ちにぴったりだと思っていて。日本の自然は、生き物の種類がすごく多く感じるんです。私、この曲で初めて水曜日のカンパネラとしてできたなと思うことがあって。今まで、私が歌ってしまうとポップソング・歌謡曲・歌として成立してしまうことをコンプレックスに感じていて。自分が好きなダンスミュージックってずっと聞き続けることができる音楽で、この曲では、初めてそれができたなと気に入ってます。

 去年、武道館の映像を見直した時に、このままだと自分だけしかやれないことはできないなと思って、車線変更をしたんです。それ以降、ポーンって鳴っているだけのような声を意識していて、前のめりにならない歌い方を目指しているんです。それで1stアルバムの『クロールと逆上がり』(2013年)を聞き返してみたら、すごくよく感じて。だから、5年で1周して初心に返った気持ちになりました。赤ちゃんみたいな気持ち。私がこれからやっていくことは、ダンスミュージックとして成り立つものと、例えばちあきなおみさんみたいに、言葉を伝える歌謡曲という2種類があると思うんです。「南方熊楠」がダンスミュージックの方で、最後の「キイロのうた」は歌謡曲の方。言葉と現実の距離感は、歌謡曲はぐっと近づいていいし、反対にダンスミュージックは意味がどんどん消えていってます。語感だけで、日本語じゃなくてもいいし、どこの言語じゃなくてもいいと思ってるぐらいです。

3.ピカソ

ケンモチ:「ピカソ」はNHKワールドの『J-MELO』のエンディングテーマとして書いた曲です。番組で世界中の人に「あなたの国の言葉で異性のことを口説く時に話す言葉を教えてください」とアンケートをとって、その答えを見ながら曲を作っていきました。Googleに文章を入力すると音声で喋ってくれるじゃないですか。それを使って、Bメロではいろんな国の口説き文句が使われています。ピカソといえばキュビズム。二次元の平面の絵で三次元を構築しようと、色んな視点から見た絵を1枚に並べるということを、キュビズムと言います。それを恋多き男であったピカソに置き換えて、同時期に色んな女性と付き合うと角が立つよね、という歌詞の内容です(笑)。このキュビズムが最初に出された時はとても不評で、ジョルジュ・ブラックがピカソの絵を見て、「これが絵だといういうならばそれが最後の食事が麻クズとパラフィン製になると言われたようものだ」と言ったそうなんです。でも、その後、ジョルジュ・ブラック自身がキュビズムの画家になっていきました。<アビニヨンの娘たち5人と遊びに行くよん>という部分は、“アビニヨンと遊びに行くよん”ってちょっと1人で笑いながら書いてました。

4.メロス

ケンモチ:「メロス」は日本ダービーの曲として書き下ろしました。馬が走る→走る→走れメロスということで、走れメロスに登場してくるメロス、ディオニス、セリヌンティウス、フィロストラトスの4人が、それぞれ競馬の関係者になっている話です。イントロはR&Bっぽく始まって、歌のブリッジを挟んでドロップが入る部分でファンファーレっぽいことをやろうかなと思って。ブラスが鳴った後に曇ったシンセと乾いたクラップが入るという構成を思いついた時に、この曲は勝った! と思いました。これを書くにあたって一度みんなで競馬場に行ったら、コムアイがバカ勝ちして。

コムアイ:競馬は賭けに出ようと思わなければ2~3千円は絶対勝って帰れるんですよ(笑)、安心なやつを選んで買えば。2回見て2回とも勝っちゃって、競馬が好きになった(笑)。

ケンモチ:コムアイ、「もう歌やめてこれで食べて行く~」とか言ってたもんね。MVはモンゴルに強行スケジュールで撮りに行きましたね。

5.マトリョーシカ

ケンモチ:「マトリョーシカ」は、フランスのバンドMoodoidのボーカル、パブロ・パドヴァーニと一緒にやりました。Moodoidの曲にもコムアイが参加していて、交換制作みたいなものに挑戦したんです。「水曜日のカンパネラは、いつも人物像を一つあげて、そこから曲を作ってるんだ。なにかフランス人の人名を教えてくれよ」ってパブロに言ったら、「OK、OK……。うーん、マトリョーシカ」ってなぜかロシアの民芸品が出てきたんですけど(笑)。途中に日本語の<般若心経>とかも出てきます。

コムアイ:マトリョーシカは、中にいくつ入ってるかは見ただけではわからないけど、開けるとずっと出続けるみたいな。パブロの中ではそれがずっと終わらないイメージだそうで、曲を聞いた時に、そういうトリッキーでサイケデリックな印象だったと言ってました。

ケンモチ:そのループ感は音楽でも表してまして、曲が1回終わったかと思ったところからまたタラララって逆再生で始まるという曲の構造になっています。

6.見ざる聞かざる言わざる

ケンモチ:「見ざる聞かざる言わざる」は、言わずと知れた東照宮の新厩舎の猿の彫刻のことです。ことわざではあるんですが、実は日本発祥ではなく、ローマや古代エジプト、アンコールワットから中国を経て、日本に入ってきた文化になります。実は中国にいた頃は猿は4匹いたんです。4匹目は股間を隠していて、“せざる”といいます。しちゃいけないよってことですね。徳川家康を守るための日光東照宮だったから、品位がないということで、3匹になってしまって。曲は、“せざる”がどこに行っちゃったのかな? と寂しそうにしているというストーリーなんですけど。品位がないとか言い出したら面白くないじゃないですか、お笑いでもコンプライアンスとか気にして。笑いたいんだ、こっちは! っていう気持ちで書きました。

7.愛しいものたちへ

コムアイ:以前、「ユタ」という曲を作っていただいたオオルタイチさんに、もう1回なにかお願いしようかと連絡したところ、タイチさんが「ちょうどコムアイちゃんに歌ってほしい歌がある」と。私もすごく気に入って、「これは大事なものを預かったな」と思いました。タイチさんがこの曲を思いついた瞬間は景色が2つあって。タイチさんが住んでいる奈良の山奥の家から見える夕映えが赤くて光悦で、世界の終わりみたいな景色だと言っていました。もうひとつは東京の国会議事堂前。タイチさんが行った時は、ちょうど安保法案が通る日の前夜で、人がいっぱい国会議事堂の前に集まっていたそうです。人が叫んでたりデモをしていた時の思いを歌詞に反映されていて。私が「<砂の城 くずれて>というのは国会議事堂のことですか?」と聞いたら「そうです」っておっしゃってました。

 奈良のタイチさんの家で一度録ったのですが、私自身がちょっと納得いかなくて。もっとリラックスした状態で歌を入れたいと思って、zAkさんさんのスタジオで撮り直しました。オーケストラを録るような、部屋の全部の音を拾えて、空気全部入るような無指向性マイクを使いました。このテイクも結局1回しか歌ってないんですけど。「愛しいものたちへ」というタイトルはタイチさんに決めてもらい、結果的に人名縛りが崩れることになりまして。EPを作る前に私たちの中でも、そろそろ人名縛りなくてもいいよね、という話をしていたところでした。

8.キイロのうた

コムアイ:「キイロのうた」は、映画『猫は抱くもの』のために書き下ろした歌です。今はケンモチさんがほとんど曲も歌詞も作っていて、私自身はしばらくやっていなかったんです。今回私が書くとなった時、ケンモチさんに勝てるキャッチーさがなくても、自分が素直に“何かのために”書くのがいいなと思っていたら、犬童一心監督から『猫は抱くもの』のお話があって。やっぱりこのタイミングなのかと思いました。自分の成長を助けてくれた作品だったと思います。

 去年、恋愛でのトラブルがすごく多くて。お互い大事で愛しているんだけど現実では離れなければいけない状況が、恋愛に限らず何度もあって。うまくお別れするためにはどう考えたらいいんだろうと思って、「人を惑星だと思ったらいい」という話を高校生の時に聞いたことがあるんです。人は惑うように生きてるけど、惑星の軌道はちゃんと決まっていて、それに沿うように生きている。人と人が会うのは軌道がクロスする瞬間だと思うんです。それがまた離れるけど、近くにいるからきっとまたどこかで会えるかもしれない。次会えるのが80歳かもしれないし、もしかしたら死んだあとかもしれないし、違う姿で違う匂いで気づかなくても、でも何万年先で惑星の軌道がまた重なるという。何かを手放せなくなっている、固執してしまっている人が手放せるように、この曲をラストに聞いてデトックスしてもらえたらいいなと思います。(構成=若田悠希)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む