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水先案内人のおすすめ

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注目されにくい小品佳作や、インディーズも

吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

京都国際映画祭2019

『浪人街・予告編 ~1976年夏 東映京都撮影所~』10/19 12:40〜 京都シネマ「京都国際映画祭」(10/17〜20)で上映。 『仁義なき戦い』に始まる実録路線が下火となった後、時代劇復興の号令のもと『柳生一族の陰謀』で東映が大作時代劇に活路を開いたことは、よく知られている。だが、その直前に異なる形で〈時代劇復興〉を試みた企画があった。それが中島貞夫プロデュース、深作欣二監督、笠原和夫脚本による『浪人街』。昭和3年に山上伊太郎脚本、マキノ正博監督で映画化された同名作のリメイクである。 70年代半ばに東映京都で実録映画の作者たちが、伝説的なサイレント映画のリメイクに挑むのは、現代劇に行き詰まりを憶えて目先を変えたと思えば、そう不思議でもない。だが、この企画が異色なのは映画会社からではなく、評論家から発信された点にある。当時『キネマ旬報』に連載されていた評論家・竹中労の『日本映画縦断』は独自の切り口で日本映画史を洗い直すスリリングなルポルタージュで、やがて連載は『浪人街』へと差し掛かり、活字だけではなく、映画運動の実践としてリメイク映画製作が掲げられた――それも自主制作ではなく、「観客は作品をオーダーする」をスローガンに東映へ直談判して製作を促し、中島・深作・笠原という当時の日本映画で考えうるかぎり最高のトリオにオーダーするという、映画批評と創作の関係を一大転換させる空前の試みでもあった。実際、若い読者を中心に新たな時代の『浪人街』を待望する声は大きかったが、深作欣二のフィルモグラフィを見れば明らかなように、脚本は完成したものの映画化は実現しないまま終わった。その理由については竹中側と作り手側の相反した意見が提示されたまま謎を残して関係者の多くが鬼籍に入った。 その『浪人街』騒動の真相を垣間見せてくれるのが本作である。撮影開始が間もなくと思われた1976年の夏、東映京都撮影所に大阪芸術大学映像計画学科の1回生有志が8mmカメラを持ち込んで関係者に取材した労作で、これが素晴らしい。 何より当時の撮影所内の生々しい息吹が、小さな8mmカメラの特性を活かして記録されているのが感動的で、これがTV局のカメラならば途端に被写体はポーズを取ってしまい、素に近い表情を写すことは出来なかっただろう。『沖縄やくざ戦争』の現場でエネルギッシュに演出する中島監督や、本番を待つ千葉真一のリラックスした姿だけでも貴重だが、誰もが学生のインタビューに真剣に耳を傾け、真摯に語る姿が印象深い。 最近、片渕須直の『終らない物語』(フリースタイル)を読んでいたら、「その昔のファン同人誌はやたらとスタッフインタビューが多かった」という文章に出くわした。ある時期までは“学生さんが勉強で作っているのだから協力しよう”という雰囲気が世の中にあったということも関係しているのだろうが、本作でも学生の自主映画だと見くびるような態度を取る者は誰もいない。唯一、川谷拓三だけは取材を拒否する。ちょうど川谷のブレイク時期にあたるだけに、いい気なもんだと思いそうになるが、カメラは遠巻きに車に乗ろうとする川谷の姿を映し、その後で撮影所の食堂で録音されたという川谷の声が響く。なぜ自分が『浪人街』について語ることを拒絶するのか、実に屈折した――というより屈折せざるを得ない特殊な社会でのし上がってきた川谷だからこその気遣いがそうさせたのだということが明かされ、誤解がないようにと懇切丁寧に語る姿は、撮影所の光と翳を感じさせる。 それにしても、中島貞夫、赤塚滋(撮影)、千葉真一、竹中労、マキノ雅弘、深作欣二といった面々が次々に登場する本作は、ある意味ではオールスター映画であり、金子信雄とライムスター宇多丸を合体させたかのような風貌の竹中インタビューは、煽動家としての資質を存分に発揮して語りに語り、“たかが評論家”が持ちかけた『浪人街』のリメイク企画に、映画屋たちが熱を帯びたように打ち込んだ理由も、竹中の怪人ぶりを見れば納得できるはずだ。

19/10/18(金)

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