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吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

生誕110年記念 山中貞雄

おもちゃ映画ミュージアム(京都)「生誕110年記念 山中貞雄」(9/25〜11/10) 1938年に28歳の若さで戦病死した映画監督山中貞雄。現在、ほぼオリジナルの形で観ることが出来るのは『丹下左膳余話 百萬両の壺』『河内山宗俊』『人情紙風船』の3本にすぎない。遺作となった『人情紙風船』を撮ったのが1937年とあっては、ずいぶん過去の人という印象があるが、1909年生まれなので実は黒澤明と1歳違いでしかない。長寿を全うしていれば、戦後の日本映画史は確実に今とは違ったものになったと言われたほどの若き才人だけに、その死を惜しむ声は今も絶えない。今年は山中貞雄生誕110年の節目の年となる。 池袋の新文芸坐では「生誕110年 伝説の名匠 山中貞雄 〜現存作品3本+1〜」が11月8日〜11日にかけて前述の監督作3本と脚本作『戦国群盗伝』が上映され、京都のおもちゃ映画ミュージアムでは現在、「生誕110年記念 山中貞雄」が開催中。京都の映画界に入って22歳で監督デビューし、やがて東京のピー・シー・エル映画製作所(東宝の前身)へ籍を移した経歴を思えば、東京と京都で同時期に生誕110年を祝う催しが開かれるのは山中貞雄に相応しい。 同ミュージアムでは、日本映画史研究家本地陽彦氏と、山中と交流があった前進座(『人情紙風船』は前進座のユニット出演作)が提供する紙資料が充実した展示になっている。まず目を惹くのが、出征した山中に寄せられた監督たちの署名。錚々たる監督たちの末尾には、当時まだ助監督だった黒澤明の名もあり、同時代に同じ映画会社で生きたことを実感させてくれる。また、内地の映画人たちが戦地の山中へ送った書簡の数々がコピーされたファイルを自由に閲覧できるので、空いていれば時間をかけて、じっくりと一枚ずつ読み耽ることも可能。映画界の情報から遠ざかっている山中のために、手紙を送る映画人たちは業界の動向、国からの締め付けが厳しくなってきた状況などを細かく伝えている。〈小津ちゃん〉という名称が度々登場するが、もちろん、これは山中と親交が深かった小津安二郎のことである。 小津もまた山中に続いて出征し、中国戦線に赴いている。山中の所属した第16師団は1937年の南京攻略戦にも参加したが、翌年、江蘇省包容で2人は束の間の再会を果たしている。山中が小津に発した第一声は「戦争えらいな」だった。戦争の凄まじさと疲弊――その一言にこもった意味は重い。山中の没後、1940年に京都の大雄寺に「山中貞雄之碑」が建立され、小津による碑文が刻まれた。今回の催しに合わせて拓本が作られており、ミュージアム内で間近に眺めることが出来るので、小津が山中を想って記した言葉に思いを馳せながら見てもらいたい。

19/10/25(金)

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