兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』
第十七話:フラワーカンパニーズの日本武道館、一回目は2015年で二回目は2025年(後編)
月2回連載
第34回

illustration:ハロルド作石
フラワーカンパニーズ、2008年のメジャー復帰からの数年間は、ニュー・アルバムとか、ベスト・アルバムとか、トリビュート・アルバムとか、映画やドラマのタイアップ曲等などで、いろいろ盛り上がっていたが、それもいったん落ち着いて、言わば「メジャー・レーベルでやっているのが普通」な状態になり、メジャー在籍期間も、一回目と同じくらいになっていた──つまり、別に盛り下がってはいないけれども、かと言って特に盛り上がってもいない感じだった時期。
そんな時に、フラワーカンパニーズは、2015年12月19日土曜日に、初の日本武道館ワンマンをやることを決めた。
で、それは、「そんな時なのに」ではなくて、「そんな時だからこそ」やることを決めたのだ、ということが、後になってわかった。
というところまで書いて、前回=第十七話の前編は終わったので、その続きです。
まず、何が「そんな時だからこそ」だったのか。
そんな、良くも悪くも落ち着いちゃっている時だったからこそ、言わば起爆剤になるような、事件レベルの大きな目標を、バンドが必要としたのだ、ということだ。
このまま2年に一作ペースでアルバムを作って、年に二回くらいツアーで全国を回って、合間に対バンやイベントやフェスなんかにも出て、ライブはだいたい年間80本から100本の間くらいで……というのが、フラカンのような、ライブハウスを主戦場にしているベテランバンドの、平均的な活動ペースだ。その状態が続いていけば、大金持ちにはなれなくとも食ってはいける、というぐらいの按配である。
が、それをずっと、淡々と、延々とやっているだけだと、もたなくなるのだ。動員とか人気の面でもたなくなる、という可能性もあるが、それ以上に、バンドのモチベーションの面が。
別のベテランバンドのリーダーにも、同じ話をきいたことがある。「何か大きな目標が必要なんだよね。ずっとくり返していくだけだと、活動していくのがつらくなるんだよね」と。
たとえば、メジャーからドロップアウトして、インディーズでDIYで活動していた2000年代のフラカンにとっての、ライブ面での目標は、メジャー時代に二度経験した日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブを、自分たちの力でもう一度行うことだった。
それは、二度目のメジャー移籍の直後、2009年10月17日に、実現することができた。 この連載でも書きました。
しかし、それ以降は、フラカンにとっての日比谷野音は、2〜3年に一回、ワンマンをやれる会場になってしまった。「なってしまった」ってことはないか。すばらしいことではあるんだけど、目標というほど遠くにある存在ではなくなってしまった、ということですね。
ということも含めて、数年がかりの大きな目標で、ギリ現実味があるやつ。と考えると、日本武道館、ということになったのだと思う。もちろん、前編でも書いた、the pillows→怒髪天と続いた、ベテランライブハウスバンドの初日本武道館チャレンジ、という流れもあってのことだが。
そして。その2015年12月19日土曜日の、フラカンの日本武道館は、どうなったのか。
当時、自分が何本か書いたこの日のライブレポの中で、もっとも長く詳しく書いた、リアルサウンド掲載のやつが、今でも読めるので、貼りますね。
https://realsound.jp/2015/12/post-5786.html
これを読むのが面倒な方のために、ざっくり説明すると、要は、大成功に終わったのだった。そして、その大成功は、当日の開演前の段階で、すでに決まっていた。
どの段階で。チケットがソールドアウトした段階でだ。なんで。おそらく誰も、ソールドアウトするとは思っていなかったからだ。
って、「誰も」は言いすぎか。でも「売り切れる」と思っていた人よりも、「たとえ売り切れなくても」と思っていた人の方が、間違いなく多かったはずだ。本人たちも、フラカンに関係する音楽業界の人たちも、ファンも含めて。
前編で僕は「開催の日に当日券が売り切れた時点で、ソールドアウトした」と書いたが、それ、ちょっと大雑把な言い方だった。正確に言うと、開催の5日前に一回チケットが売り切れ、1階のステージ真横の席を追加発売したがそれも売り切れ、さらに当日券も若干数出したが、それも発売開始直後にソールドアウト──という完売のしかただった。
チケットを売り切るのは無理かもしれない。全然埋まりませんでした、という結果になった時のことも、考えておかないといけない。フラワーカンパニーズのマネージメント・オフィスは、グレートマエカワが社長を務める株式会社フラワーカンパニーズなので、赤字になった場合、補填してくれるような後ろ盾は、ない。
最悪の場合、これくらいの赤字が出る。その場合は、メンバー4人で頭割りして、支払わなくてはならない。うん、この金額なら、それぞれ、なんとか出せるな──というところまで試算してから、言い換えれば覚悟してから、4人はこの日本武道館に臨んだという。
その結果が、まさかのソールドアウト。本人たちのがんばり、レコード会社のバックアップ、仲間のバンドマンたちやそのスタッフたちのサポート、全国のイベンターやライブハウスやCDショップ等の協力、ファンの応援、などなどが功を奏しての、武道館完売。
そのファンたちはもちろん、仲間のバンドマンや関係者の多くも、この日この場所に集まって来るわけで、つまり当日は、ライブ本番の前に、「集まった時点でもう成功」みたいな空気が、でき上がっていた、ということだ。
開場のずいぶん前の時刻から、日本武道館の外に人々が続々と集まる。場外の物販には、普段のフラカンの東京公演だったら満員になる以上の人数が、長い長い行列を作っている。
という状態で、日本武道館とその周辺は、すでに非日常な、お祭りのようなムードに包まれていた。開場後も同様だったそのムードは、開演と同時に爆発し、ピークに達した。
今回の、2025年9月20日土曜日、10年ぶり・二度目の日本武道館の決行を決めた理由については、このぴあ音楽にもインタビューが載っている(自分ではないですが)。
あと、2024年の秋に、僕が集英社オンラインで行った鈴木圭介のインタビューでも、触れられています。
・ここ数年、バンドとして、ライブの調子がいい。特に鈴木圭介が最高潮で、心身ともに良い状態で、コンスタントにいいライブをできている。
・自分たちの年齢(2025年で全員56歳になる)を考えると、たとえやめる気はなくても、このメンバーであとどれくらい続けられるか、わからない。二度目の武道館も、歳をとればとるほど、やりづらくなるだろう。だったら早くやった方がいい。
・前回は、異常なほどの周囲のバックアップあってこその日本武道館だった。メジャー・レーベルに所属もしていた。でも、今回はそうはいかないし、「そうはいかない」状態で挑むことに、むしろやる意義があると思っている。
ここで語られている、二度目の日本武道館をやる理由を、ざっくり要約すると、そんな感じになる。
つまり、「活動の指針となるような大きな目標としての日本武道館ワンマン」という意味合いは、やはり今回もあるだろうが、であるがゆえの、周囲を巻き込んでの……言い換えれば、周囲に協力してもらっての、お祭り感のようなものは、さほどない、というか。もうちょっと平熱、というか。
それよりも、36年活動してきた中でも、今がいちばんいいライブをやることができるバンドになっているから、それをいっぺんに多くの人に見てもらえる場を設けたい。
そんなような、シンプルな、質実剛健な動機が軸になっている、ということなのだと思う。
じゃあ、10年前の日本武道館の時は、ライブ・バンドとして、今ほど最高潮ではなかったの? という話になるな、そうすると。
ええと、そうです。と言って、差し支えないと思います。
当時はべつに、そんなこと思っていなかったけど。充分にライブ・バンドだと思っていたし、最高だと感じていたけど。
つまり、あれ以降に、フラカンのライブ・パフォーマンスに、さらなる伸びしろがあることを、想定していなかったわけです、こっちは。あの段階で、すでに結成26年だったし。でも、あったのだ。今のフラカンのライブを観ていると、そう言うほかない。
あと、10年前の日本武道館の時は、鈴木圭介のノドのコンディションが良くなかった、というのもある。映像作品になって残っていて、観ればわかるレベルでそうだったので、書いてしまいますが。
この日に限らず、当時は、毎回ライブの度に「今日はノド、大丈夫かな」と心配しながら観ていた記憶がある。圭介、風邪ばっかりひいていたし。で、一回ひくと、何カ月も治らない、みたいなこともあったし。
それが……いつからか憶えていないが、ライブを観る時に、そんな心配をまったくしなくなった。いつも大丈夫なので。
いつからだろう。コロナ禍が一応収まって、普通にツアーをやれるようになった頃には、すでにそうなっていた気がする。
あの時期に、長い間ライブをやれなかったことで、消耗していたノドが回復したんだろうか。それとも、ノドを消耗しない方法を身につけたんだろうか。あるいは、消耗していてもなんとかできる、そういうスキルや度胸を得たんだろうか。
とにかく、心配なしでライブを観るようになっているもんで、逆に、2025年2月4日の下北沢SHELTERで声が出なくなってしまった時、すごくびっくりした。
声が出なくなったこと以上に、自分が「そういうことを心配せずに鈴木圭介を観るようになっていた」ことに気がついて。
その日のことは、この連載の第十一話の前編で、書いています。
で、急性声帯炎だったその時も、直後の3本は延期になったが、すぐ回復して、それ以降は普通にツアーをやり遂げていたし。
なので、体質なのか、メンタルなのか、あるいはその両方なのか、とにかく、10年前とは根本的に変わっているんだと思う、鈴木圭介さんは。
そういえば、創作の方も、好調な気がする、最近は。昔は「歌詞が書けない」とか言って煮詰まっている時期もあったし、メンタル的に凹んでいて大変そうな時期もあったが、最近はそんなことなくて、詞も曲もどんどん書けているっぽいし。
現に、ニュー・アルバム『正しい哺乳類』を2025年1月22日に出したばかりなのに、7月以降に5曲も新曲を出している。「友達100万人」「ただいま実演中」「ピュアな匂いがチョイナチョイナ」「すべての若さなき野郎ども」「ザッツオーライ」。
もっと言うと、その前の年である2024年には、CDありのシングルを3枚・6曲出しているし、同時期にデジタル・オンリーで「ディスイズナゴヤ」という新曲もリリースしている。が、その7曲から次のアルバム『正しい哺乳類』に入ったのは、「アメジスト」1曲だけである。
というあたりからも、アルバムとそのリード曲を軸にしてリリースを組み立てるんじゃなくて、とにかく作ろう、できたら出そう、という、フットワークの軽さを感じる。そもそもそれだけ曲を作って出せること自体が、フラカンが今、好調なことの表れだし。
というわけで。
事件・お祭りとしては、10年前の初の日本武道館にはかなわぬやもしれぬが、「日本武道館でフラワーカンパニーズのすばらしいライブを観ることができる」という内実の意味においては、むしろ一回目よりも楽しみになっている、自分は。
それが、2025年9月20日土曜日の『フラカンの日本武道館Part2〜超・今が旬〜』なのだった。
皆様もぜひお見逃しなく。逃したら、一回目以上に、後悔することになると思うので。
プロフィール
兵庫慎司
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのフリーライター。この『思い出話を始めたらおしまい』以外の連載=プロレス雑誌KAMIOGEで『プロレスとはまったく関係なくはない話』(季刊)、ウェブサイトDI:GA ONLINEで『とにかく観たやつ全部書く』(月二回)。著書=フラワーカンパニーズの本「消えぞこない」、ユニコーンの本「ユニコーン『服部』ザ・インサイド・ストーリー」(どちらもご本人たちやスタッフ等との共著、どちらもリットーミュージック刊)。
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