コンクリートの外観に、守一が描いたアリと署名が刻まれています
案内していただいた豊島区立 熊谷守一美術館の菊地桜子さん。現在美術館のある場所(豊島区千早)に熊谷守一が木造平屋を建てて移り住んだのは1932年のことでした
手前は1910年に亡くなった生母タイを描いた《母の像》。暗い色調で写実的に描いた画業の初期の作品です
《陽の死んだ日》1928(昭和3)年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
《仏前》 1948年 個人蔵(豊島区立 熊谷守一美術館寄託)
《ヤキバノカエリ》 1956年 岐阜県美術館蔵 萬さんの死後、その遺骨を収めた骨壺を抱える長男の黄さん、黄さんの方を向きながら歩くスカートをはいた次女、榧さん、そして二人のやや前方を歩く白い髭をたくわえた守一さん自身を描いた作品です
《夕暮れ》1970年 豊島区立 熊谷守一美術館蔵 自画像だという《夕暮れ》にみられる同心円を描いたシリーズ(《朝のはぢまり》《夕映》共に原画は岐阜県美術館蔵)は、美術館のドアノブにもなっています。細部の至るところまでかわいらしい美術館です
《南無阿彌陀佛(萬の死んだ日)》1947年 豊島区立 熊谷守一美術館蔵 次女の萬さんが亡くなる前に黒板に書きつけた「南無阿彌陀佛」を模して、守一さんが掛け軸に書いた作品。親子で共有する感性が素敵な作品です
展示室をはじめ館内のサインは榧さんが陶で手作りしたもの
《縁側》1949年 個人蔵(豊島区立熊谷守一美術館寄託)
《枯木》 1966年 個人蔵(豊島区立熊谷守一美術館寄託)
1階から2階、そして2階から3階の展示室につながる階段では、守一さんのご家族のアルバムから抜粋した写真が展示されています
守一さんの日本画で用いられる柔らかな色彩は、色墨等で描かれているんだそう。守一さんが残した「緑はよく使うね」の言葉通り、緑の色の減り具合も見てみてください
次女・榧さんのお名前を冠した「Café Kaya」も併設。カフェのみの利用もOKです
カフェでは榧さんの作陶によるカップやお皿で飲み物やスイーツが提供されています